ep6
警察署の一室に千砂子はいた。
若い女性警察官が傍に座っている。
長テーブルの上にお菓子とジュースのパックが置かれているが、千砂子はここに来てからずっと同じ言葉ばかり繰り返していた。
「お母さんはどこですか?」
女性警察官は何度も同じ質問をされるせいか、少しうんざりした顔に見えた。
「今お話を聞いているのよ。ねえ、お菓子もジュースもあるから少し落ち着こう。お姉さんとお話しよう?」
声は柔らかくても目の中に少し怒りが見えて千砂子は肩をすくめると唇を結んで俯いた。
もうどれくらいこの場所にいるんだろうか?母とパトカーに乗せられて引き離された。
大丈夫だと言ってくれたおまわりさんはどこにいるんだろう?どうしてお母さんと一緒にいてはいけないんだろう?
千砂子は視界が潤んでぐっと唇を噛むと大粒の涙を零した。
「おかあ……さん、お、かあ……さん」
千砂子が泣き出して女性警察官が宥めるように肩を抱く。
優しい言葉をかけられても千砂子は首を横に振り続けた。
この部屋に入る前、警察の人たちは小さな声で話していた。
母親が虐待しているのだと。千砂子は小学校の上がって少しした頃、担任の先生に「千砂子ちゃん、これどうしたの?」と腕についた痣を見て心配されたことがある。
ぶつかっただけだと説明すると「人から暴力を振るわれたりしたら言ってね?それは虐待だからね?」と教えて貰ったから、虐待という言葉は知っていた。
靴下を捲られて痣を見て警察官の人は怒っていた。
けれど千砂子はただひたすら「違う、虐待なんてされてない!」と。
虐待ではないと。
三代子はうんざりしていた。
同じ質問ばかりだ。
医務室で治療はしてもらって感謝はしているものの、何故警察が自分を責め立てているのか理解するのに時間がかかった。
それに娘の居場所がわからない。
警察に聞いても保護しているの一点張りだ。
「では始めから、あなたに起きたことを説明してください」
「だから……」
警察官の質問がまた始まった。
なんど同じことを言わされるんだろう。
「あれは夫婦喧嘩で、夫がエスカレートして私を殴ったんです。私が倒れた場所に娘がいてぶつかって」
三代子の説明に警察官は首を横に振る。
「あなたは娘さんをぶった、違いますか?」
冷たい目でそう言われて三代子は声を荒げた。
「そんなことしません!夫に……あの人に……」
言いかけて止めた。あの人に聞けばいい、そんなこと言っても夫は本当のことなど話すことはない。
三代子が虐待している、そう言うだろう。
三代子はうな垂れると両手で顔を覆った。
「娘に会わせてください。娘を返して……」
警察官は三代子の顔を覗きこむように近づいた。
「お母さん、いいですか?娘さんは痣だらけです。あの年頃の子は確かに痣を作るような遊びはします。外でのボール遊びなんかでね。でも腕の火傷の痕、あれは煙草じゃないですか?お母さん、煙草吸いますよね?本当のことを言ってください」
煙草の火傷……ああ、そういえばあった。
三代子は両手で顔を覆ったまま息を吐く。
小学校に上がった頃、夫から暴力を振るわれてあまりに酷かったために手の震えが止まらずにいた。
なんとかベランダの戸を開けて煙草を銜えて火をつけて煙を吐き出す。
視界がぐるぐると回っていた。
まだ怖くて自分がどこにいるのかもよくわかっていなかった。
だからあの子が抱きしめようとした手を振り払った時に煙草の火が当たってしまったのだ。
火傷に反応して泣き出した声でハッとして急いで小さな体を抱きしめて台所で水につけた。
その後のことはよく覚えている。
熱かった、痛かっただろうにあの子は涙をぽろぽろ零しながらただ「大丈夫だよ、大丈夫だよ」と繰り返していた。
まだ震える手で包帯を巻く私の顔を見て繰り返し繰り返し。
「どうして……どうして……」
三代子は嗚咽しながらあの日の自分を後悔していた。
8月某日。
夕立だ。
待ちにまっていた雨のはずがアスファルトの熱気を連れてムアッとした空気を上げている。
私は娘を連れてパン屋の軒先に入る。
「雨宿り?」
びしょ濡れの娘は私に微笑んでくれる。
私が頷くと嬉しそうにしてガラス越しにパン屋のショーケースを眺めた。
「美味しそうだね、綺麗だね」
パンを指差して、メロンパン、ロールパンと種類を確認している。
「そうだ、パンを買っておやつにしようか」
私がそう言うと娘はパッと顔を輝かせて頷いた。
「何にしよう」
娘が首をかしげたので一つ提案した。
「お母さんが選んだスペシャルはどう?」
「うん!」
娘はにっこり笑って言う。
私は頷くとここで待つように言って店の中に入った。




