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第一章:第1話 神託と血塗られた祭壇

アステリア最大王国「レガリア」の王都ルンディニウム。

 この街は今、大きな転換期を迎えていた。かつて世界を支配した「魔法」はその絶対的な力を失い、代わりに蒸気機関の煤煙と、ガス灯の淡い光が街を支配し始めている。

 人々はそれを「文明の夜明け」と呼んだが、夜が明ける直前が最も暗いのは、どの世界も同じだった。

 その象徴ともいえる事件が、聖レガリア教会の総本山、通称『白亜の宮殿』で発生した。

「……何ということだ。神の御前で、このような……」

 現場に駆けつけたベネディクト枢機卿は、絶句した。

 教会の知恵袋と称されたカイル大司教が、自身の執務室で物言わぬ骸となっていたからだ。

 カイル大司教は、祈りのための祭壇に縋り付くような姿勢で倒れていた。背中には、この国の騎士が使うものとは明らかに異なる、細身で鋭利な短剣が深々と突き立てられている。

 しかし、現場に居合わせた者たちが真に戦慄したのは、大司教の死そのものではなかった。

 大司教の背後の壁――神聖な白い漆喰に、まだ乾ききっていない鮮血で、呪詛のような文字が刻まれていたのだ。

『――復讐(Vengeance)――』

「密室……だったのだな?」

 枢機卿の問いに、調査を任された教会騎士団の団長が苦渋の表情で頷く。

「はい。この部屋の窓には鉄格子があり、扉は内側からかんぬきがかけられていました。カイル大司教は次期枢機卿の有力候補。彼を疎む派閥は数多くありますが、この『神域』に侵入し、誰にも気づかれずに凶行に及び、さらには文字を書き残して立ち去るなど……人間の業とは思えません」

 王都を統べる憲兵局も動員されたが、捜査は難航した。

 目撃者は皆無。魔法の残滓を追う「検魔官」たちも、「魔法が使われた形跡はない」と首を振るばかり。

 犯人が人間であれば物理的に侵入は不可能。犯人が魔物や魔法使いであれば、魔力の痕跡が残るはず。そのどちらでもない「矛盾した死」に、教会内には不気味な噂が広がり始めた。

「これは神の罰だ。カイル大司教が進めていた、世俗的な権利争いに対する……」

「いや、他国が送り込んだ暗殺者ではないか?」

 疑心暗鬼が広がり、有力者たちが互いを監視し合う。教会の権威は失墜し、民衆の間にも不穏な空気が漂い始めていた。このままでは、教会の内部抗争を皮切りに、国全体を巻き込む種族間戦争に発展しかねない。

 その日の深夜。

 ベネディクト枢機卿は、一人で大聖堂の女神像の前に跪いていた。

「女神アステリア様……どうか、我らに導きを。この霧に包まれた迷宮を照らす、光をお与えください……」

 その時だった。

 音もなく、大聖堂の空間が歪んだ。

 ステンドグラスを透過する月光よりも鮮烈な、白銀の輝きが枢機卿を包み込む。

『……迷える羊たちよ。知恵の欠如は滅びを招く。お前たちの目は曇り、真実を捉える力を失った』

 脳内に直接響く、透き通った女性の声。枢機卿は平伏した。

「め、女神様……!」

『これ以上の混迷は望まぬ。王都の北、霧深いベーカー街のアパートを訪ねなさい。そこに、我が遣わした「神の眼」を持つ男、ロケシュ・ヘムラー(Lokesh Hemlor)が待っている。……よいか、ゆめゆめ疑うことなかれ。彼の言葉は、我が言葉であると思え。彼こそが、この世界に蔓延る「新しき悪意」を裁く者である』

 光が収まった時、枢機卿の目の前には一通の羊皮紙が落ちていた。

 そこには、見たこともない緻密な筆致で、一つの住所が記されていた。

 翌朝、枢機卿は最も信頼の厚い腹心、ダニエル司祭を呼び寄せた。

「ダニエルよ。……今すぐ、この場所へ向かえ。神託の主が、真に我らを救う者か。それとも……」

 枢機卿の言葉は、期待と恐怖に揺れていた。

 この日、王都ルンディニウムの運命は、一人の「異邦人」の手に委ねられることになったのである。

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