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Joker oF Way  作者: 相野里緒
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第一部 定義(6)

 一央は先程までいたあの美少年がすっかり消えてしまっていることに気づいた。上から降ってきた青年に潰されたわけもなく、そう考えるならば、あの一瞬で避けたのだろう。一央が気づく前にとっくに気づいていたことといい、先程のおかしな現象といい、どう考えても普通ではない。そして、空から降ってきたこの青年も。

 青年が俯き、凍った両脚を見ていたが、ふと顔を上げて誰もいない周囲を見渡した。一央のことはチラッと見ただけで、素通りしていき、最後に倫堂屋を見る。そして凍った脚を使いづらそうに動かし、倫堂屋と逆を向いた。

 青年が渋った顔をしながら脚に触った。「くそ」そう言いながら青年は、凍りついた太ももをコツンと叩く。

 一央はゆっくりと立ち上がった。どうやら青年は一央のことを気にもとめていないようだ。凍りついた脚をどうにかしようとするのに気をとられている。一央は静かに後ろにさがった。美少年やこの青年のことなど気になることは多いが、ここは引き下がることにした。危険が多すぎた。

 青年は脚を見ながら何やら考えにふけっていたが、ようやく決心したらしい。

 そう思った直後、青年が唸りだした。

 低い、腹の底に響く音。一央はたじろいだ。次は何が起きるのか、一央にはまったくわからないが、今は逃げることだけを考える。倫堂屋に逃げこもう、と一央は決めた。そのとき、背後から鋭い声が飛んできた。

「カズ! 伏せろ!」若い男の声だ。

 一央がパッと後ろを向くと、一人の青年が目に入った。倫堂屋主人、納藤倫だ。倫堂屋の足元にいるが、普通じゃない。一央は目をこすった。

 倫は半径一メートルはあるかと思われる、燃え盛る球体の炎を頭上に掲げていた。球体から炎が幾筋か立ち上り、うねっては孤を描いて球体に還っていく。球体からは凄まじい量の熱気と光が放たれている。

 後ろの青年から驚きの雰囲気が伝わってきた。「やべえな……」落ち着いてはいるが、言葉にはうっすら焦りが混じっていた。

 一央も直感で感じとった。急いで伏せる。

 頭上を熱気が通りすぎた。空気を焼きながら突き進む炎の球体の音がする。

 唐突に爆発音が響く。次いで木葉の揺れる音と青年のくぐもった声が聞こえた気がしたが、爆発音に掻き消された。音は真後ろからだ。腕の隙間から後ろの状況を見る。元々青年が立っていた位置は円形の窪みができていた。青年は吹き飛ばされ、立ち込める煙りの中、近くの森の大木に打ち付けられている。

「いてえな……」背中をさすりながら青年が立ち上がった。「まだこんなに力を残していたのかよ、おまえ。だが、さっきよりは確実におちているようだぞ。ご覧のとおり、たかが氷を砕けてないぜ」芝居がかった動きで凍りついた脚を示す。

「くっ」今度は倫が唸った。

 倫の方から炎の濁流が青年に向かって飛んだ。青年はひるむこともなく、濁流を全て受けきる。

「もうやめたらどうだ。諦めも肝心だぞ」青年が腰に手をあて忠告をする。

 倫の攻撃がやんだ。無駄だと気づいたらしい。荒い息をしながら青年を睨みつける。

「オレの炎がまったくきかない……。どういう理屈だ、おまえ」

「言わせてもらうが、理屈もなにも、作り出したあんたでもわからないことをオレが知るわけないだろう? そんな無駄な質問はしないに限る。ほら、さっきより顔色が悪くなってるぜ、おまえさん」青年が言った。

 倫がイラッとしたのがわかった。「ものは試しと言うからな」

倫の周囲の地面を、炎が円を描きながら走った。走ったあとは赤くなり、そこから炎が立ち上がる。薄い炎だが先程の球体よりも熱い熱気がする。

 青年は動かずにただそれを眺めていただけだが、それを無視してまたも唸り声を上げはじめた。さっきは気づかなかったが、この青年は脚に力をいれて、無理に氷を割ろうとしているようだ。突然、青年の足元から炎が噴き上がった。青年が炎に包まれる。

 倫が早口で聞き慣れない言葉を呟いた。あの美少年が放った言葉と似た言葉だ。

 青年を呑んでいた炎が晴れた。腰に手を当てた青年が姿を現す。「何度言ったらわかるんだ、倫。あんたの炎はオレにはきかない」

 青年の頭の後ろに音もなく小さな光が浮かび上がった。白い光を謙虚に放つ。青年は気づいていない。

「このあたりで手打ちとしないか? おまえはオレを逃がし、オレも同様におまえには関わらない。どうだ、悪くない――いて、いててっ!」

 青年の後頭部に繰り返しあの光がぶつかっている。

「猛る炎はきかずに、小さな光に遅れをとるのか。なるほど、理解したぞ」倫の周囲にのぼっていた炎の壁が落ち、地面にぶつかって消えた。

 青年は後ろの光にようやく気づき、嫌そうに顔をしかめた。「ずいぶんとチンケなことをするもんだ。おまえの周りの炎はフェイク、そしてオレを優しく包み込んださっきの炎もフェイク、これが本命だったってわけか」

青年が片手で光をつかみ、肉が焼ける音と共に握り潰した。手を払い、焼け爛れた肉をほろう。

「ずいぶんと狡猾じゃないか。シーザーにでも憧れているのか? なら、諦めることだぞ。あんたには一生無理な話だ。光の球でキャッチボールするのはお上手だが、せいぜい、肝試しの主要メンバーになれる程度だろうよ」

「このっ……!」倫はそう言うと、また早口で呟いた。

 青年の頭上にいくつかの光の球が現れ、一斉に落下した。青年はめんどくさそうに片腕で全ての光の球を弾き返した。腕が焦げる。

「なあ、あんたもそろそろ疲れてきたんじゃないか」黒く焦げ、えぐれた腕を見ながら青年は言った。「おまえ、そのままだと死ぬぞ。オレには知ったこっちゃないし、万々歳だがな」

 青年の足元が光った。直後、地面を突き破り、光の球が飛び出し、そのまま青年の顎に直撃する。「いって!」顎から黒焦げた肉を飛ばしながら青年が叫んだ。

「おまえがいい加減おとなしくしてくれれば、オレも楽できるんだよ。焼き尽くすぞコラ!」倫が怒鳴った。

 青年がたった今、半分になったばかりの顎をさすりながら倫を睨みつけた。「そのあたりまでにしておくのが賢明だぞ、倫。オレが怒りに体を震わせ、血を欲するが故に喉を膨らまし、おまえを八つ裂きにする前にだ」青年の後頭部から煙りが上がり、削れた腕と顎からも立ちのぼる。

「やれるものならやってみればいいさ。結果は見えてるがな。そのおしゃべりな口も開けなくしてやるよ」倫の背後にたなびく炎と光の球が出現した。

「ほう……」一央には青年の頬が引きつるのが見えた。青年の焦げた部位から上がる煙りがその濃さを増していく。

「倫。今の言葉忘れるなよ」青年が唸り声を上げた。三度目の唸り声は今までのどれをも凌駕していた。一央は思わず耳を塞いだ。全身が振動し、伏せている地面も微弱ながら揺れている。

「くそっ。やはりできるのかっ」倫が早口に、今度は長い言葉を呟きだした。両の手の平を胸の前で合わせ、目を閉じて一心不乱に言葉を紡いでいる。倫の頬を汗が通った。呼吸が荒い。もう既に限界だ。体から疲れが滲み、目に見えて消耗しきっている。おそらく次の一撃に倫は全てをかけているのだろう。失敗すれば、即ち死。こういうことに疎い一央にも理解ができた。

 ふと気がつくと、あの鼓膜を強烈に揺さ振った青年の唸り声が聞こえない。一央は俯せのまま肘を地面について顔を上げ、青年のいる方を見遣った。

 青年は片手を腰に当て、仁王立ちで倫を見ていた。鋭い眼差しは真剣にただ真っすぐ前を向き、口をきつく結んでいる。ふと、一央は青年の半分になった顎が、まったくの元通りになっていることに気づいた。あの傷は見間違いなどでは決してない。目の前で傷ができた瞬間を目撃している。たしかにあったはずの傷が消えていた。そして青年の両足を凍らせていたはずの氷は、青年の足元に散らばっている。

「こいよ小僧」青年がバカにするように言った。

「っ……! ふざけるなよ!」倫が歯軋りし、目を精一杯に使い青年を睨みつけた。「そんなに死を急ぐか! 死にたいのならさっさとオレに還ればよかったんだ! ばかやろうが!」

倫が両手を振るった。倫を円形に囲うように、揺らめく炎と浮く光の球に混ざって、人間一人はまるごと余裕で入る大きさの幅がある光の円柱が数本立ち上がる。倫の顔が明るく照らし出される。「もう止まらない。後戻りはできない。果てろ。やはりお前はいらない」

「言っとくがオレは産みの親だろうが誰だろうが容赦はしねえ。等しくお前もただの醜い人間だ。吐き気がするね。オレの体はオレのもんであるし、お前に還るつもりも毛頭ない。倫、お前はただの間違った霊媒師だった」

 倫が手の平を強く打ち合わせ、鋭い音を鳴らすと、青年の足元から光の濁流が青年を襲った。青年は前に飛び出してそれをかわす。

「なあ、ワンパターンだぞ?」青年が言った。

青年が前に手をついて前転する。青年の頭があった位置を光と炎が混ざった波が通り過ぎていく。次いで青年の眼前に光と炎の壁が現れる。青年は真上に跳び上がった。壁を越えようとする。倫が指を鳴らすと背後の青年の下方から光の筋が数本伸びてきた。それを確認すると、青年は体をくねらせて最初の一撃をかわし、体を丸めて二本目をかわした。青年の髪の端が持っていかれる。

「おお、変わったことをするなっ」青年が表情を変えずに言った。

 倫が前に両手を力任せに突き出した。青年のすぐ側にある光の壁が傾いた。青年はいち早く反応したが、空中にいたためかわせずにぶつかる。腕で壁を押さえているが、そのまま勢いに押され、壁に地面にたたきつけられる。肉の焼ける臭いがしてくる。

「だから言ったんだ……。もう、お前は終わりだ」倫が頭上に両手を掲げた。倫の周囲に立っていた光の柱が浮かび上がり、ゆっくりと回転する。切っ先が青年がいる地面に倒れている光の壁に向く。

 壁の中心を突き破って黒焦げた腕が現れた。青年の上半身が腕を使って這い出てくる。「このオレが終わりだと? お前が月に行けないのと同じように不可能なことだ。待ってろ。今すぐお前をすり潰してこね回し、ハンバーグにしてやる。少なくとも貧困に苦しむ子供を助けられるぜ。月にはその子供が行くことを神頼みすることだ」青年の全身が壁から出てきた。あちこちが焼け爛れ、見るに堪えない。

「……」倫は無言のままぼろぼろの青年を見つめ返した。

 光の壁に立つ青年の足元からは煙が立ち、同様にして体全体からも噴き上がっている。「倫、おまえは今に後悔することになるぞ。断言できる」青年はそう言うと、足を曲げてしゃがみ、横たわる光の壁に手をついた。すぐにそこから煙が上がる。

 瞬間的に青年が前に飛び出してきた。目に捉えられないほどの速さで瞬く間に倫との距離を詰めると、倫のすぐ手前まで来る。青年は硬く握った右の拳を大きく振りかぶり、倫に殴りかかっていく。倫は両手でそれを受け止めはしたが、圧力に耐え切れずに足が宙に浮き、吹き飛ぶ。

「くっ……!」

 宙を飛びながら倫は右手を青年に向かって振るった。浮いている光の柱の一本が青年に向かって落ちるが、青年は両手で切っ先を押さえ込む。右手の親指が蒸発した。青年が咆哮する。咆哮し、太く長い光の柱を他の光の柱に投げつける。盛大な火花を撒き散らしながら二本の光の柱は地面にのめり込む。

「あまいんだよ倫! オレはこんなんで倒せないぞ!」青年が叫んだ。

 地面に転がり土まみれとなった倫はあぐらをかき、青年を見上げた。「おまえの性質くらいはいやでもよく知っている。さっき確信したばかりなんだがな。ほら。油断しまくりだぞ貴様」

 倫がそう言うと、地面にのめり込んでいるのと宙に浮く光の柱から何本もの炎が燃え上がった。急に出現した炎は青年に絡み付き、青年の体を素早くきつく縛り上げる。

「こんなものっ」青年はそう言うと、腕を使って振り払う。振り切られた炎は霧散して消えた。しかし、振り切ったはずの炎はすぐに元通りに治り、再び青年に絡み付いてくる。「くっ!」青年は表情をしかめた。

「こういう使い方もあるんだ。お前は自身の力を過信しすぎたな。勝負ありだ」倫は後ろに手をついて体をもたせ掛けると、深いため息をついた。気づくと、倫は顔面蒼白だ。

 青年がいやに耳に響きわたる雄叫びを上げた。一央と倫の体が震えた。

「まだ粘るのかよ。耐久性バツグンすぎるぞ」倫が言った。

「ふざけるなっ! このオレがこの程度の薄っぺらい炎なんかで止められるとでも!? オレを誰だと思ってやがる! 泣く子は黙り、わめき立てる婆さんはオレから逃げるならばと思わず川に飛び込み、屈強な勇ましい猛者共は震え上がって尻尾を巻いて逃げ出した!」

 倫が嘲るように笑った。「ついさっき誕生したばかりなのにそんなわけないだろう。口だけは達者だな。いったいどこで覚えたんだ?」青年縛り付ける炎がさらに強く青年を押さえつける。

「お前は魔族の者についての知識を持っているつもりだろうが、まったくもってダメダメだ。無知もいいとこだ」青年の纏う雰囲気が変わった。「いいことを教えてやる小僧。オレ達魔族の者たちは悔しいことにお前たち霊媒師の血から出来ている。そして血とは代々後世に受け継がれるものだ。ならば先代は何をしていたと思う? 同じくオレ達を作り上げた。お前と同じ血でだ小僧。オレにはお前の先代にこき使われていたという忌まわしい記憶がそりゃあもう深く根付いている。これからお前にもそうされるんじゃないかと考えると気分が沈む。テムズ川の泥に捕まって沈むみたいだ」

 炎がついに青年を地面に叩きつけた。青年は顔色一つ変えずに倫を見る。その瞳は何も写していないかのように漆黒。

 青年は深いため息をついた。「今度こそさようならだ倫」

 青年が両腕を使い、無理矢理上半身を持ち上げた。炎の綱が引き締まる。相変わらず青年の表情は硬い。

「くっ」倫が思わず声を漏らした。倫が片手を上に曲げると炎の綱がさらに数本増えた。しかし青年は止まらない。しまいには炎を全て引きちぎって立ち上がった。

「あばよ」青年が風を切って倫に迫った。

「くっ」倫が両手を組み合わせた。青年の目の前に瞬時に炎の壁が何重にも現れる。さらに光の壁まで現れた。一連の倫の動きは人間業ではなかった。

 しかし炎も光も関係なく青年は突き進んだ。速さを落とさずに壁を突き破って行く。突き破るたびに青年の体の一部が消し飛んだが、次の瞬間には元通りに傷口は塞がっていた。

 青年が体を回転させ、右脚を振り上げた。倫は目を見はってそれを見ることしかできない。倫が歯をくいしばる。青年が足を振り下ろす。


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