49. クッキーと香水
緑豊かな庭に設置されたテーブルには、香り豊かな紅茶とクッキーが用意されていた。横に置かれた椅子に腰掛けたレオノラは、そっとカップを口に運ぶ。
「ちょっと怒らせ過ぎたわね。失敗だったかも」
「そんな!普段からちっとも夫らしくしない旦那様に、あんなに怒る資格なんてありません」
「フフフ。ありがとう、ケイティ」
屋敷の中なら無礼講と、ケイティにも席に着いてもらい、午後のお茶をともにしている。プリプリと怒るケイティに癒されながら、レオノラは「ふぅ」と短く息をついた。
そうは言っても、レオノラの気はまだ重いまま。
自分も少し虫の居所が悪かったのか、冷静でない言い方をしてしまった。
まったく振り向いてくれない夫が王女殿下を好きかもしれないとなれば、思ったよりプライドが傷ついていたのか。
次はもう少しタイミングを見て、さり気なく言った方が良さそうだ。
バツの悪さを紛らわせるように、レオノラは用意されたクッキーにパクリと齧りつく。
香ばしく焼かれた生地に、ナッツがごろごろと練りこまれており、コリコリと心地よい食感が広がる。
「…あれ?ナッツが大きい」
「あ、本当ですね。いつものよりゴロゴロしてます」
「もしかして新商品?…でも生地や味は同じだから、改良しただけかしら。これ美味しいわ」
「奥様はナッツが大きい方がお好きですものね」
レオノラはコリコリの食感も、鼻に抜ける香ばしさも大好きだ。
もともとお気に入りだったこの店のクッキーが、味はそのままにナッツだけ大きくなるというのは、まさに理想的。
あまりの美味に、ケイティと一緒にモソモソと無言でクッキーに齧りついていると、ザリッと庭園の床を踏む足音が響き、レオノラは夢中になっていた顔を上げた。
「奥様…」
「ニクソンさん。すみません、気付かなくて」
「とんでもない。お楽しみのところ申し訳ありません……お気に召していただけましたか?」
視線がおずおずとレオノラの手にするクッキーに向けられ、レオノラは満面の笑みを浮かべる。
「とっても!ニクソンさん、このクッキーは?」
「はい。いつもの店が従来のクッキーに加え、ナッツを大きくしたものも本日から出すとのことで。奥様が気に入るかと」
「嬉しいです。ナッツがゴロゴロしてて、でも生地のバターの濃さはそのままで。言うこと無しです」
この幸運が味わえるのも、レオノラの好みを把握し、新商品を見過ごさず、こうしてお茶の席に出してくれるニクソンのおかげだ。
「そういえば、少し前にもこんなことが…」
好みピッタリの商品を手にしたことが。
「えっと……あ、そうそう。先月ニクソンさんが仕入れてくれた香水」
「あぁ、奥様がお好きな香水が、数年ぶりに再販された件ですね」
そうだそうだ、と手を叩くレオノラに、ケイティも頷いてみせる。
「それよ。フローラルの中に桃の香りがしてとっても好きだったの。でも香水って、定番の匂い以外はすぐ変わっちゃうから」
「そういえば、どうもどこかの高位貴族が出資して注文したと、従業員が漏らしてたって噂があった様な」
「そうなの?もしかしたらその人も、私と同じ香りが好きだったのかもしれないわね。ラッキーだわ」
以前話していたからと、数年ぶりに香水が再販されることをニクソンが知らせてくれた時はレオノラも飛び上がって喜んだ。一度生産を終わらせた品を再販するなど希なので、レオノラはよほど運が良いに違いない。
「あれも、ニクソンさんが見つけてきてくれたおかげです」
「奥様…じつは、それは……いえ……奥様のお役に立てたのなら光栄です」
何も知らない女主人に、ニクソンは真相を話そうかと迷った。
最近ベルナールが菓子店を買い取って新オーナーになっていることとか。香水店に高額出資を行うことにしたこととか。
しかしその瞬間「言うな」「知らせるな」「余計なことをするな」としつこいくらいに厳命してきた主人の顔も思い出され、口を閉じることにした。
それは横に置くが、ニクソンはもう一つ、気になっていることは黙っていられなかった。
「奥様…その、今朝のお話ですが」
「…あぁ、あれは…すみません。ベルナール様を怒らせちゃったみたいで」
「いえ。旦那様の態度は失礼なものだったかと…ただ、もしや奥様が本当に離婚をお考えなら…」
「あ、いえ。あれはただの選択肢というか、なんというか。王女様と結婚は出来ないって言ってたので、訂正しただけで」
「……左様でございますか。差し出がましいことを、失礼いたしました」
頭を下げるニクソンに、レオノラは少し気まずくなった。
離婚する気はない、とは言ったものの、まだどうなるか分からない。ベルナールが本当にセラフィーネ王女が好きなら、いずれは離婚の話が現実になるだろう。
思わずニクソンからそっと視線を逸らした。
レオノラの戸惑いに気づきながらも、これ以上は踏み込むまいと、ニクソンは本題へ移る。
「それと奥様。さきほど王城より、舞踏会の招待状が到着しまして」
「え?」
「こちらになります」
豪華な装飾と上質な紙の封筒を手渡されたレオノラは、恐る恐るその中身を取り出した。
「王女様のお披露目?」
その文字列に、レオノラはピンとくるものがあった。
このお披露目会は、ゲームで王女の初めての舞踏会。そしてイベントだった。
いよいよゲームのストーリーらしい展開に、これはもしかしたらあの名シーンが見られるかもしれない、とレオノラは胸を躍らせる。
が、招待状を読み進めた先で、そんなワクワクした気持ちが吹き飛んだ。
「えっ!でもこれ、一週間後じゃない」
急すぎる日程に、レオノラは思わず声を上げた。これほど急な招待は珍しい。王女が見つかったのも突然なので、それと関係があるのだろうか。
「…ベルナール様も、今朝教えてくれれば良いのに」
これから大慌てで準備をしなければならないレオノラは短く溜息を吐いた。
『だから奥様に離婚なんて言われるんだ』と内心でベルナールに向かって叫んだのは、果たしてケイティだったのか、それともニクソンだったのか。
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