『新世界の朝』
――音があった。
風が流れ、鳥が鳴く。
遠くで何かが唸りを上げ、光が頬を照らす。
ゆっくりと瞼を開ける。
視界に映ったのは、どこまでも広がる青空だった。
頭の下には冷たい石畳、頬を撫でるのは朝の風。
街路樹の葉が揺れ、近くで子供たちの笑い声が聞こえる。
「……空、か。」
彼――魔王は、ゆっくりと上体を起こした。
瓦礫も血もない。
地獄の咆哮も、魔界の瘴気も消えている。
代わりに感じるのは、どこか柔らかく温かな空気。
「ここは……どの世界だ。」
体は確かに人のもの。
だがその魂は、いまだ“王”のまま。
理に属さぬ存在としての意識は、微塵も薄れていない。
封印の理を受け入れた記憶――そして、眩い光。
その先にあったのは滅びではなく、“転送”。
世界が彼を拒絶しきれず、異なる理へと押し出したのだ。
「封印ではなく……追放。理が我を恐れたか。」
魔王は立ち上がり、周囲を見渡した。
高く伸びる校舎、鉄製の門扉、舗装された道。
門柱に刻まれた文字が、朝の光に輝く。
久遠学園高等部――。
「……学び舎、か。人間の理にしては整いすぎている。」
そのとき――
「――ねぇ、大丈夫!? こんなところで寝てたら風邪ひくよ!」
声が空気を震わせた。
顔を向けると、制服姿の少女が立っていた。
陽光を反射する髪が風に揺れ、心配そうにこちらを覗き込む。
「……誰だ。」
「え、そっちこそ誰!? 校門の前で寝てるとか、びっくりしたんだけど!」
魔王は言葉を失う。
その声は人間のもの――だが、何故か不快ではない。
彼女の存在が、この世界の“生”を証明していた。
「……我の名は、魔王――」
「マオくん?」
「……マ、オ?」
「うん、マオくん! ちょっと変わった名前だけど、覚えやすいね。」
少女の笑顔が、朝の光のようにまぶしかった。
魔王は数秒の沈黙の後、ゆっくりと頷いた。
「……ああ。マオでいい。」
少女は胸を張って名乗る。
「私はヒナ・ミカド。二年生。あなた、新入生でしょ? その制服、新しいし。」
「……そうか。ならば、導きを頼もう。」
「導きって……あはは、言い方固すぎ! 面白い人だね、マオくん。」
笑う彼女を見て、魔王――いや、マオはふと目を細めた。
その笑みは、かつて“勇者リアン”が最期に見せた微笑と、どこか似ていた。
「……人間というものは、やはり興味深い。」
「え? なんか言った?」
「いや、何でもない。」
ヒナは手を差し伸べた。
「さ、行こ。入学式、もう始まっちゃうよ!」
マオはしばし空を見上げてから、その手を取った。
冷たくも温かい感触が、指先に残る。
(――理は違えど、命の輝きは同じか。)
彼の中の“魔王”は眠らない。
だが、その魂に初めて“穏やかな朝”が訪れていた。
こうして、“魔王”は人として歩き出す。
名は――マオ。
しかしその魂は、いまだ“理の外”に在る。




