7. 覗き穴
せっせとレオノラがノコギリだのトンカチだの大工道具を動かして五日。ようやくそれが完成した。
使用人部屋の方に人が入れるほどの大きな穴を開け、応接間の壁までの空間を作る。その応接間の壁に裏から絵の高さに合わせて小さな穴を二つあける。絵の中の騎士の目の部分だけ、はみ出ない様にキャンパスごとくり抜くのは一苦労したが、なんとかなった。
途中で様子を見に来たニクソンは絶句していたが、執事の立場で女主人に逆らうことは出来ず。レオノラが黙っていてと頼めば、彼はそうせざるを得ない。最終的に何も見なかったことにしたらしく、この部屋に近付かなくなった。
そしてなんと幸運なことか。完成したその日に来客があるなんて。
『本日はお客様がいらっしゃるとのことでしたので、奥様にも応接間に近付かぬよう言付かりました』
『お客様なら私もお出迎えした方が良いんじゃ?』
『我々使用人も最低限お出迎えするのみで、来客中は人払いをなさるので……。奥様も、どうか、お部屋でお寛ぎください』
今朝からそんな風にニクソンが言うなら、それこそ今日は当たりだ。
絶対にゲス顔が見れるのである。
普段は王宮にいるベルナールも昼から帰宅している。出迎えたときも、くぎを刺す様に物凄く睨まれたので間違いない。
推しのゲス顔を見たいが為にレオノラは、来客が来る二時間前から覗き穴の前で待機していたのだ。
しかし……
覗き穴から見た応接室のベルナールは、壮年の男性と向き合いながらゲス顔、ではなく不機嫌そうな顔をしていた。
ソファの位置的に、客人は背中しか見えないが、長めの癖毛が頭の後ろで跳ねている。
「…つきましては、私めの息子を、財務部第二室副室長に推薦していただきたく」
「ほぉ…」
「勿論、お礼もご用意させていただいております」
癖毛を跳ねさせた男が、鞄から両手で出した木製の箱をテーブルの上に置いた。蓋が開けば中からはキラリと金色の光が輝く。
見てわかる通り、賄賂である。
賄賂で人事を融通してもらおうという、なんとも分かりやすい悪役的な展開に、レオノラはベルナールの悪い顔が見れるかと期待を膨らませる。
しかし、肝心のベルナールは変わらず不機嫌そうな顔だった。
「貴殿の息子といえば、随分と奔放でいらっしゃるようだな…特に、学生時代から同級生相手に詐欺行為を働いて、何度も問題になっている」
「はっ!?あ、いえ、あの…その。そ、それは…は、はぁ…ですが、宰相様に推薦していただければ、きっと心を入れ替え…」
「詐欺にあけくれて、成績も振るわなかったそうだな。卒業も危ぶまれたのを金でなんとかしたとか?」
「は、はぁ…いや、それは、その…」
男は慌てふためくが、その理由は息子の非行を言い当てられたからではない。それをあたかも不機嫌そうに指摘してくる宰相の、真意が分からないからである。
この男は、見返りの為に人事の融通をしてきた蛇宰相で間違いない。本人こそ、清廉潔白とは縁遠い人間な筈が。
「あ、あの…宰相様が品行方正な者を求めていらっしゃるとは、その…考えが及びませんで」
納得いかない気持ちから、多少口調が嫌味っぽくなった男の言葉に、ベルナールの眼光がギョロリと光った。
「私が求めている訳ではない。だが、明らかに問題のあるバカを起用する私のリスクを、貴殿は理解しているのかと聞いている」
「はっ!?あ、あぁ、あの…?」
「そんなリスクを負って、見返りがこれでは割に合わない。伯爵風情に、随分と舐められたものだな」
「ひ、ひぃぃ!あ、あの、その!こ、これは~~っ」
「田舎の行政にでも監視付きで放り込めれば御の字だというのに、王宮の財務部だと?これ以上ふざけた話で私の機嫌を損ねたくなくば、とっととお帰りいただこうか?」
青筋まで浮かべて踵が床を叩く様子に、癖毛の男は大蛇に睨まれた兎の如く、短い悲鳴を挙げながら転がり出るように逃げ帰ってしまった。
一方部屋に残されたベルナールは、チッと短く舌打ちしてからガツガツと乱暴な足音をさせて部屋を出ていく。
その様子を息を呑んで見守っていたレオノラだが、扉の奥にベルナールが消えていくのを確認すると、その場にガクッと蹲った。
な、なんだろう、あれは。かっこよすぎる。心底苛立った感じの怒り顔が、なんとも素敵に見えて仕方ない。
あの、本当に蛇が怒っているかのような顔とギョロリと光る目で睨まれれば確かに怖い。しかし、その怒りの対象が自分でないなら、気持ちは既に鑑賞モードだ。
あの表情でこれだけ衝撃なら、目当てのゲス顔を見たらどうなってしまうのか。
ドキドキする胸を押さえながら頬に熱が溜まるのを感じる。
もしレオノラが何に惚けているか知れば、ニクソンは間違いなく医者を呼ぶだろう。それほど恐ろしく、また背筋を凍らせる不気味さをもったベルナールの怒り顔を思い出していたレオノラだが、暫くしてから漸く立ち上がった。
今日ベルナールがこの時間屋敷にいるのなら、今夜は夕食を共にできる。
きっと暫く機嫌は直らないだろうから、苛立った顔の彼を間近で眺められるチャンスだ。
降って湧いた名案に、レオノラは早速上機嫌でベルナールの執務室を目指したのだが…
「ベルナール様!お夕食を一緒に…」
「私に話しかけるな!」
ノックした扉越しに怒鳴り声が響いた。
「そんなことおっしゃらずに。折角お屋敷に帰ってるんですから!」
「ニクソン!その頭の可笑しい女をとっとと連れていけ!」
主人の癇癪と、それをものともしない女主人に、この世の危機を恐れたかのように駆け付けたニクソンに懇願されてしまう。
「奥様…どうかここは。旦那様のご機嫌は、我々にもどうしようもなく…」
非礼は詫びるから、と頭を下げられて、レオノラは小さく息を吐き出す。
不機嫌なベルナールの取り扱いは、もう少し研究が必要なようだ。レオノラは仕方なく、怒り顔の夫を鑑賞しながらの夕食を諦めた。