51. 図書館
どこへ行こうか悩んだレオノラは、しばらく王城の中をうろうろ歩き回った末、最終的に図書館へ向かうことにした。
特に目的があったわけではない。ただ、フラフラと歩き回りすぎて衛兵たちの視線が痛く感じてきた頃、いちばん近くにあったのが図書館だったからだ。
びっしりと本が詰まった大きな棚が、整然と何列も並んでいる。レオノラも何度か訪れているが、その規模はあまりに広大で、どこに何があるのかさっぱり分からない。
吹き抜けになった中央通路からは、上階の棚まで見渡せる。天井付近の高窓から差し込む柔らかな陽光が、本の背表紙に穏やかな陰影を落としていた。
所々で仕事中の司書に聞きながら、レオノラは貴族名鑑が並ぶ棚へと足を向ける。
折角だし、今度の舞踏会で会いそうな貴族でも確認してから帰るか。そう思って棚を目指して歩いていると、視界の隅にキラッと輝く何かが映った。
「えっ?」
驚いて視線を向ければ、室内だというのに煌めく金髪が発光しているように眩しい、アレク・フェザシエーラが棚の間を歩いていた。
レオノラの視線に気付いたのか、アレクもこちらを振り返る。
「ゲルツ侯爵夫人?」
「ごきげんよう、フェザシエーラ様」
「…そういえば、今日はゲルツ宰相への差し入れの日だったな」
「ご、ご存知だったのですね。お恥ずかしいですわ」
レオノラの差し入れは週に二回、決まった日に持ってきている。別に隠していることでもなく、最近は案内係や宰相室周辺の衛兵にとっても当然のこととなっているが。まさかそれがアレクにまで把握されているとは、少々驚いた。
気恥ずかしさにレオノラが視線を下げると、アレクが手に持った本の題名が目に飛び込んでくる。そこに書かれた「ダンス初心者」の文字に、思わずパチクリと目が瞬いた。
「フェザシエーラ様は、ダンスの本をお探しで?」
以前一度だけ踊った時に見た、あの完璧なダンスを披露したアレクが、今更ダンス初心者向けの本が必要になるとは思えないのだが。
「ああ。セラフィーネ殿下の為に探していたものだ」
「王女殿下の為…ですか?」
「今猛特訓中なんだが、少しでも力になりたくて。参考になれば、と」
それは間違いなく急遽決まった舞踏会の為だろう。レオノラはゲーム中のイベントを思い出し、胸が少しだけ痛んだ。
その特訓の所為で王女殿下の足はマメだらけになり、舞踏会で成果を発揮することができないのだ。
しかしそれもその先の恋愛イベントに繋がるので、今から指摘するのも野暮というもの。
とはいえ、あの可憐な美少女の足がマメだらけになるのも…
(うぅん、可哀そうなんだけど…でも庭園で二人っきりで裸足でダンス、絶対素敵だもんな~)
イベントのスチルを思いながら、レオノラはチラリと目の前の美しい顔を眺めてみる。
恐らくお相手であるアレクは、王女の足の状態に気付いていないのだろうか。
「王女殿下は、最近はいかがお過ごしですか?」
「それはもう、勉強にも熱心に励まれている。慣れない環境に臆することなく、どんどんと知識を吸収する殿下を、私は心から尊敬している。私も精一杯サポートするつもりだ」
ほんのり頬を染めて、セラフィーネ王女を思っているのか、若干視線を遠くしてる姿はとても美しいのだが。アレクには王女殿下が無理を押して勉強している、という部分が若干伝わっていないようだ。
もしや、なんでも出来る人には、そうでない人の気持ちが分からないというアレだろうか。
レオノラが引き攣りそうになる頬を懸命に押さえていると、アレクが視線を戻し、ふと真剣な面持ちで口を開いた。
「それと、先日セラフィーネ殿下の休憩を提案してくれた件だが、礼を言わせてほしい。おかげで殿下の授業に参加できた」
「えっ、そんな。そもそも私はそういうつもりでは…」
「そこで、また夫人からゲルツ宰相殿に進言してもらいたいことがあるのだが」
先ほどまで柔らかな笑みを浮かべていたアレクは、その美貌をキュッと引き締めて真顔を作った。
あの裏庭で見た光景や、弁当の差し入れを受け取っている様子から、アレクはレオノラの存在がベルナールにとって無視できないものだと理解したのだ。
なんらかの利害関係があるのか、レオノラの実家の力か。理由は分からないが、ベルナールはレオノラの言葉なら聞き入れる。
そして、レオノラはこちらの話を聞いてくれる存在だと、アレクは判断していた。
「セラフィーネ王女殿下の、帝国女帝陛下への謁見についてだ。私はすぐにでも叶えて差し上げたいのだが、ゲルツ宰相が…」
苦虫を噛んだような顔でアレクが語る内容は、セラフィーネ王女殿下が帝国の女帝に挨拶に行く時期についてだった。
御聖母様、と呼ばれるほど家族想いで有名な帝国の女帝だ。当然、曾孫としても、王国の次期女王としても、セラフィーネ王女は謁見する。
しかし、フェザシエーラ公爵派と宰相派で、その時期について意見が対立しているらしい。
王女の準備等を踏まえた上でだが、アレクもその父である公爵も、一刻も早く女帝には謁見するべきだと考えている。
しかしベルナールは、それを最大限遅らせたい動きを取っているのだとか。
「ゲルツ夫人から、宰相殿を説得してくれないだろうか。セラフィーネ殿下も、家族に会いたいと強く望んでいるんだ」
強い意志で懸命に訴えるアレクに、レオノラは「う~ん」と内心考えを巡らせた。
たしかに、セラフィーネが曾祖母の帝国女帝に会ってみたいと思うのは可笑しいことではない。それを一刻も早く叶えてあげたいと攻略対象が動くのも。
そしてベルナールは、恐らくまた帝国寄りにならないよう調整しようとしているのだろう。
それに、どうせ最終的には謁見は必ず行われる。
ならばこれは、特に放置してもベルナールの不利にならなさそうだ。
うん、と結論を出すと、レオノラは少しだけ眉を下げた。
「申し訳ありませんフェザシエーラ様。そういうお話でしたら、私からベルナール様に言うことはありません」
「……そうか」
「はい。私は、妻である限り、ベルナール様の味方をしたいと思っているので」
何か悪役として破滅へ向かう動きをしているなら止めるが、そうでない政治的な話であればレオノラはベルナールの肩を持つつもりだ。
強い意志を感じ取ったのか、アレクは小さく瞬きをしたあと、深く頭を下げてきた。
「その通りだ。私の考えは浅はかだった。お詫びする」
「い、いえいえ。そんな、頭を上げてください。フェザシエーラ様の王女殿下を想う故だと分かってますから」
レオノラが慌てて手を降って否定すれば、顔を上げたアレクの顔は穏やかだった。
「ゲルツ宰相殿には、私から再度提案する。セラフィーネ殿下の為というなら、正々堂々私が宰相殿を説得するべきだと気付かされた」
そこまでのことを言ったつもりはないし、そもそもベルナールに正々堂々の説得が難しいことも理解している。
なのにそんなまっすぐな目で見られ、レオノラは逆に居心地が悪くなった。
これが攻略対象の輝きか。
そのまま「ではこれで」と爽やかに背を向け、今から宰相殿を説得しに行くんだ、とでも言いそうに去って行ったアレクを、レオノラは苦笑しながら見送った。
***
アレクが颯爽と去ったあと、少ししてからレオノラも去った図書館の一角。二人が会話していた棚の反対側で、ベルナールはダラダラと冷や汗を流していた。
その思考は、レオノラがベルナールの肩を持った事実よりも、その時に放った言葉で埋まっている。
「妻である限り…?」
ならば妻でなくなれば、もう味方をしてくれないという事だろうか。それどころか、関わることすらないのでは。
頭に浮かんだ考えに、背筋に冷たい汗が流れる。
あの言葉はむしろ、妻でなくなればそちらの側につくと、アレク・フェザシエーラに仄めかしていたのではないだろうか。
実際に交渉時、そういう言い方をベルナールは幾らでも使ってきた。
だから、レオノラは離婚などと口にしたのでは。離婚したあと、アレク・フェザシエーラの元へ行くという意思表示をしていたのか。
坂を転がる雪玉のように、悪い想像がどんどんと膨らみ、胃の奥から迫り上がる不快感に思わず「チッ!」と舌打ちが漏れた。
「いや、問題ない。さっさと対策すれば良い」
そうだ、とベルナールは早鐘を打つ心臓を胸の上から押さえて落ち着かせる。
妻からの一方的な離婚請求が、裁判で認められた事例は調べた。唯一の懸念点さえ除けば、自分が当て嵌まることはほぼ無い。
そうなれば、離婚を持ち出されたところで、ベルナールが応じなければ済む。
だからその唯一の懸念点を解消してしまえば、心配はなくなる。
そこで頭によぎった言葉に、ベルナールはますます苦い気持ちが込み上げた。
「…なにが、心配だ」
なぜ心配などという言葉が出るのか。自分でも理解できずに不快感が湧き上がるばかりだった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
ブックマークやリアクションや評価くださった方々も誠にありがとうございます。




