45. 美しい(ベルナールside)
王女の出現で慌ただしくしていたベルナールは今日、一週間ぶりに侯爵邸へ戻ってきた。
しかし息つく間もなく、これから入れ替わり立ち替わりやってくる訪問客の対応をする予定になっている。
帰宅早々、ベルナールはその準備の為に使用人とニクソンに指示を飛ばしながら、ここ数日の怒涛の流れを思い起こした。
突然、国王が発表したセラフィーネ王女殿下の存在。これまで病死したと信じられていたその存在のお陰で、非常に面倒な仕事が増えた。
これまで誰も存在を知らず、まともな王族としての教育も、公務の実績も無い。そんな存在であるが、帝国女帝の血筋であるということで、間違いなく次期国王の最有力候補だ。女帝の血筋を表すように、国王とも同じ王女の赤毛が、爛々とその事実を主張していた。
ただの王女の帰還ではなく、王位継承筆頭候補がとつぜん降って湧いた事実に、ベルナール達臣下は誰もが取り入ろうと躍起になっている。
その問答無用具合に、「帝国めが…」とベルナールは内心悪態を吐いたところで、帝国の恩恵の重要性も理解しているので逆らうつもりは無い。むしろ、王女には是が非でも、自分と懇意になって女王となった後も重用してもらわねば。
そんな派閥の今後にも関わる重要な案件について、豪勢に飾られた応接室で話し合いは行われた。
「さすがゲルツ宰相殿。王女殿下の教育係の采配、お見事でした」
「全てとはいかなかったが、王族としての教育は8割方こちらの人間で固めてある。あとは、あのアレク・フェザシエーラが生意気な提案をしてきたくらいか…」
ベルナールの用意した教師は、身分も実績も申し分ない者ばかりだ。更に、セラフィーネにも親しみやすいだろうと女教師を多く採用しており、アレクが授業に同席していようと問題があるとは考えにくい。
が、それでももしセラフィーネが教師を気に入らないと言った場合、それがベルナールよりもアレクに先に伝わるのはよろしくない。出遅れれば、そのまま公爵家所縁の者と挿げ替えられてしまう。
「王女殿下の教育面には、引き続き注意が必要だな」
「はい。私の娘にも、十分言って聞かせますので…」
王国地理を王女に教える教師の父である伯爵は、話が終わるとソファから腰を上げて部屋を出た。
「宰相様。それで王女殿の公務は、如何するので?」
「まだ無理だな。暫くは王城から出せん。その間に準備を進めるが、最初の訪問先は公爵一派に決して譲るな」
ギロッとベルナールの緑眼が剣呑に光ると、気の小さい子爵はビクリと背を震わせた。
「フェ、フェザシエーラ公爵家では、医療研究施設への訪問などはどうかと、提案する予定との情報が…」
「チッ!あのお抱えの帝国医どもの施設か!」
帝国はあらゆる面で技術が進歩しており、当然だが医療技術もどこよりも発達している。その帝国の最新の医療を学ぶべく、フェザシエーラ公爵家が人脈を駆使し、帝国の医者を数名王国に招き、国内の医者達も集め研究を積み重ねているのだ。
王国の医術にとって重要な施設で、フェザシエーラ家だけでなく、王家も全面的に支援している施設である。
「なら、こちらは孤児院への慰問を提案する方向で行く。貴殿の家で運営している所を幾つか選んでおけ」
「は、はい」
「頭の優しそうな王女殿下のことだ。子供が待っているとでも言えばこちらを選ぶだろう。幼子にちやほやさせれば、機嫌も良くなるだろうしな」
「さすがでございます。運営側には、子供に最高の歓待をさせるよう厳命しておきますので」
「寄附金をぶら下げれば孤児院側も本気で取り組むだろう。費用は私が出す。王女殿下の気に入りそうな子供も用意しておけ」
「あ、ありがとうございます!不幸な生い立ちや、見目の良い幼子を他の施設から一時的に呼び寄せておきますので」
セラフィーネの教育が進めば、次期女王としての公務も増える。そこの采配も、主導権は当然ベルナールが握らなければならない。
その為なら、とベルナールの申し出に子爵は手を叩いて喜んでみせた。
「ゲルツ殿。王女殿下が将来の女王となるなら、その婚姻相手の選別を急がなくては」
「それについては頭の痛いところだな」
急な王女の出現だった。順当に行けば、アレク・フェザシエーラ辺りが適任となるのは明らかだが。
「国内で有力となる者がこちら側に居ないのは、なんとも腹立たしいな」
「申し訳ありません。その為の教育をしてきておりませんで」
王女の婚姻相手の候補として手頃な人材が宰相派に居ないのは痛恨だった。次期女王の夫、つまりは王配が誰になるかで、宰相派はかなりの痛手を被る恐れがある。
「いっそ、宰相様が王女殿下のお相手となられたら良かったのですが。ハハハ」
「フン!それもそれで楽だっただろうがな。だが、あり得ない話をしている暇はあるまい」
「ええ。なんとも悩ましいですが…」
半分は冗談、半分はゴマすりのつもりで言った内務省次官の言葉をベルナールは無視した。
たしかに、この男の言うことは正しい。いっそベルナールがセラフィーネ王女と婚姻してしまえば、これほど楽で、かつ利益の大きなことはない。
だが、既にベルナールは結婚しており、離縁もあり得ないのだから、そんな無駄話に時間を割いている暇はないのだ。
「王女殿下の婚姻相手については、私でも考えておく」
「はい。こちらも、何かお力になれることがないか、探りをいれておきますので」
そう言って、ベルナールの力で内務省次官に昇りつめた男は、頭を深く下げて部屋を去っていった。
そうすると今日の来客の予定は終了となり、ベルナールは座ったまま少し重くなった頭をソファの背に擡げ、深く息を吐き出した。
本当に、頭の痛い問題ばかりだ。
特に王女の将来の夫を誰にするかを考えると、ベルナールは胃の底からグッと不快感がこみ上げてくる。
アレク・フェザシエーラを王女の相談役に、と陛下が言った時点で、将来の夫候補であると周知されているも同然だ。フェザシエーラ公爵家が厄介な政敵であることもそうだが。あのお綺麗な顔で勘違いした正義感を振りかざすアレクの姿を思い出すだけで、ムカムカと苛立ちが湧いてくる。
どうにかこの状況を打破するには、別の婚姻相手を探すしかない。
「……王女は、美しいからな」
帝国女帝の血筋を象徴する様な赤毛の王女を思い出す。
誰もがハッと息を呑むほどの美しさ。その上、純真無垢を体現したような、輝く瞳と優し気な表情で見つめられれば、大抵の男は喜んで傅くことだろう。
そう。たとえば、諸国の王族を王女の相手として引っ張ってくることも容易い筈だ。
めぼしい友好国の王族リストをクリスにでも作らせよう。と最近なにかと重宝している宰相補佐の顔を思い浮かべながら、ベルナールはチラリと時計を見やる。
時刻は既に深夜を回っており、流石に夕食という時間ではない。
ベルナールが帰宅するなり「久しぶりにお帰りになったのだから、お夕食をご一緒に」とやかましかったレオノラは、ニクソンに任せたので先に食事を終えている筈だ。
すげなくあしらった妻は、また明日の朝食の席で性懲りもなく煩くしてくるのだろうな。などとぼんやり考えながら、ベルナールは私室へと引き上げて行った。
まさかその妻が、応接室の隣の部屋で床に座り込んでいるなどとは、予想だにしなかったのである。
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