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Joker oF Way  作者: 相野里緒
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第一部 定義(5)

 一央は人っ子一人いない道を走り抜ける。

 納藤倫の自宅兼雑貨屋「倫堂屋」まではもう少しとまで来た所だ。

 垣根を飛び越え、畑の脇を走った。道であろうとなかろうと、ただ走り抜けた。反対側の垣根も飛び越える。

 昨日までは一央も近所の人たちの農作を気ままに手伝う、ただの少年だった。森の中に流れる小川が見える。小川は良い休憩場所だった。

 しかし今は、一央はすでに常識とは掛け離れた場所に片足を突っ込んでしまった。ひどい吐き気がし、走る速さを上げる。

 倫堂屋が視界に入ったところで一旦立ち止まり、息を整えた。ふぅっと一息ついた所で今度は歩いて行く。

 二階建ての倫堂屋のちょうど上の辺りに夕焼けが見えた。大きくて紅い、その存在感が今は頼もしい。

 そのとき、一央の足に細長い弾力のある物がぶつかった。すると、それは話しかけてきた。

「痛い……」男性にしては高い透き通った声だ。

 一央の足元には一人の男が座っていた。裸足にぼろぼろで所々穴の開いているジーンズを履き、上もぼろぼろのシャツと足まで届く薄汚れた紺のローブを着ている。顔は被ったローブに隠れて見えない。

「君、手を貸してくれないかな……」男が右手を差し出してきた。

 一央は警戒した。さっきまでにもう二人もおかしな人物と出会っているのだ。距離をとるために、わずかに後退する。

 こちらの心を読んだかのように男は言った。「私は君に危害を加えるつもりはないよ」おおげさに両手を挙げる。「私のメリットがなにもない。変わっているな、君。……ああ。私の風貌か。気にすることではないよ」

 今日はローブの人とよく出会う、と思い出しながら一央はその手をつかみ引き上げた。男の身長は一央とほぼ同じだ。

「ありがとう」ローブ越しに男が微笑んだのがわかった。

 男はそう言うと、ローブの中をまさぐり始めた。好奇心に駆られた一央が中を覗いてみると、様々な異国のと想像される物がぶら下がっていた。細長い捻れた杖、虚ろのガラスの瞳を有する人形、土くれた指輪、ガラス玉、地図。男は立方体のガラスを取り出した。

「これを君にあげよう」一央の手をとり、押し込める。男の手は意外と小さかった。

 一央は疑問に思いながら立方体のガラスを掲げた。「キレイですね……」ガラスは夕日を余すことなく通し屈折させる。

 男が手を口に当て、クスリと笑った。「そうですか」ローブを垂らして腕を隠す。「それは遠い異国、ヨーロッパで得たキューブです。あそこは広大で優雅ですよ。一度行くことをオススメする。私はごらんの通り、ただのしがない旅人でね。あちらこちらと見て廻っては、気に入った物は全て手中に収めてきたんだよ。私は本当、酔狂かもしれない」

 一央は胸元までガラスのキューブを下ろし、ローブで半分隠れた男の顔を見た。すす汚れている。

 男が笑みを浮かべた。優しくふふっ、と笑う。そのときだった。

「君は納藤君の関係者かな?」男はそう言うが早いが、早口で聞き取れない言葉をまくし立てた。

 一央の手元のキューブが青い光を帯びたかと思うと、爆発した。光の爆発だ。一央は到底反応できるわけがなく、まともに光を浴びる。「うっ」

 視界が青に染まる。男の顔が光に照らし出された。光の中で見た男の顔は、美少年と呼ぶにふさわしい、小柄な顔だった。鋭い笑みを浮かべている。男の瞳は、真っすぐに一央を向けられた。一央はどうしてか動けない。

 ほどなくして、光の洪水が収まった。後に残るはいつもの風景。夕焼けも、森も、男も、何も変わっていない。一央は息がきれていた。汗が額から落ちる。

 男が笑った。「おっ。あれに堪えうるか。思わぬことだね」心底嬉しそうに言う。

 一央は後ずさった。今日はおかしなやつとばかり会う。

 ――今日は厄日か!

 罵ったところで現状は変わらない。男が左手の黒い革手袋に、何も履いていない右手をかけながら近づいてくる。よく見てみると、左手にしか革手袋を履いていない。

「大丈夫。痛くはないよ」

 ふと、一央はまだガラスのキューブをつかんでいたことに気づいた。力強く握ると血が滲んで鋭い痛みが走る。

「少し試すだけだ……」男が近づいてくる。

 一央は男に向かって力任せにキューブを投げつけた。真っすぐに飛んだガラスのキューブは男の頭のちょうど側面に当たる。キューブの角がローブをひっかけた。男は別段気にするそぶりを見せないが、頭にかかっていたローブがとれた。現れた顔はおそろしくハンサムだが、青白さがある。まだ若い。

「痛いなあ……」少年が言った。「私は傷つけるつもりはないというのに。少し試すだけだから。動かないでほしい」

 少年のこめかみのあたりから血が一雫垂れた。血は頬をなぞり、顎から滴り落ちる。

 一央は少年を見据えたまま、金縛りにあったかのように動けなかった。脚が小さく震えている。

 男は左手の革手袋をはずした。華奢な手先だ。そのまま一央の額に向かって伸ばしてくる。空気が冷たい。額に触れた。

 男の手を通してすさまじい衝撃が伝わり、脳が吹き飛ぶ感覚がした。

「うっ、あああああ!」男が右手で一央の口を塞ぐ。

 一央は絶叫をあげた。とてつもない悪寒、吐き気、頭痛、さらには体中を苦しい痛みが走り回る。生きた心地はおろか、死に寄り添われている。

 空がぐるっと回転した。夕焼けと雲が混濁した色になる。その中に小さな星の集団がまたたいている。大きくてきれいだ。いつのまにか空一面漆黒に染まっている。周囲全てが黒くなった。森も地面もあの男も。地面が黒く染まり、抜け落ちた。気持ち悪い浮遊感がする。どこかしらから、か細いいくつもの声が聞こえる気がする。周りには何もなく、ただただ延々と漆黒の闇が広がるばかり――。

 途端に腰に衝撃がきた。

「うっ」

 地面に尻餅をついていた。顔を上げると、森と夕焼けが見える。手と尻には土の地面の感触がする。いつのまに消えたのか、余韻はあるが、あの悪寒も消えている。

「へー。これは思った以上の収穫だね」少年の声が聞こえた。「まさか本当に耐えるなんて、正直いつものようにダメだと思っていたよ。何か特別な要因でもあるのか、私としては興味深い。ただ、君が納藤君の知り合いというのは確実なようだ。この村で霊媒師に精通しているのは彼しかいない」左手に革手袋を履き直しながら少年が言った。

 一央は精一杯の敵意を持った眼差しで少年を睨みつけた。少年がこちらの視線に気づいて、大して悪びれたそぶりも見せずに言う。

「ゴメンゴメン。元の予定ではこんな強引なことをするつもりはなかったよ。私としては、このやり方はなかなかにスマートじゃないし、手っ取り早いというのはいいんだが、改善したい。ただ、今回は君に何か急ぎの用があるようだしね。パパッと終わらせたんだ」

 そう言いながら少年は倫堂屋に視線の先を移した。夕焼けがもうすでに半分、二階建ての倫堂屋の屋根に沈んでいる。少年がこちらに向き直った。

「君は大変興味深い。君ならば……」

 突然、少年が一方的な会話を中断し、真上を険しい目つきで見つめた。一央もつられて見ようとしたが、それは叶わなかった。その前に事が起こったからだ。

 少年が立っていた位置に何か巨大なものが降ってきた。土煙が盛大に上がり、一央や周りを包み込む。一央は風圧に耐えるために顔に手をかざした。小石が飛び、一央に当たる。

 一央が腕を下ろすと、立ち込める土煙になにやらゆらりと人影が映っていた。かすかに呻き声が聞こえる。

 風に流され、土煙が晴れた。現れたのは一人の青年男子。タンクトップにイージーカーゴパンツというラフな格好だが、なぜか両脚が凍っている。

 男が自分の凍った脚を見て、顔をしかめた。「うっ。他にも霊媒師がいたのか」


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