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ep4

 マンションの一室。

 窓際に設置された机には買ったばかりの参考書が積み上げられている。

 夜明け前だ。

 机の電気を消してぐんと背伸びをする。

 さっきまで開いていた参考書とノートを片付けるとベットに飛び込んだ。

 窓を開けると上階から叫び声が聞こえてくる。

「こんな時間に暴れんなよ」

 僕は眉をしかめて睨みつけると防音ヘッドフォンを耳につけて瞼を閉じた。





 8月某日。

 早朝、横山は起き出すと早くから台所に立っている妻の姿を見つけた。

「おはよう、早いな」

「あら、おはようございます。あなたこそ早いですね」

 妻・幹子は昨日切れた麦茶を作っているらしく薬缶に水を沸かしていた。

「まだ早いですけど何か食べますか?」

「うん?いや。……少し散歩してくるよ。幹子も行くかい?」

 幹子はフフと笑うと小さく頷いた。

 コンロの火を止めて、横山について家を出た。

 外は昼間よりはマシだとしても暑い。

 横山は隣を暑く幹子に視線を落とすと、ああそういえばと切り出した。

「昨夜、あのあたりで子供を見たんだよ」

 そう言って前方を指差した。

「子供ですか?昨夜って……夜のお散歩の時間に?」

「そう。小学生くらいかな。小さい可愛らしい子でね、一人でいるから声をかけたんだ」

「あら、一人だったの?迷子かしら」

「そうだと思うんだが……私が声をかけた時、あの子は待っていると言ったんだ。なんのことを言っているのか」

「待っている?お父さん、お母さんかしら?」

「どうだろう……もう遅いし、とりあえず交番へ連れて行こうと思って、そうしたらその子走って逃げちゃったんだよ」

「あら……。大丈夫かしら」

「うーん、わからない。無事だといいんだけど」

 横山が腕を組むと幹子は顔を覗きこんだ。

「きっと近くの子ですよ。無事を祈りましょう」

「そうだな」

 幹子に促されて歩き出した。

 ふと空を見上げると青空が広がっている。

 今日も晴れた暑い日になりそうだ。






 8月某日。

 小学校を出てランドセルを背中に背負う千砂子は家路を急いでいた。

 学校が終わったらすぐに帰ってくるように母に言いつけられていたから。

 千砂子はぎゅっとランドセルの肩ベルトを持って走っていく。

 薄汚れた服に幼い顔には赤い痣がある。

 彼女はマンションのエレベーターに飛び込むとボタンを押した。

 ぐっと上がっていく箱の中で、点滅していく数字のボタンを見て、軽いチンという音と扉が開くのと同時に廊下に飛び出す。

 丁度家のドアが開いて母親が出てきたところだった。

「お母さん!ただいま!」

 母親は顔を上げると優しい微笑を浮かべて千砂子を見る。

「おかえり。お母さん、ゴミを捨ててくるから中に入ってなさい」

 母の両手には黒いゴミ袋がいくつも握られている。

「お手伝いする?」

 と千砂子が母の顔を見上げると、彼女は首を横に振った。

「いいのよ」

 そう言って千砂子の隣を行ってしまった。

 家に入り部屋を見渡す。

 昨日まではぐちゃぐちゃだった部屋が掃除されて綺麗に整えられている。

 千砂子はランドセルを置くと姿見の前に立った。

 千砂子の身長はまだ120センチしかない。

 保健の先生は「これから伸びるよ」と言っていたが周りの子供たちよりも小さい自分を少し恥じていた。

 顔の痣は家の中で転んでできたものだ。

 お母さんといて千砂子がバランスを崩したから。

 膝までの靴下で隠れているけど、細い足にも紫の痣がぽつぽつある。

 汚いなと千砂子は思う。

 クラスメイトの女子は皆綺麗だ。

 短くしている髪も少し汚れているのか臭っていた。







 学校が終わって自転車をマンションの駐輪所に止めるとゴミ捨て場にいる女がこちらに気付いて軽く会釈した。

「こんにちは」

 僕は軽く会釈して鞄を篭から取ると急いでエレベーターに乗り込む。

 向こうから女が歩いてくるのが見えて、エレベーターの扉が閉まった。

 ふう、と息を吐く。

 あの人は上に住んでいる。

 たしか騒音の激しい部屋の人だ。時々悲鳴や映画やTVでしか聞かないような音が聞こえてくる。

 以前、僕は心配になって見に行った。

 他人の家に口出しするほどバカではないけれど、子供の声がしたからだ。

 台所にいた母親に「様子を見てくる。すぐに戻るけど、一時間とか戻らなかったら警察に電話して」と告げて、上に向かった。

 廊下には小さな女の子が蹲っていた。

 僕は彼女を驚かせないようにして傍に近づくと、閉まったドアの向こうでは激しい言い争う声と騒音が響いている。

「ねえ、大丈夫?」

 少女はゆっくり顔を上げた。

 涙と鼻水でびしょびしょになった顔をくしゃくしゃにして両手で涙を拭う。

「おか……あさ……と……おと……さ……」

 涙声に嗚咽が混じって何を言ってるかわからず、僕はただ少女の頭に手を乗せると頷いた。

「怖かったね」

 僕の言葉に少女の目から涙が溢れた。

 もうずっと我慢していたのかも知れない。

 それでも声を殺しているのは中にいる誰かに気遣っているのか。

「お兄ちゃんの家に来る?下の階だからすぐに戻ってこれるよ?」

 僕がそう言うと少女は首を横に振った。

 一瞬小さな手が動いたのを見て、僕は彼女の目を見て頷いた。

「分かった。僕の家は君のおうちの真下だよ、何かあったらすぐにおいで。僕の母もいるから。わかったね?」

 少女は大きく頷いて、安心したように笑った。


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