55. ダンスの教育係
イベントの発生の為に、どこかでベルナールが王女殿下とアレクの元へと向かうと思っていた。なのに、レオノラの手を取ったまま、他の貴族と話し込んでしまうベルナールは、一向にその気配を見せない。
よもや蛇宰相の登場をすっ飛ばして、さっさと王女殿下とアレクで抜け出してしまわないだろうか。不安になり確認しに行こうとしても、グイグイ手を引かれてそれも叶わなかった。
一人と話が終わり、次の相手を探す間に、手を離して貰おうとしてもぜんぜん上手くいかない。
「ベルナール様。私、知り合いに挨拶を…」
「知人など居ないだろう。余計なことをするな」
「じゃ、じゃああっちで飲み物を…」
「さっき飲んだだろうが。まだ足りないのか」
たしかにさっきも飲んだが、その時もずっと手は掴まれたままで、離れられなかった。
レオノラの行動は不機嫌そうなベルナールに阻害されるが、そろそろ本当に王女達の様子を確認したい。
「ベルナール様。私達もそろそろ王女殿下にご挨拶を…」
「必要ない」
「えっ!?そんな訳には…ご挨拶くらい」
「必要ないと言っている」
そんな訳あるか、とレオノラは内心思い切り突っ込んだ。王女殿下のお披露目の会で、本人に挨拶しない宰相がどこにいる。
「今日はあくまで、王女殿下と初対面の者の為の場だ。私は今朝も段取りの確認の為に会っている」
「そ、それは……そう、でしょうけど」
「なんだ?そんなにフェザシエーラの小倅と会いたかったのか?」
「え?いや、王女殿下への挨拶の話をしてるんですが」
小さく言い合いをしていると、レオノラ達の背後に誰かが立った気配がした。
「ゲルツ宰相殿。侯爵夫人」
「………………………これは、王女殿下にフェザシエーラ公爵令息殿」
後ろから声が掛かった瞬間、ものすごい、まるで蛇を通り越して鬼のような形相になってから、表情を作り直し、平静を装って振り返るまで数秒。
ベルナールの表情変化の一部始終を見てしまったレオノラは、唖然とした。
「我々にまでお声掛けくださり光栄です。ですがよろしいのですか?今宵は他に、王女殿下に目通りが漸く叶い、お言葉を望んでいる者が列を為しているのでは?」
ベルナールが口の端が僅かに上がった嫌味な笑みを浮かべる。
「王女殿下が、侯爵夫人と是非挨拶がしたいと」
「えっ!?私、ですか?」
レオノラが驚いて声をあげれば、セラフィーネ王女が微笑みながら一歩前に出た。
「ゲルツ侯爵夫人にずっとお礼を申し上げたくて。先日はお気遣いいただき、ありがとうございました」
「そっ…!」
「そんなこと良いのに!」と恐縮しそうになったレオノラだが、王女の完璧な所作を前に、自身も姿勢を正すべきだと考え直す。
「勿体無いお言葉です。王女殿下がご壮健であられることが何より大事ですので」
倒れるほど無理はしていないと思いたいが、今日の足はマメだらけの筈だ。心配のつもりでレオノラは口にしたが、横のアレクの視線が一瞬だけチラリとセラフィーネ王女の足元へ下がったのを見逃さなかった。
この短期間で、田舎貴族の娘から、王女としての所作を完璧にするほどの努力は天晴れだが、やはり無理をするところは心配になる。
というより、それをアレクは分かってないのだろうか。
「そういえばフェザシエーラ様。以前図書館で借りてらっしゃった本の件は、どうなりましたか?」
なんのことか分からないだろう王女には悪いが、ダンスという言葉は避けて聞いてみる。するとアレクも察したのか、瞳に少しだけ憂いの色が滲んだ。
「それに関しては、またいずれ。成果をご覧いただける機会は近々あるだろう」
違う。王女を無理させてはいないか、と聞きたかったのだが。しかしお披露目の場で、あまり突っ込んで聞くのも良くないか。
レオノラは諦めて引き下がろうとしたが、横のベルナールがフンと鼻を鳴らしたのだ。
「いずれ、などと随分と無責任な発言ですな。やはり殿下のダンスの教育は、フェザシエーラ公爵令息では力不足だったのでは?」
ビシリと空気が凍った。
ヒッと王女が息を呑む音が聞こえ、アレクの瞳がキッと剣呑に光る。その横でレオノラはサァッと顔を青褪めさせた。
(なんで今のでダンスのことだって分かったのよ!え、偶然?話題が飛んだ?それよりなんでそんなこと言うのよ!)
ベルナールが図書館で自分達の会話を聞いていたとは知らないレオノラは、内心で思い切り頭を抱えた。
なんでこうも嫌味たっぷりに、悪役の様な台詞を言うのだろうか。あぁ、悪役だからか。
レオノラが内心悲鳴をあげている間にも、ベルナールは更に口の端を歪める。
「っ!?」
その、悪役の本領とばかりの嫌味な笑みに、レオノラは思わずドキッとときめいてしまう。だものだから、ベルナールを止めるのが一瞬遅れたのだ。
「まったく身の程を弁えずに口を出し、余計なことを…王女殿下。今後はやはり、私の紹介した者を練習相手に。技術も身分も申し分無い男を用意しますので、ひいては次の夜会のエスコートもその者に…」
「ベルナール様!!」
悪くなり続ける空気をレオノラは咄嗟に声を上げて打ち消した。
ベルナールはアレクを攻撃しているつもりかもしれないが、普通に王女にもダメージが行く。自分の所為でアレクが責められ、クビにされそうになっているのだから。
しかし、咄嗟に割って入ったものの、レオノラは次の言葉に詰まった。
「え、えっと…あの…」
何を言えば良いだろう。
このまま無理やりベルナールを引き離すだけでは、ただただ不自然だ。
そもそも、ベルナールの言い方が良くないのが悪い。あんな刺々しい、嫌悪を隠しもしない嫌味をつらつらと…
(あっ!もしかして、嫉妬か!)
ハッと浮かんだ考えだが、その可能性がとても高い。好きな王女殿下と、懇意で今夜のパートナーまで勤めているアレクに、嫉妬する故の言葉ということも十分有り得る。
好意を拗らせて言葉が悪くなるというのは、まさに悪役らしい役回りではないか。
その可能性を視野に入れると、レオノラの今後の展開の為に頭が回転し、すっと息を小さく吸い込んだ。
「フェザシエーラ様のダンスの腕はとても素晴らしいのですよ。折角なので、お見せしましょう。いかがですか、フェザシエーラ様」
「はっ?」
アレクが首を傾げて疑問の声をあげた横で、「はぁ˝っ?」ともっと低い声も聞こえた気がしたが無視だ。
レオノラは、三人から向けられる驚きの目を受け、ニッコリと微笑んだ。
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