第一部 定義(18)
村上に当たる薄っぺらい月明かりが、頭上から聞こえてくる木の葉が揺れて擦れる音に合わせて形を変則的に変える。
「失うものなど、元々は何もなかった」
村上は、自分に言い訳を聞かせるかのように小さな言葉を語る。
「だが、師が、霙が、私のかけがえのない一番の大切なものになり、私は失いたくないという初めての感覚に陥ったのかもしれない。ただそれだけなのに……。なぜここまで身体を突き動かす衝動となるんだ……」
伸ばした膝上の手の平を見つめる。
「師匠を失ってからというもの、私はこの身一つ霙を救うのに生きてきたのに。あいつを救おうとすることすらできない。もう、私にできることはないのかな……。すまない霙……。もう少しだけ、……いや、もう一度、君に出会えたなら……」
端の部分だけが若干黄色くなった落ち葉が、頭上から数枚ひらひらと降ってきて、村上の開いた手の平の上に落ちた。
「……誰かいるのか?」
村上は手の平の落ち葉の茎を指先でつまむと、くるくると回した。そして、なげやりに指先ではじきとばした。
「……誰なんだ、そこにいるのは?」
朽ちた落ち葉がいくつか頭上の枝葉の間からまたも降ってきた。その中で、村上が寄り掛かる木の背後に、誰かがふぁさ、とマントのようななものが広がる音と共に降りた立つ。
「……こんなところにいた……」木を隔てた背後の誰かが言った。
「!?」
村上はその場違いに綺麗な声を聞いた途端、予想外な驚きで全身に衝撃が走った。
過去によく聞いていた声だ。
とある崇高で不良な師匠の元で、共に師事をあおいだ姉弟子。端的で女らしからぬ口調。
「……霙、だけど。覚えているかい?」
村上は俯く額を目を隠しながら押さえ、自嘲するように笑い始めた。
「ははは! 悪くない! 悪くないラストだ! ついには幻聴にまでなったが、もう別に構わん!」
村上は笑い続ける。
歪んだ口に、村上の頬を伝った一筋の涙が届く。
村上はこめかみを押さえる指に力を込め、しまいには鈍く痛みだした。
そのとき、村上の額に重たく冷たい固い物体が落ちて来て、鋭い痛みが突き刺さった。
「ぐっ!」
さらに俯いた頭に、先程の何倍もの重量の冷体がぶつけられる。
「ぐはっ!」
後頭部の辺りで冷気が収束し、空気が凍っていく音が聞こえてきた。
「くそっ!」
村上は追撃を防ぐため、その空間に向かって腕を振るった。
固く冷たいものとぶつかる。
反射的に掴み、凍るように冷たいそれを見た。
「氷……?」
拳よりやや大きめの氷が手には握られていた。
既視感がした。過去にもよく、このような事をされた記憶があった。
「ああ、なるほど」
霙だ。まだ師匠の元に二人がいた頃、村上が修行をサボっていると、よく霙はこうやって頭に氷を降らせてきていた。
「幻聴なんかじゃないよ」木の向こうの霙が言った。
村上は氷を手で遊びながら、再び木の根本にへたりこんだ。
「ああ。幻聴なんかじゃないな。懐かしいことをされた……。それに……久しぶりに会ったな、霙」