46. 解釈違い
『……王女は、美しいからな』
そんな言葉が聞こえた時にレオノラが思ったことは「なにそれ」であった。
一週間ぶりにベルナールが帰宅したのだが、そのままひっきりなしに尋ねてくる客人達の対応に追われるとのことで、レオノラは当然覗き穴の部屋へと直行した。
そこで聞こえてきたのは、どれもこれもセラフィーネ王女に取り入ろうとするような、権力や派閥争いに関する会話ばかりだった。だが王女本人に害がある訳では無さそうだったので、レオノラはひとまず胸を撫で下ろしたのだ。
しかし、最後の話題である王女の婚姻話には心臓がドキッと跳ねる。
そして客が去った後で一人になったベルナールが、先の台詞を呟いた。
誰の目もない、一人の時に出た言葉。きっと、あれがベルナールの本音なのだろう。どこか憂いを含んだ調子で、まるで心の底から王女の美しさを称えているかのようだった。
「…ベルナール様って、美しいって思うこと、あるんだ」
ベルナールも去り、人の気配がしなくなった覗き部屋で、レオノラはポツリと呟いた。
なんとなく、そういう感情とは無縁の人だと思っていた。興味があるのは権力や地位だけで、美しいなどという言葉は、お世辞か打算でしか使わないものだと。
だから一度もレオノラの容姿を褒めたりしなかったのだと。そう、思っていた。
だがそれは違った。ベルナールも女性の容姿に心動かされることがあり、そしてそれを成し遂げたのは突然現れた美しいヒロイン。
あんな情緒の詰まった声と表情で言われれば、本音としての度合いがうかがえる。
「もしかして……ベルナール様って、ヒロインのことが…好き…?」
そんな可能性に行き着いてしまった。
ゲームの中で、蛇宰相ベルナールは王座を狙う権力のため、王配という地位のためにヒロインを手に入れようとしていた。少なくともそういう設定だと思っていた。
しかし、実はそうではなかったのでは。あの悪役っぷりの裏に隠されていたが。実は、恋愛的な意味でもヒロインを欲しいと感じていたのではないか。
「そういえば、アレだって、厳密にはキスする必要はないんだよね」
レオノラ垂涎の“ヒロインのトラウマ”シーン。ヒロインに無理やりキスを迫っていたのは、悪役のゲスっぷりとそのゲス顔を披露する為のゲーム的な仕様だと思っていたのだが。
「実はキス、したかった…とか?」
そんな新事実に思い至ってしまい、レオノラはカッと目を見開いた。
これは、どう受け止めれば良いのだろう。
ゲームをしていた時のレオノラは、打算でヒロインに迫るベルナールの姿に“萌え”ていた。
だが、本当は恋愛感情が背景にあり、ただ悪役的なアプローチしかできなかったのだとしたら。
…それはそれで良い。
好みで言えば前者だが、スチルのゲス顔が見られるなら、最終的にはどちらでも良いかもしれない。
と、ゲームの設定に関してだけなら、そう思うのだが…
「私じゃダメってことかなー」
その可能性に、レオノラは遣る瀬無さに胸が重くなった。
ベルナールはセラフィーネ王女が好きかもしれない。その事に対してレオノラが感じたのは悔しい、という感情だった。
レオノラだって、そこそこ夫婦として愛や恋を育もうと、努力してきたつもりだ。しかしどれだけやっても結果は「ニクソンに聞け」とあしらわれる関係のまま。
もはや恋愛感情以前の問題で、情緒を育てるところから始める必要を考えていたのだが。
美人で健気で可愛いヒロインには簡単に心が揺れるらしい。
その事実に、妻として嫁いだ貴族令嬢としてのプライドが傷つき、ハァッ!と乱暴な溜息が出てしまう。
「うーん、まぁすぐ決めつけるのは良くないし。まだ分からないけど」
嫌な考えに流されそうなところを、頭を降って冷静さを取り戻した。
王女が美人であることは純然たる事実。たとえそれをベルナールが口にしたのだとしても、間違ってはいない。
だから、すぐにベルナールの気持ちを決めつけるのも良くないだろう。
それに自分自身も、これまでの解釈で蛇宰相推しだった気持ちを整理しなければ。
それができてから、今後の自分の行動方針を考えよう。
もし本当にベルナールがセラフィーネ王女との再婚を望むなら、その積もりでベルナールの行動をサポートする気でいるべきだ。
たとえば、早い段階での離婚とか。
「…離婚はできるもんね」
ベルナールはあり得ない話と切り捨てていたが、決して不可能ではない。
なにせベルナールとレオノラは未だに白い結婚。離婚も成立しやすい上に、結婚歴も王女の相手としてそう大した問題にはならない筈。
それを忘れているのか、思いつかないのか。
どっちなのだろう、とレオノラは首を傾げながら、ゆっくりと覗き穴の中から這い出て立ち上がった。
「明日、さり気なく教えてあげようかな」
今後ベルナールが王女殿下を口説く際も、ただの既婚者よりも、離婚前提の既婚者として迫る方が、印象は幾分かマシな気もする。
いや、どちらにしろ、蛇宰相に陰湿に付け回されることには代わりないか。
色々と衝撃の事実がまだ整理しきれていないレオノラは、重くなった頭を抱えながら、人の気配の消えた廊下を誰にもバレないよう静かに進んで私室へと戻っていった。
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