85 気付いたことは
またまた期間が空いてしまいすみません。完結までもう少しお付き合いくださると嬉しいです。
セラフィーネ王女とのお茶会を終え、レオノラは王城から歩いて帰路に着いていた。ベルナールにも、先に帰る旨の伝言だけ頼んで、挨拶もしていない。
馬車を先に帰らせたのは、王女の言葉について一人で歩きながら考えたかったからだ。
「もう、投獄される心配は要らないってこと、だよね…」
行き交う人々の喧騒に解けた声を追って、レオノラは街の建物を見上げてみた。王都らしい豪華な窓枠や、飾られた花をぼんやり眺めながら足を進める。
セラフィーネ王女殿下の言う通りなら、将来女王となる彼女にとって、ベルナールは嫌いな敵ではなくなった。それどころか、頼りになる宰相と思われていることになる。
あの様子なら、ベルナールの嫌味な物言いも、彼の性分として見逃して貰えそうだ。
ならば、レオノラの最初の目的は果たされた。
ベルナールと結婚したのは、彼が投獄の末に崖下へ落下するというゲーム通りの結末になるのを防ぐ為である。
そして今、その心配がなくなったのだ。
「だから、私がベルナール様の妻である必要もなくて……好きにしていい」
これまでは、たとえ夫婦間の関係がどうなっても、彼の破滅を防ぐまでは妻でいた方が良い、と思っていた。たとえばベルナールの要望で離婚するとしても、推しの安全を確保してからだ、とも。
けれど、それが終わったのだ。
そう思うと、これまで混合していたベルナールという個人と、破滅する予定の推し、という二つの見方の片方が、スゥッと消えていく。
いつも頭の片隅にあった、ゲームの顛末への不安も、同じように消化されていった。
後に残ったのは、ベルナール・ゲルツという個人に対する感情と、レオノラ自身が今後どうするかの決断だけ。
「…結婚、継続する?」
考えるとジワリと頬が熱を持ち、鼓動が早くなる。それだけで答えなど決まっているようなものだが、その気持ちに向き合うのはまだ気恥ずかしくて、レオノラは思わず足を止めた。
周りは既に貴族の邸宅が並ぶ一角で、このまままっすぐ帰ればすぐに屋敷へ着いてしまう。まだもう少し一人で考えたいレオノラは、少し考えてから、踵を返し今来た道を戻ることにした。
とりあえず目指すのは、今はゲルツ家、正確にはゲルツ夫人であるレオノラが御用達にしている仕立屋のサン・ブラムだ。
とても幸運なことに、以前までの常連が留学したことで、レオノラが利用できるようになった店。
特に用事はないが、宛もなく彷徨うよりは目的地があった方が良い。
目当ての方角へつま先を定めると、レオノラはまたベルナールのことに思いを馳せた。
こうも戸惑うのはやはり、ベルナールが急に態度を変えた所為。自分への好意はあると理解はできても、どうも納得して受け取めるところまでいかない。
レオノラが家出をした途端に、離婚しない、別れない、と言われたのだが。
「家出したから急に好きになった…って訳じゃないと思うんだけど」
ではそれ以前から好きだったのか、というのも悩ましい。今の状態であんなに分かりやすいベルナールなのだから。以前から好かれていたとしたら、もっとその兆候があってしかるべき。
「それに好きって、ちゃんと言われてないし」
呟いてレオノラは僅かに唇を窄めた。昨日の喧嘩は、告白とは認めない。
なんてことを言ったところで、この不満が気恥ずかしさからくる八つ当たりなのは自覚している。ベルナールの好意を疑ってはいないし、それが嬉しいくて仕方ないのだから。
しかし、自分の気持ちに素直になるのは、もう少し歩いて頭を冷やしてからだ。
フゥッとレオノラが短く息を吐き出すと、丁度通りがかった店のドアが開き、ベルのカランという音と共に華やかなドレスの明るい色が目の端に映った。
「あらまぁ!ゲルツ夫人。今日はどうされたので?」
「へっ?……あっ!」
ぼんやり通り過ぎそうになったところで声を掛けられ、レオノラはハッと顔を上げる。
気付けばいつの間にかサン・ブラムに着いていたようで、店主のスージー夫人が扉を開けたまま目を見開いている。
「あ、いえ。たまたま通りかかっただけで」
「まぁそうでしたの。それは失礼いたしました。私は丁度お客様をお見送りするところでして…」
「ゲルツ夫人…?」
聞きなれない可憐な声に名を呼ばれたかと思えば、スージー夫人の後ろから細身で薄い緑のドレスを纏ったご令嬢が歩み出てきた。
少しクセのある茶髪とおっとりとした青い瞳が、素朴な可愛らしさを醸しだす若いご令嬢だ。
彼女の登場で一瞬沈黙が走った空気を、ご令嬢の期待する様な視線を向けられたスージー夫人が破った。
「ゲルツ夫人、ご紹介してもよろしいでしょうか?」
「えぇ。勿論です」
「ありがとうございます。こちら、エルマル伯爵家のご令嬢、シャーリー様です」
「レオノラ・ゲルツと申します。どうぞよろしく」
身分が上のレオノラが先に声を掛ければ、シャーリーと呼ばれた令嬢は嬉しそうに淑女の礼をした。
「シャーリー・エルマルと申します。この度はゲルツ宰相様に大変お世話になりまして、心より御礼申し上げますわ」
「……??」
なんのことだ。と、レオノラは内心焦る。ベルナールの仕事を把握していないので礼を言われても困るのだが、何も知らないとご令嬢の言葉を突っぱねるのもいかがなものか。
そんな気持ちが顔に出ていたのか、スージー夫人が助け舟を出してきた。
「エルマル嬢は留学先でドレスをお作りになられるそうで、参考にしたいと以前までの採寸表を取りにこられたのです」
「はい。私が特別交換留学生として帝国に行けたのも、ゲルツ宰相様が推薦してくださったおかげです」
そこまで言われてレオノラは思い出した。たしか、レオノラの前にサン・ブラムを利用していたのが、中立派のエルマル伯爵家のご令嬢ということではなかったか。その時はレオノラはこの店を使うことを諦めたのだが、シャーリーが留学した為、新たな常連の椅子に滑り込むことができた。
「…ん?ベルナール様の推薦?」
「はい。突然のことで、留学生枠まで増やしていただいて。私には、帝国への留学に選ばれる特技も無かったのに。でも今は、留学して初めて絵画の勉強をしたら面白くなってきて。鑑定士になりたいと思えるようになったんです」
「……???」
新たな夢を見つけ、そのきっかけを与えたゲルツ宰相への感謝で胸を高鳴らせたシャーリーはそういうが、レオノラは頭に疑問符が浮かぶなかりだった。
記憶ではたしか、既に芸術方面に長けているということで留学生に選ばれたのではなかっただろうか。
「父も、名誉なことだと大変感激しておりまして。いずれなんらかの形でご恩返しさせていただくと、申しております」
「い、いいえ。エルマル嬢の才能があったからこそですわ。ですが、そう言っていただけるのは、夫も大変心強いかと」
エルマル嬢も、きっとこの会話を聞いているスージー夫人も、彼女の留学はゲルツ宰相の計略で、派閥の権力闘争の副産物だと思っているのだろう。
しかし、今のレオノラにはそうは思えず。話が決まった時期や状況。ニクソンに初めて、サン・ブラムの予約を取ったと言われた時の会話を思い出せば、何かピンと来るものがあった。
(これは、すぐ帰ってニクソンさんに聞かなきゃ)
きっと全てを知っているだろう老紳士執事の顔を思い出し、レオノラはジワジワと熱くなる頬をそっと抑えた。
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