『異能実技Ⅱ:理の囁き』
――沈黙。
理符陣が再起動したのは、数秒後のことだった。
制御教員が慌ただしく端末を確認し、場内に安堵とざわめきが戻る。
「……一時的なシステム遅延だ。危険はない、続行する。」
その言葉に、生徒たちは胸を撫で下ろした。
誰も知らない――その“遅延”が、都市全体の理制系統に波及していたことを。
ドーム天井を這う光がわずかに脈打ち、
遠く理制塔の最上部――中枢観測層アストラル・ノードが、一瞬だけ閃光を放った。
〈用語補足:アストラル・ノード〉
理制塔の観測階層。都市全域の理回路と接続し、異能の流量・位相・共鳴状態を監視する。
“理の心臓”と呼ばれる区画。
授業が終わり、実技場を出る廊下でヒナが息を吐いた。
「はぁ~、なんとか終わったね。あんなの初めて見たよ、場が止まるなんて。」
マオは歩きながら、無言で理符端末の残光を見つめていた。
その表面には微細なノイズ――“観測拒絶”の痕が残っている。
「……理が、私を観測しきれなかった。」
「え?」
「いや、こちらの話だ。」
ヒナは少し眉を寄せたが、すぐに笑みに戻した。
「でもさ、マオくんのあれ、すごかったよ。
先生たち、びっくりしてた。何も起きてないのに、空気だけが止まってた。」
「“何も起きていない”――それは、正しい観測ができていないということだ。」
「また難しいこと言う……。」
ヒナが苦笑し、視線を空に向ける。
透明ドーム越しの理雲が、昼の光を反射していた。
けれどその輝きの中で、マオの眼は――**ごく僅かな“反転”**を捉えていた。
(雲層の位相が逆流している……?)
理風の流れが上から下へ落ちるように変調し、空気の層がうっすらと波打つ。
ほんの一瞬、風向きが逆転したのだ。
マオは足を止めた。
(……理制塔の“補正波”が、遅れている。)
異能実技場での一瞬の“空白”。
それが、都市全域の位相同期に影響を与えている――彼はそう確信した。
その頃、久遠都市中枢・理制塔アストラル・ノード。
青白い光に満ちた観測階で、複数の理技師たちが走り回っていた。
モニターの波形が乱れ、位相ラインが何度も点滅を繰り返す。
「――観測不能領域、確認。実技ドームからの波形です!」
「座標は久遠学園、実技第一区画。異能干渉パターン不明。
出力はゼロ値のまま、理共鳴を拒絶……まるで、存在しない“中心”があるような……!」
主任が眉をひそめる。
「……理が拒絶された? そんなはずは――」
警告音。
塔の外壁を走る光のラインが一瞬だけ暗転し、すぐに復帰する。
「――発光遅延、全層に0.03秒。誤差補正、再試行!」
誰も、その数値がどれほど危険な意味を持つか理解していなかった。
午後。
学園の中庭。
ヒナがベンチに腰掛け、蜂蜜レモンの瓶を振っていた。
「ねぇ、マオくん。」
「なんだ。」
「……昨日の夜、ちょっと夢を見たんだ。
光の輪が空に浮かんでて、でも、黒い影が混ざって……なんか、嫌な感じの。」
マオは目を細める。
「――“理の反響”だろう。」
「理の……反響?」
「理の構造が歪むと、均衡を保とうとする波が生まれる。
それが“夢”として流入することもある。
つまり――この街の理が、軋んでいる。」
ヒナの瞳が不安に揺れる。
「ねぇ……それって、危ないの?」
「危険かどうかは、まだ分からん。」
マオは立ち上がり、空を見上げた。
理雲の流れは再び穏やかに戻っていたが、その“下”――地平線の向こうに、
わずかな暗い亀裂が走っているのが見えた。
(理の位相が、二層に割れている。……“異界干渉”か。)
風が吹く。
その一陣に混ざって、ほんのかすかな囁きが耳を掠めた。
――“還れ”。
それは、誰の声でもない。
だが確かに“理”そのものが発していた。
マオは微かに笑った。
「……理が、恐れているな。」
ヒナが首をかしげる。
「え?」
「いや――少し面白くなってきた。」
夕暮れが学園を包み、理符灯が順に点いていく。
久遠の空は穏やかで、美しい。
だが、その美しさの奥で、確かに世界は“軋み”を始めていた。




