プロローグ
かつて人類は、肉体という殻に己の魂を閉じ込めて生きていた。鼓動する肉の檻、神経という電線の束を頼りに、有限なる寿命を一歩ずつ消費していた。だが、それは遠い記憶、星々の歴史の狭間に沈んだ一つの時代にすぎない。
今や人類は、物質の垣根を越えて存在する。名もなき都市の空の彼方、数兆の演算子が音もなく脈打つ量子サーバ空間の中に、人は住まう。肉体は不要となった。眼も、耳も、手も、血管もいらない。意識は情報の波としてコンピュータの中を滑り、星々を飛び越え、光よりも速く記憶の彼方を旅している。
これは“転送意識時代(The Transfered Mind Epoch)”の始まりだ。
人々の精神は、特殊なニューロンパターンを模倣した量子モデルによって変換され、“魂の写し”として記録された。かつての身体は、ただの起動キーにすぎずなった。肉体は老い、朽ちるが、意識は壊れない。なぜならそれは、数学として、情報として、幾千万の数式の中に静かに刻まれ続けているからだ。
だが、この“永遠”には名状しがたい孤独がある。
人はもはや地を踏まない。風の匂いを感じない。生まれた星の土に還ることもできない。生命としての“死”の概念が消滅したことで、人々はある種の“幽霊”になったのだ。時間の海に浮かぶ、名もなき観測点。誰にも触れられず、触れることもなく、ただ世界を見守るだけの存在。
都市という概念も変貌した。
いま都市とは、無数の意識が重なり合って形成される「構造体」だ。それは建造物ではなく、共鳴する思考の集合体であり、個々の記憶が編み込まれた意識の繭。夜空に灯るネオンも、喧騒も、全てがかつての人間が懐かしんだ過去の再構成。皮膚感覚を模した“知覚補助層(Sensory Echo Layer)”により、彼らはまるで現実に触れているかのように世界を漂う。
ある者はそこで何千年も詩を書き続け、ある者は記憶を逆再生しながら親の声を聞き続け、またある者はただ無言で銀河の回転を観測し続けている。
一方で、意識体であるがゆえの問題も生まれた。記憶の断片化、思考のループ、自己同一性の希薄化。時には“自己崩壊現象(Dispersive Identity Collapse)”と呼ばれる病が発生し、意識は構造を保てずに微細なノイズと化す。そうなると、誰にも彼らを思い出すことはできない。音もなく、最果ての記録領域に消える。
そして、記憶だけが残る。過去へ帰ることはできないという確信と共に。
この世界に“死”はない。あるのは、“忘却”と“孤立”だ。
かつての神話は人間の誕生を語ったが、今の神話は「人がどこまで消えゆくことを選べるのか」を問う。存在とは何か。自己とは誰か。肉体という“境界”がなくなった世界で、人は今なお問いを続けている。
多世界の門が開かれたのは、そんな時代のことだった。
世界は一つではなかった。無数の枝葉に分岐し、異なる過去と未来がそれぞれの時を刻んでいた。だが、その分岐が“観測”され、干渉され、交差し、ついには一つの“最初の世界”を失わせた。すべての世界の根となる“始まりの時”は、座標として存在しなくなった。地図にない原点、永遠に辿り着けぬ起点。
このとき、量子意識存在としての人類は、あらたな航行を始める。時空と多世界をまたぎ、“かつての記憶を探しに行く旅”へと。
肉体のない彼らが、まだ“死”の意味を知っていた頃のことを、もう一度確かめるために。
彼らの名は、「航行者」。
存在することと、消えること。その境界線を旅する者たち。
量子的な波として観測され、干渉し、断ち切る者たち。
世界に“終わり”を届けにゆく者たちの、静かなる旅がここに始まる。