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ep8

 403号室。

けい、ちょっと来て」

 母親に呼ばれて僕は部屋から出ると母の声のする場所へ向かった。

 リビングで編み物をしていたようで忙しなく手を動かしている。

「どうしたの?」

 丁度リビングのTVがついており、家庭内暴力いわゆるDVが特集されているようだった。

 おどろおどろしいBGMに顔にモザイクをかけた人物が経験談を語っている。

「……ねえ、三代子さんって……これかしら」

 手を止めて母が顔を上げた。

 これとはDVのことだろう。

「……そうだろうね。よく聞こえてた音も男の怒鳴り声だったからね」

 僕はソファの端に腰かけるとTVを見た。

 声も処理されているらしくテロップがないと分からない状態だった。

「でも三代子さん、夫婦喧嘩だって言ってたわ。あんなにボロボロなのに」

 TVのコメンテーターがしたり顔で話している。

 被害者によっては暴力を認めない場合があると。

 恐怖に支配されているため善悪の判断が難しくなっているとかなんとか。

 僕は頭を掻くと溜息をついた。

「そうかもね……それでも千砂ちゃんの怪我はお母さんだろ?」

 昨日母と三代子が話しているのを僕は千砂子の隣で聞き耳を立てて聞いていた。

 三代子は確かに千砂子に暴力は振るっていない、けれど夫から暴力を振るわれた後、不安定になって暴れてしまうことがあるという。

 そんな時、千砂子は小さな体で母親を止めようとして近づき怪我をしてしまうのだ。

 我に返った三代子は後悔ばかりだと泣いていた。

 僕は千砂子に聞いた。

「ねえ、千砂ちゃん。君はお母さんが怖くないの?」

 千砂子は大きく頷いて微笑んだ。

「怖くないよ。お母さんはね、優しいんだよ。痛くて暴れてしまうけどね、それは怖いからなの。千砂子がもう少し大きくておばちゃんみたいに大人だったらもっと上手にできるのにね」

「そっか・・・」

 僕が泣きそうな顔をしたのを見て千砂子が僕の頬を撫でた。

「お兄ちゃんも痛い?大丈夫、大丈夫だよ」





 8月某日。

 じんとする暑さの中、西島巡査は空を見上げていた。

 先日の騒音騒動のこともあり、親子のいきさつを知って少し反省をしていたのだ。

 あれでよかったのだろうか?などと考えてしまう。

「おまわりさん」

 聞き覚えのある声に振り返ると近所の主婦が立っていた。

「佐久間さん、こんにちは」

「こんにちは。この間はありがとうございました」

「いえ、仕事ですから」

 佐久間はにこっと笑うと来た道を振り返る。

「あのねえ……あれからは静かなのよ。それとあの親子楽しそうに出かけるのを見たわ」

「そうですか。……良かった」

 西島は肩で息をすると胸をなでおろした。

 安寧、そんな言葉が浮かんで唇を結んだ。








 8月某日。

 午後三時。

 先ほどまで啓の母・義子がいて、一緒に部屋の掃除を手伝ってくれた。

 まるで三代子の母のように振舞ってくれて、彼女が帰った後も暖かい気持ちが胸に残って三代子は幸せだった。

 綺麗な部屋を通りベランダの戸を開ける。

 すうっと涼しい風が通り過ぎて三代子が目を閉じると、後ろでドアが開く音がした。

 玄関の鍵は閉めていた。娘が帰る時刻はもう少し先だ。

 三代子はゆっくり振り返る。

 何故か時間が遅く感じられた。

 耳鳴りがする。

 目の前でフラッシュを焚かれたように真っ白に視界が無くなった。

 遠くで夫の声がする。

 何か言っているがよく聞こえない。

 体が揺れている。

 全身が痛くてどこかにぶつけたのか手足がしびれていた。

 どれくらいそうしていたのかわからない。

 けれど娘の声が聞こえなかったから数十分くらいかも知れない。

 三代子にとっては二時間、三時間にも思えたけど。

 やっと目が開いて体を起こした。

 綺麗に片付けたはずの部屋はぐちゃぐちゃで三代子の体もぐちゃぐちゃだった。

 啓の母親の笑顔を思い出して、三代子の目から涙が溢れた。

 大粒の涙がボロボロと落ちていく。

 ゆっくりと立ち上がり台所のテーブルの上にあったはずの皿が床で割れていた。

 啓の母親と一緒に作ったお菓子も床で粉々になっている。

 夫は癇癪を起こしたのだった。

 警察に詰められて三代子に当たりに来た。

 パキンと足の裏で皿が割れる。

 痛みが全身にあるせいか、足の痛みを感じなかった。

 三代子はゆっくりと風呂場へ向かう。

 洗面台で鏡を見て、顔の痣を見て泣いた。

 両手で顔を覆いバスタブのふちに座った。

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