76. 観劇中
久しぶりの更新になりますが、どうぞよろしくお願いします。
王都の中心に古くからあるのは格式高い中央劇場だが、西劇場は二十年程前に建てられたばかりだ。だからか、大きさと荘厳さでは劣るものの、建物の煌びやかさは勝っている様に見える。
ピカピカと派手に天井や装飾が輝く劇場にレオノラ達が足を踏み入れた途端、観劇に訪れた貴族や商人達で賑わうロビーがシンと静寂に包まれた。と同時にギョッとして四方から向けられた奇異な視線に、レオノラは咄嗟に込み上げた悲鳴を飲み込む。
(まぁこうなるよね)
頬が引き攣るのを堪えるレオノラの横には、しっかりエスコートするベルナール。その緑眼はスッと細められ、温度を感じさせない視線が劇場のロビー内に冷たく光っていた。
ジロジロと視線を送っていた野次馬も、射殺されそうな程鋭い眼光と目が合うと、顔を青褪めてサッと視線を背ける。それでも、蛇宰相が派閥の貴族ではなく、妻を伴って劇場に訪れるとは何事だろうか、と気になるのだろう。ヒソヒソと互いに囁く音がそこかしこから聞こえてきた。
そんな状態にレオノラが冷や汗をかいていると、こちらを伺う集団の中から一人、ちょびとした髭を鼻の下に生やした男性が一歩踏み出してきた。
「これは、ゲルツ宰相殿」
声を掛けられたベルナールが足を止めたので、レオノラもちょび髭の男性と向き合おうとした瞬間、グイとエスコートされた腕を引かれて、ベルナールの背に隠されてしまった。
「またこれか」と内心で苦笑を漏らす間に、ベルナールがフッと口元に薄く笑みを乗せて挨拶を返していた。
「オーラン殿、奇遇ですな」
「いやはや本当に。今夜はどちらの方とお会いに?なにか面白いお話があるなら是非私も…」
「今夜は妻と楽しむつもりで、席を譲って貰ったのですよ」
言葉を被せてきたベルナールに、男性は面食らったように目を瞬いた。
「え!?あ、ハハハ、それはそれは…えぇ。結構で…」
愛想よく笑うちょび髭の男だが、目には困惑と疑いの色がありありと浮かんでいる。蛇宰相が、接待や会合以外でこんなところに来るなど、信じられる筈もない。
蛇宰相が妻を隠れ蓑にしてまで会合する相手は誰なのか、気にはなるがこれ以上追及すれば不興を買うだけだと諦めたようで「それでは良い夜を」と挨拶だけ残し去っていった。
その姿を見送る間もなく、またベルナールはスッと冷たい表情に戻ると、何事も無かったかの様にまた歩き出す。
(はぁぁぁぁ、かっこいい!)
招待されたボックス席までエスコートの腕に導かれる間、レオノラはその冷めた瞳から目が離せなかった。
これまでエスコートされた王城の舞踏会では、ベルナールは薄い愛想笑いをずっと貼り付けていた。
しかしここでは気を使うべき相手が居ないからか。周りを見下すような、鬱陶しいと牽制するような、そんな顔を真横から見たのは初めてのことである。
ボックス席の扉が背後で閉められ、完全に二人きりになるまで、ずっとレオノラは見惚れていた訳だが。
「…なんだ?」
「え?」
「ずっとこっちを見てきて…何か言いたいことでもあるのか?」
そんな風に聞かれれば、レオノラは一瞬だけ悩んだ後に、素直に答える。
「ベルナール様があんまりカッコよくて素敵だったので、見惚れてました」
「はっ!?」
首が外れたのではと思う勢いでグルリと首をこちらを向けたかと思えば、エスコートで繋いでいた手を振り払われ、距離を取られてしまった。そのまま払った手で口元を隠しているが、覆っていない目元や耳が、薄暗い中でも分かるほど赤い。
(……これは、照れてる…でいいんだよね)
ペッ!と払われてしまった手とベルナールを見比べながら、手を閉じたり開いたりしてみる。
折角ならまだ手を繋いでいたかったが、照れ顔が見れたので良しとするか。
諦めてレオノラが室内を見渡せば、ゆったりと座れる一人掛けのソファ席が幾つか用意されていた。
未だ赤い顔でモゴモゴと何かを呻いているベルナールを手で促しながら、レオノラはさっさと席に座る。
「座りましょう。もうすぐ始まっちゃいますよ」
「……あ、ああ」
そのままベルナールが後ろの席に座ろうとしたので、少しだけ視線を鋭くして隣を指し示すと渋々といった様子で従ってくれた。
そこで漸く二人とも落ち着いたので、レオノラはホッとしながら、席に置かれていた今夜の上演案内を広げる。
恋愛劇らしさを感じる桃色の花が一杯に描かれた表紙を捲れば、本日のあらすじの部分に目を通す。
「…え!?」
「どうした?」
「あ、いえ!なんでもありません」
レオノラの驚いた声に反応したベルナールから、隠すように慌てて冊子を閉じた。
咄嗟に否定してしまったが、何と説明したものか、レオノラの背に嫌な汗が流れる。
(…これ、悲恋ものじゃない!)
金文字で装丁された冊子には、この芝居がいかに感動的な悲恋か、情緒たっぷりに語られているのだが、果たしてベルナールはこの事を知っているのだろうか。
気になってチラッと視線を向けると、ベルナールは椅子に座りながら、真っ赤なボトルを開けているところだった。
元から部屋に用意されてあったようで、ワイングラスに赤い液体がトクトクと注がれていく。
「…飲むか?」
「え゛っ!?」
思わぬ気遣いにレオノラが飛び上がれば、途端にギロリと睨まれた。一瞬バツの悪さを覚えるが、それ以上機嫌を損ねないよう「ありがとうございます」と慌てて受け取る。
レオノラがグラスに口をつけるのを見届けてから、ベルナールも自分のグラスにワインを注いでいた。
その後は、ワインやレオノラの間で視線をチラチラと彷徨わせるばかりで、劇の案内冊子には触れようともしていない。
どうやら劇自体に興味がある様ではなさそうだが、そうなるとレオノラとしてはどうするべきか悩ましいところだ。
(いや、悲恋でも恋愛ものだし、デートとして良いんだけど)
たしかに、初デートで悲恋ものを見るのは微妙かもしれない。が、そこは大した問題ではなく、本当の心配事は別にある。
(……私、起きてられないかも)
はっきり言えば、悲恋ものはレオノラの好みから外れていた。
今流行りの悲恋ものといえば、丁寧に描かれる過去背景と、関係性が進むようで進まないもどかしい展開の後、最後のクライマックスに二人が別れることになる。というのが、主流だ。
案内書を読む限り、今夜の舞台も例に漏れずその流れのよう。
それが流行りだし、好きな人の気持ちも分かるのだが。レオノラとしては、なかなか進展のない話でどうしても眠くなってしまうところなのである。
不安に思うなか、非情にも舞台は幕を開けたのだが案の定、まだ序盤の段階でレオノラは強い眠気に襲われた。
(長い…村の生活が退屈ってだけのシーンなのに、長いよ)
主人公が語る、故郷の暮らしは退屈だが平穏で、刺激もないがこれといった不満も無い。という訴えの場面がずっと続いている。
田園風景を思わせるオーケストラの音楽が、子守唄に聞こえてならない。
自分は眠気が限界に近いが、ベルナールは楽しんでいるのだろうか。
気になったレオノラが僅かに首を動かして様子を伺ってみると、ベルナールも同じ気持ちだったのか、椅子に座ったままコクリコクリと船を漕いでいた。
(あ、寝てる)
思わずジッとその寝顔を観察し、眠っていても薄っすら眉間に皺が寄っていることに気付くと、レオノラも笑いが漏れてしまう。
そういえば、彼は今夜の為に随分と無理をしていたのだった。
(そりゃ眠くなるよね)
ベルナールも眠いのなら、お互い様ということで良いだろう。と、レオノラも少しだけうたた寝をすることに決め、柔らかな椅子の背凭れに身体を預ける。
少しだけ寝て、次に起きた時には、きっと劇の方も少しは展開が進んでいるだろう。と、考えながら、緩やかなオーケストラの音色が耳を撫でる中でそっと瞼を下ろした。
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