53. 引越し拒否
嵐の様にベルナールの訪問があってから、レオノラは複雑な感情をどうにか飲み込もうとしていた。
それは朝食の席でも変わらず。ベルナールと顔を合わせるのは気まずかったが、一緒に朝食を摂ると言い出した手前、諦めて席に着いていた。
とはいえ表情に出ぬよう、必死に平静を装う。
ベルナールが思い切り顔を歪めて去ったあと、レオノラは思わずケイティと顔を見合わせていた。その時は言葉にしなかったが…
(ケイティの予想、当たってた……の?)
口に運んだポタージュが苦くなった様に感じられて、レオノラは無理やり飲み下した。
あり得ないと思っていたが、そう考えるとベルナールの妙な反応にも合点がいくのだ。
(本当に帰ってくれて良かったぁ…だって無理だもんね)
レオノラはそのことに何度も安堵で胸を撫で下ろした。
どう考えても、あの流れでそのままベルナールと初夜を迎える気には到底なれない。そもそも、そういう関係になる想像すらつかない。
それは、ベルナールもお互い様な筈。むしろ気になっているのは王女殿下だろうに、なぜ突然あんなことを言い出したのか。
そんな疑問が頭を巡る中、一つ思い当たることがありレオノラはわずかに眉を寄せた。
つまり、王女殿下への突然の恋心から急に湧いた欲望の、捌け口にされたのではないか、ということ。
捻くれた考えだとは思うが、それ以外にどんな理由があるだろうか。
レオノラが思考を飛ばしていると、その横から低い声が投げかけられた。
「おい、聞いているのか」
「え?あ、ごめんなさい。なんですか…?」
聞き返されたのが不満だったのだろう、声の主であるベルナールが眉間の皺を増やす。
「だから!部屋を移れと言ったんだ」
「…………へ?」
厳しい視線のベルナールの言葉が理解できず、レオノラは思い切り首を傾げてしまった。
「あの、どういう意味ですか?」
「今日から私の隣…侯爵夫人の部屋に移動しろ」
昨日の今日でそう言われれば、さすがのレオノラもその意味を察する。
すかさずレオノラはキッパリと「嫌です」と断った。
言い返されたのが余程意外だったのか、途端にベルナールの目が驚愕に見開かれた。
「今の部屋が気に入っているので、引越しなんてしたくないです」
「…内装なら好きに変えろ」
「窓からの景色も好きなんです」
「庭師になんでも言えば良い」
「ベッドの寝心地が…」
「家具は全て入れ替える」
やんわりと断る為の言葉を選んでるというのに、これでは埒が明かない。普段ほとんど喋らないクセに、今日はまるで別人かのように饒舌に返される。
しかし、幾ら推しであっても、今の二人の関係性で肌を許すほどレオノラは割り切れないので、ここで引くつもりはない。
「部屋を変わる理由が無いので、お断りします」
少し語気を強めて言えば、ベルナールが口の端を苛立ちに歪めた。
「女主人の部屋を使うのは、妻として当然のことだろう」
「でも今まで何の問題もありませんでしたよね」
ぴしゃりとした反論にはベルナールも「うっ」と短い呻き声で怯んだ。そのまま口を閉じて固まってしまったので、レオノラもとりあえずまた食事に戻る。
拒否の意思は伝わったらしい。
レオノラが野菜の彩りが眩しいサラダにフォークを向けると、また低い声が響く。
「家具を……」
「はい?家具…?」
なんのことだと顔を上げれば、ベルナールが視線を食卓に落としたまま続けた。
「家具を全て新調する。ソファも、テーブルも、寝具も…全てオーダーメイドで、好きな様に注文しろ。国内だけでなく、外国の店でも良い……それならどうだ。部屋を移る気になるだろう」
「はいぃぃぃ!?」
急に何を言い出すのだ、と驚きでフォークを見当違いの方向へ突き出してしまい、皿からトマトが飛び出していった。
コロンと転がるミニトマトを視線で追いながら、レオノラは唖然と口を開いてしまう。
家具を全てオーダーメイドとは、何故そんな考えになるのか。そんなことをしたら、とんでもない金額になるのに。
驚くレオノラの頭に、ふと別の考えが浮かぶ。
(何か、そこまでする事情があるの…?)
もしや、何かのっぴきならない事情があって、部屋の移動を命じたのだろうか。昨日のベルナールの訪問も、それが関係しているのか。
夜の捌け口にしようとした、というのはレオノラの勝手な決めつけだったのでは。
浮かんだ可能性に内心で昨日のことを反省し、とにかく事情を聞こうと決めた。
「どうしてそこまで部屋を移動させようとするんですか?何か、問題が起こったんですか?」
先ほどまでの、僅かに棘を含んだ声ではない。純粋に事情を聞こうとする穏やかな声でレオノラがベルナールの顔を覗き込めば、ベルナールがグッと眉を思い切り寄せた。
「それがつ…妻の義務だからだ!」
吐き捨てるようにそう言ったベルナールに、レオノラはガックリと肩を落とした。
昨日のことは何か誤解だったかもしれないと思い直したのに。
理由をちゃんと説明する気も、レオノラの理解を得ようという気も感じられない。
事情があるのかもしれないが、その説明がないのなら、自衛と精神衛生の為に拒否しよう。と、レオノラは再度「嫌です!」と、今度は更に強めに言っておいた。
途端にベルナールが、見た事のないような悲壮な顔をしてきたが、それも無視し、レオノラは頑として譲らなかった。
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