第一部 定義(17)
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村上は目の前に立つ男に殴りかかった。殴る右腕には、弾ける電流が纏われている。
男はかわす事もなくその拳を顔面に貰う。拳が深々と沈んだ男の頭が水しぶきのように散り散りに吹き飛んでいく。
しかし、男は倒れる事なく、立ち尽くしたままだ。頭を失ってなお身体は平静を保っている。
村上は自分の陰に隠すように構えていた電撃の左腕を繰り出す。狙う先は心臓。
男の右腕が動いた。
途端、当たれば必殺であろう村上の左腕が何かにぶつかったかのように止まる。
「!?」
村上は驚きが広がっていく表情を隠せない。
男の左腕が動いた。
村上は全身に強い圧迫感を感じ、直後、身体が後方へと強制的に飛ばされた。逆らえない力のベルトに、そのままゴツゴツする木に打ち付けられる。
「うッ!」
ずり落ちる村上は、衝撃で肺の中にある空気を全て吐き出す。意識が朦朧とする。空になった肺が空気を求め、再び冷たい夜の空気を吸い込んだ。
後頭部に生暖かいぬるっとしたものを感じ、ひどい頭痛がする。顔を上げた。霞む視界一杯に佇む男が割り込んでくる。
「ちょっと落ち着こ? ダメだよそんなに焦って。じゃないとオレ、あんたを殺しちゃうよ?」
ポケットに手を突っ込む男が威嚇するように顔を間近に近づけてくる。
「それとも、今死ぬ? 痛くしないからさ。多分、一瞬でパーッと逝けるよ? 死にたいならさ、今オレが殺してもいいんじゃねえの? あはっ。沈黙って、つまり了承? じゃあさ、まず邪魔なその腕からいこうか。今すぐ捻り潰してやるよ」
男は村上から離れると、ニヤリと笑った。
村上は、もう何も聞こえない。ざらつく土、月光に濡れる草花、風に揺れる空気。そして男が一人。
男は右手を片方のポケットから出すと、広げて前に出す。男の右手がゆっくりと閉じていく。
男から刺すような冷たい空気が流れてくる。死ぬような、まさに同等の空気。
静かに村上は、大木の根本に落ちたまま動かなかった。冷酷な空気が自分を少しずつなぶるように、だが確かに包んでいく。
村上は徐々に瞼を落とし、夜の世界を断ち切った。
両腕が冷たい。恐らくはしばらくすると、この腕とはおさらば。二度と使う事はない。
水が弾ける音がした。
直後、頭のすぐ横を何かが掠めて木に食い込んでいく気配。
―――死ぬ、のか……。もう、しばらくだけ、生きていたかったな。自らの命のためでは、決してない。ただそれだけが、誇りであり、心残りだな。すまない、霙……。
全身に何かが降り懸かってくる。急激な寒気に襲われ、身体が凍りつくがごとく硬直した。
瞬間、水しぶきの音と、村上の頭上を掠めて再び何かが木に食い込む気配。一つや二つではない。肩を掠め、脇を掠め、太股を掠めていく。いくつかは掠めていないものもある。
音や姿が見えないものが段々と気になり、自分の意識とは裏腹に村上は閉じていた瞳を開けていた。
嵐かと思えた。
絶対的威圧感で見下ろす男が村上の上に倒れているのを見ると、この命を縮める寒気は男の身体に触れていたためだろう。しかし、男が倒れている理由がまた、嵐と呼ぶしかなかったのだ。
弾丸の嵐。
暇なく飛んでくるそれは、男の全身を撃ち抜いては木にぶつかっていく。偶然なのか必然なのかはわからないが、村上の身体を掠めることはあっても当たることは決してなかった。
男の頭を貫いた弾丸が村上の頭の横に突き刺さり、村上は食い込んだ弾丸を見る。氷の弾丸だ。高密度の氷が弾丸の形を彩り、潰れることなく硬質な木に打ち勝っている。
「があああっ!!」
男が突然、腕を振りながら氷の弾丸の嵐に立ち上がり向き直った。
「うざいんだよおお!!」
男は胸の前で交差させた両腕を振り払い、叫ぶ。
冷たい強風が男を中心に巻き起こった。村上にも降り懸かった風は、弾丸の動きをピタリと止めて動かなくさせる。
砕けた氷が降りしきる中、男は殺気を氷の弾丸が飛んで来た方へ向かわせながら、背後の村上に話しかけた。
「少し待ってな、誰であろうと今すぐあいつの喉笛を噛みちぎって、後悔のカケラも残らないようにしてやる」
男は膝を曲げてしゃがむと、斜め前へと跳ねて行き、すぐに姿が見えなくなった。
これから一人の霊媒師と思われる人物を殺しに行った男を、じっとしたまま村上は見送った。このままこの場から動かず、逃げなければ、おそらくはあの男に殺されるだろうが。それでも村上はピクリとも動かなかった。