第一部 定義(9)
「たしかに今持って来たものはいつもと比べて変わったものですね。なぜか少しばかり冷たいですし」悠理は手元を見ながらいった。「どうするのですか?」悠理がふと顔を上げて倫を見る。
悠理と目を合わせると倫は、自分の腰の辺りの上着を捲くった。ベルトにぶら下げてあった白い手袋を取って履き、悠理の手元からそれを受け取る。
「オレが預かっておく」倫も自らの手の平に置き、柔らかい笑顔を浮かべながら悠理に話し掛けた。「どこで見つけた?」
どろどろのあれを倫が受け取り、悠理から離れたからだろうか。すぐに悠理の白かった指先がほのかに朱色を取り戻していく。悠理は所在なさげに両手を下ろす。
「ここを少し通り過ぎた所で見かけました。発見した当初はこの状態よりも少しばかり大きかったのですが。来る途中で小さくなったみたいですね」
「助かった、ありがとう」
「このような意味不明なもの、何か用途はあるのですか倫さん」悠理は背後の外に通じるドアに向き直りながら言った。
「何言ってんだ。あるさ」倫は空いている左手を腰に当て、苦笑しながら言った。「どのようなものであれ、どのような違いがあろうと、大切にしなければいけないという点は変わらない」
悠理はドアノブに手をかけた。「なんでも、ですか?」
「ああそうだ。ほら、どこか行く場所があるんじゃなかったのか?」
「帰るところです」悠理はドアを開けて外に出た。途端に多量の夕日が流れ込んでくる。
「なら村長さんによろしく言っといて―――」
一央が椅子を押しのけて突然立ち上がった。「送ろうか!?」
「結構です」悠理はキッパリと断った。
「……友人を大切にする事も必要な事だぞ」倫が軽いため息まじりに言った。
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「生物は老いていつか命が尽き、彼らの後には子が残る。そして子がまた子を産み、次へと繋ぐ。死とは恐ろしいものだが、避けて通る事は出来ない。世界はそうして巡っている―――」
夕焼けに染まる倫堂屋の階段を下り、一央と倫は帰って行く悠理を見送った。柔らかな風が吹く。
「それでもどうしてもその流れからはみ出すものがいる。そいつらは、まだ生きていたい理由があるんだ。欲、未練、義務感。オレ達霊媒師は、そういうしがらみから彼らを解き放ち、安らかに流れに戻す」
倫は手袋を履いた両手の上に乗せてある、悠理から受け取った白いそれを胸元まで掲げた。すぐに倫の手元に小さな火がともり、それを包み込む。見る間にそれは小さくなっていき、火と共にすっと消えた。
「親しい者であろうとそれは変わらない。……オレはまだ、自身の中で決心がつかないよ」
倫は腰に両手を当て、流れていく風の遠くを見ていた。
「カズ。オレが今消滅させたのが霊だ。人生を狂わす道化師―――。今のは安全地帯からはみ出した霊だが。普段なら自動的にすぐに消滅するはずなのに……」
倫は傍らの一央に向き直った。「今ここには異変が起きている。それは多分、お前がいつか直面する異変だ。もしかすると、今回の異変がそうなのかも知れない。結果として、大切な何かを失う可能性がある。お前はどうする、カズ」
一央は俯いた。なぜか一央は、倫と村上が衝動寸前のときに炎に消えた、あの何も映さない漆黒の瞳を有する青年が思い出された。
「オレも……誰かを失うのが怖い……」消え入りそうな声を絞り出す。「ならオレは、全力で、そいつを救い出す……。オレの力じゃ及ばないかも知れない。意味のないことかも知れない。だけど、オレは……諦めたくない……」一央はゆっくりと夕焼けに顔を向けた。
倫が小さく笑った。「お前ならきっとできるさ……。アリサもいるしな」
沈黙がその場を支配した。重苦しい空気を夕日が縫っていく。二人には濃い影が纏っていた。