6. 治安の良い設定
『ニクソンに聞け』としか言わないことは予想通りで、朝に引き続きますます彼が可愛く見えてきた。
作戦通り、としたり顔のレオノラは、同じく廊下に取り残されたニクソンに向き直る。
「旦那様から許可は貰いました。模様替えしても良いですか?」
「は、はぁ……では、そのように…」
一連の流れに、ニクソンは内心大いに迷った。新しい女主人の要求をどこまで飲んでよいものか。
長く侯爵家に仕えているニクソンは知っている。ベルナールが長年貴族女性方からどんな目を向けられてきたのか。蛇っぽい容姿とプライドの高さは幼い時からのもので、それ故に冷たい目で見られることが多い。しかも王宮で派閥と権力に物を言わせる姿勢もあって、かなり嫌われている。
もういい歳だというのに浮いた話一つないのもその所為だ。
だからこそ、新しく来た妻もベルナールを嫌っているのでは、とニクソンは不安だった。
冷え切った夫婦生活が目に見えるようで、何度か主人に進言もした。結婚するならば奥様を大事にしろ、と。
しかしベルナールは鼻であしらうだけ。あまつさえ破綻した夫婦関係前提で、邪魔にならなければなんでもいいと言うのには頭痛がした。
だから驚いたのだ。昨日嫁いできたレオノラが、一度も嫌悪の表情を浮かべないことに。しかも朝食を共にしたいと言ってベルナールを丸め込んでしまった。
このご令嬢ならベルナールと上手くやってくれるのではと希望が湧いてきたものだ。
なのでニクソンとしては、絶対にレオノラに逃げられる訳にはいかない。
その為には、望みとあらばなんだろうと叶えるつもりではある。が、それをあの主人がどこまで許容するだろうか。
「使用人をお使いになられますか?それとも、ご希望の職人などをお呼びいたしましょうか」
「それは全部一人でやるので、大丈夫です」
「……は、はぁ」
貴族婦人が一人で模様替えとは、一体何をする気だというのか。
ニクソンの不安な胸中には気付かず、レオノラは許可は貰ったから、と早速明日からの”模様替え”にニンマリと口の端を吊り上げ、ホクホクと自室へ足を向けた。
「あ!でも、大工道具だけ、貸してください」
「……承知いたしました」
困り顔で頭を下げるニクソンに見送られながら、レオノラは自室の扉を潜る。
深く突っ込まないでいてくれるのは、流石老執事紳士だ。
困らせることに若干罪悪感は覚えるが、そうも言っていられない事情がある。
レオノラにはやるべきことがあるのだ。それは、夫ベルナールの監視と管理。ゲームの終盤で悪事が露見し、捕まるも脱獄し、崖下に真っ逆さまになるエンドをなんとか防ぎたい。
ベルナールの悪事を止めさせるのは無理だろうが、彼がどんなことをやっているのか、知る必要はある。
「といっても、そう大した事じゃなかったよな~」
レオノラは部屋のソファに身を沈めながら、ゲームの記憶を手繰り寄せた。
Love Melodyは非常に治安の良いゲームだった。
舞台となった国は戦争もなく、割と温厚な人が多い。ベルナール以外は人が死ぬこともなく、王宮の中でとびきり不幸な事件も起きない。
ゲームの断片から読み取れた彼の悪事といえば、宰相の地位で国政や人事を好きにしていたということ。しかしそれだって、ゲームの中の国はいたって平和だった。
悪政に苦しむ民もいないし、ベルナールとその配下が己の私腹の為に国を不幸にしている、という描写もない。
たしかに彼はヒロインを手に入れようと迫ってくるが、ヒロインが怪我をするような危ない展開もなかった。
悪役宰相といえば、国王暗殺とか奴隷売買とか国家転覆とか。前世の数あるコンテンツからそういうものが頭に浮かぶが、こと今世についてはそういう危険は恐らくだが無いと安心していい。
「ずっと治安は良いよね。ゲームの時は考えてなかったけど、今は理由もちゃんと分かるし」
それはひとえに、国王の存在が大きい。
今、レオノラもこの国に生きているから理解しているが、国王の存在がとにかく大きいのだ。
国王と、そしてその後ろにいる“帝国”の皇后様が。
この国だけでなく、周辺諸国を圧倒する国力、文化、人口を誇る『帝国』。その帝国の皇后様は、この国の王の祖母にあたる。
御年八十歳になった現在も元気に帝国を支配している皇后様は、6人の子を生み、内4人が周辺国と姻戚を結んだ。
その一人がこの国の先代の王妃であり、現国王は帝国皇后様の孫。
「そして、ヒロインはひ孫ってことよね」
しかも皇后様は「御聖母様」と称されるほど、家族を大事にしている。孫にもゲロ甘で、王国と帝国の関係はとても良好であり、帝国からの支援による恩恵は大きい。
つまり、皇后様が国王の圧倒的後ろ盾として国内に睨みをきかせているのだ。
今の帝国との関係には、国王の、つまり帝国皇后様の血筋が影響するところが大きすぎる。
もし万が一にでも国内で謀反でもあれば、帝国が軍隊を引き連れて報復に来るのだ。王族の不審死もしかり。怪我ひとつでも国が揺らぎかねない。
故に、御聖母様の血を引き、更に人格者な国王が居る限り、この国は平和で、ベルナールの悪事も派閥争いはあっても、国を揺るがす様な事にはならない。そして彼はきっと、その類いの悪役なのだろう。そうであることを強く願う。
流石に、人身売買とかを現実で見てしまったら、推しへの愛も冷める自信がある。あれは二次元だからただの設定として許容できたのであって、リアルでは無理。
だからこそその分、ヒロインへの執拗な粘着と攻略対象達への嫌がらせに振り切られるのか。
死亡エンド回避の為にヒロインへのストーカー行為は止める必要があるが、それ以外でレオノラが阻止すべきベルナールの悪事があるのか。
「まぁ、たぶん無いでしょ」
楽観的とは分かりつつ、心配してもどうしようもない。
そしてなにより、監視の為の覗き穴からは、ベルナールの顔が見放題なのだ。
つまり、趣味と実益を兼ねている。これほど完璧な計画、実行しない手はない。
明日からの覗き穴製作に胸を躍らせながら、レオノラは結婚生活二日目の夜の眠りについた。