5. 応接室の騎士
デザートまで胃に収めたレオノラは、予定通りニクソンとケイティの二人に屋敷を案内して貰っていた。
流石侯爵家だけあって広い。使わなさそうな部屋が幾つもあるし、ツルツルの廊下が長い。
「使ってない部屋が多いですね」
「長い間旦那様お一人で住まわれておりますので。…それと奥様。私も使用人ですので、その言葉遣いは…」
前世の記憶を思い出したからか、老紳士執事属性の彼には自然に敬った口調になってしまう。屋敷の女主人としてあまり褒められたことではないが。
「あ、いえ。う~ん、そうなんですけど……まぁ、少しずつ、慣れていくので」
「は、はぁ…?奥様がそう仰られるのでしたら」
言葉を濁せばそれ以上深く追求せずに、レオノラの好きにさせてくれるようなのでありがたい。
そんな雑談を交えながらニクソンの案内に従って歩いていると、一層大きな部屋に通された。
「こちらが一番広い応接室です。来客時、旦那様はよくこちらをご利用されています」
ニクソンが開けた扉の先、部屋の中央には、高級そうなソファがドンと向かい合って置かれていた。中心のテーブルは大理石が輝き、他の家具も全部豪華だ。
昨日通された応接室はもっと狭く、ずっと殺風景だった。恐らくこちらは重要な人物を出迎える為の部屋であり、新妻のレオノラはその括りに入っていなかったということか。
まったくもって失礼な話だが、まぁそんなものだろうな、とレオノラは開き直っておく。
「他の部屋と随分雰囲気が違いますね」
「旦那様いわく、舐められないように、だそうで」
「…なるほど」
どこもかしこも実用的で殺風景な侯爵邸において、珍しい華美に装飾された応接室。それが、舐められない様に、という合理的な理由に、レオノラはなるほどと納得する。
確かに、部屋の隅に置かれたライオンの置物や、壁に掛かった偉そうな騎士の絵が、一様に部屋の中央を睨んでいる。舐めるどころか、招かれた人間が萎縮してしまう様な気もするが。
そこでふと、こちらに向かって剣を構える騎士の絵に、あるアイデアが過ぎる。
「ニクソンさん。ベルナール様が“大事な”お仕事でお客様とお話するのはこの部屋、ということですよね」
「…左様です」
「隣の部屋はなんですか?」
「接客時に使用人が使う待機部屋になっています。ですが、旦那様は来客の際は人払いをされるので、ほとんど使われておりません」
つまり人は居ないということ。ならば、このアイデアが実行できる。
咄嗟の思いつきがグッと実現に向けて固まっていくのを感じ、レオノラは内心ほくそ笑んだ。
「なら、隣の部屋を改造しても、大丈夫ですよね」
「はっ?」
ここがベルナールが来客と対峙する部屋ならば、隣の部屋から中が見える覗き穴を作りたい。
絵の中の騎士の目の部分をくり抜くイメージが湧いたレオノラは、そう決意した。
「あ、あの、奥様…改造とは?」
「ニクソンさん。隣の使用人部屋をすこぉしだけ、模様替えしてもいいですか?」
「は?……それは、旦那様の許可があれば」
その返答にレオノラはニヤリと笑う。ベルナールの返事など「ニクソンに聞け」で固定されているのだから、これで実質許可は得たも同然だ。
流石に覗き穴を作るとは言えないので、あくまで模様替えと言おう。
それがあれば、レオノラの大好きな、ベルナールのゲス顔が拝めるかもしれない。
まずはノコギリで壁に穴を空けるか。と内心でプランを立てながら、レオノラはニクソン達との屋敷案内に戻った。
***
夜。日を跨ぐ時間になり、レオノラは思いっきりあくびをした。
「奥様、そろそろお休みに…」
「結婚初日だもの。ベルナール様をお出迎えしたいから」
「は、はぁ…」
侍女のケイティが心配気に寝るよう勧めてくるが、レオノラは首を振った。
主人に歓迎されない新妻が、使用人に冷遇される例を聞いたことがある。そんな中この屋敷の人間が友好的に接してくれるのは嬉しい誤算だった。
ケイティも、今日一日何かと世話を焼いてくれて、レオノラとしても仲良くやっていけそうでありがたい。
「新婚なのに、旦那様はお仕事だなんて…」
家主の横暴な態度に、ケイティは心底胸が傷んだ。嫁いできてくれた女性は、妻として出迎えようと待っているというのに。
仕えることとなった女主人の健気さに、ケイティはそっと内心で涙を零す。
「ありがとうケイティ。私は大丈夫よ」
気遣うケイティはまだ不安そうだが、レオノラはまったく落ち込んでいない。むしろこれも想定内だし、起きて待っているのも、今日中にベルナールの許可を取りたいというのが主な理由だ。
ゲームのベルナールの一番かっこいい顔は、何と言っても”ヒロインのトラウマ”シーン。あのスチルの、ゲス顔だ。
それと同じ、とまではいかなくとも、ベルナールが何かを企んでいる時の顔が見れるなら、是非とも全力で覗き穴を作りたい。
気合を入れなおしているレオノラの耳に、下の階が騒がしくなる音が聞こえてきた。
「奥様、旦那様がお戻りに……」
「すぐ行きます!」
呼びに来たメイドの声に被せながら、レオノラはドレスを翻して部屋を出た。
のぞきあな、のぞきあな〜。と内心で鼻歌を歌って玄関へ向かえば、丁度ベルナールが屋敷の扉を潜ったところだった。
「ベルナール様、おかえりなさいませ!」
「っ!?」
少し走ったせいで息が上がっているが、とりあえず淑女の礼をとり頭を下げて出迎える。顔をあげれば、ベルナールはまたもや珍獣でも見るような、むしろ気味の悪いものを見るような目で眉を寄せていた。
しかも、そのままフイと視線を外すと何事もなかったように歩き出したので、レオノラは「またか」と思いながら後ろからベルナールを追った。
「ベルナール様!おかえりなさいませ!おかえりなさいませ!……ベルナール様ぁー?」
「………チッ…ああ」
朝の攻防再びである。短い舌打ちも聞こえたが、今度は早めに返事があった。勝った!とレオノラが内心ガッツポーズしていれば、横に付き従うニクソンも苦笑している。
自室へ向かうベルナールを追いかけながら、レオノラは更に声を掛けた。
「ベルナール様、お夕食はどうしますか?」
「ニクソンに聞け」
「明日もお仕事なのですか?」
「ニクソンに聞け」
まるでこちらに関心を見せない返事に、レオノラはニヤリと口の端が吊り上がる。
「お部屋を少し模様替えしてもいいですか?」
「ニクソンに聞け」
いとも簡単に言質がとれた。
「ありがとうございます。ではニクソンさんに聞いてみます」
「フン…」
ベルナールは振り返ることなくさっさと執務室の扉を閉めてしまったので、後ろでレオノラがほくそ笑んでいることに気づかなかったのだろう。
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