42. 驚く王女様
声を発したことで漸く存在を認識されたらしい。アレクがこちらを見て、ハッと驚いた様に息を呑んだので、とりあえずレオノラは淑女の礼を取る。
「アレク様、先日はどうも。本日もお目見えでき光栄ですわ」
「あ、あぁ…ゲルツ侯爵夫人、挨拶もせず申し訳なかった。それで、セラフィーネ殿下とお茶というのは?」
「はい。ベルナール様達のお話合いが終わった後なら、フェザシエーラ様も王女殿下とご一緒できるのではと思い。それでしたら、それまで私が王女殿下のお相手ができないかと…」
「あ、いや、その…急にその様なことは…」
多少無理がある申し出なのはレオノラも承知だ。だが、今も目がグルグルと回ったような顔で不安そうにするセラフィーネを、とにかく休ませるのが先決だろう。
それに危惧していた通り、ベルナールの印象は悪い様子だった。普段からあんな嫌味な言い方をしていたら、やはりちょっと怖いよなぁ、と王女の気持ちも理解できてしまう。
レオノラが王女との会話で好印象を残せれば、少しはベルナールの印象も良くなるのでは。
まだ存在が公表されたばかりの王女殿下と、約束もなしに急に現れた宰相夫人が、仲良くお茶をするのが立場的に困難なのは分かっているが。そこは、傲慢で強引な蛇宰相のお力を使っていただこう。
「ベルナール様…」
「…何を考えている貴様」
相変わらず、表情は普通でも雰囲気が怒っている。そんなベルナールの腕を引き、レオノラはアレクとセラフィーネに聞こえないところまで数歩距離を取った。
「王女殿下は、間違いなくとてもお疲れです。少しくらい休憩しても良いではないですか」
「だから、どうしてそれが貴様と王女の茶会に繋がる」
「授業の様子を見たいって言う部分はフェザシエーラ様も譲らなさそうですし。誰かと一緒なら王女殿下もちょっとは安心できる筈です。そこに協力すれば、ベルナール様の印象だって良くなるじゃないですか」
「…そんなことは……」
「ベルナール様のお力なら、授業を1時間、2時間、ズラすこともできますよね。お願いします」
先ほどのアレクの言った言葉は本当だった。
ベルナールは采配の権利を持ったのを良いことに、セラフィーネ王女の教師陣の多くを宰相派で固めている。
そんなベルナールにとって、次の授業開始の時間を変更するなど、一言命令を飛ばせば済む話だ。
あくまで非公式、王女の休憩に鉢合わせたレオノラが、たまたま一緒になっただけ。そういう体裁を徹底すれば、余計な波紋を生む可能性も少ない。
そんな風に頭の中で段取りを組んでしまったベルナールだが、それは完全に無意識だった。
気付けば、レオノラの願いを叶える為に頭が動いていた。
そして、そんな思考になる理由が分からず、胸を過ぎった複雑な感情を不快と捉えた男は思い切り眉を寄せた。
「…チッ」
「えっ?ベルナール様?」
短く舌打ちまでして、クルリとベルナールが背を向けてしまったのでレオノラは焦る。
ダメだったのだろうか、とレオノラが不安に思う間に、ベルナールがスッと王女に近付き丁寧に礼をしてみせた。
「王女殿下、よろしければこの後、私の妻と茶の席をご一緒していただけないでしょうか?」
「…つ、ま…へっ?妻!?え、宰相様に、奥さんが…?」
「はい。本日の授業に関しては、時間を調整いたしますので。あくまで非公式。ただの休憩と思ってくだされば」
ベルナールの発した“妻”という単語が余程衝撃だったのか、それまでぼんやりと焦点の合わなかったセラフィーネ王女の目が、若干見開かれた。
驚いたのはアレクも同じだった様子で「はっ!?ゲルツ宰相?」と、混乱の交じった声で視線をレオノラに投げてきたが、レオノラはとりあえずニコニコ笑って返しておく。
「場所は…王女の私室は具合が悪いので、私の執務室の…」
「あ、外で!庭園のどこかが良いです!」
「…この奥の東屋で。すぐにメイド達に支度をさせ、給仕の手配を…」
「人払いもお願いします!護衛の人だけで。お茶も、私が淹れるので!そこまで持ってきてもらうだけで良いです」
「……妻が茶を振る舞います。それで、お時間は1時間ほど」
「2時間!!」
「…2時間ほど、よろしいでしょうか」
ピクリピクリとベルナールのこめかみに青筋が浮かぶ。背後にたったレオノラには見えていないが、背中越しでも苛立ちのオーラは伝わってきた。
それでもレオノラの言葉を聞き入れてくれている。その事実に、レオノラは感動のあまり、ベルナールに抱き着きたくなる衝動を必死に堪えた。
レオノラの予想として、王女を前にいい恰好をしようとして多少は我が儘を聞き入れてくれると思っていたが、ここまでとは。
「あとは…今夜、折角なので一緒に帰りませんか?」
「いい加減にっ!……私は忙しい。王女殿下と別れた後は速やかに一人で帰れ」
どさくさ紛れに関係ない要望を言ったところ、これは却下された。
カッと目を釣り上げて怒鳴りかけたベルナールだが、流石悪役宰相。王女殿下を前にして平静を保つことにしたようだ。
冗談で言った言葉だが、一緒に帰る、というのは良い案かもしれない。
王女殿下の件が落ち着いた頃、弁当の差し入れの際にまた提案してみるか。とレオノラは悪戯を思いついたような心持ちで小さく笑いを漏らす。
そんなレオノラのところまでまたベルナールが距離を詰めると、小声で、だが蛇の威嚇のような凄みのある掠れた音で命令してきた。
「いいか。余計なことは喋るな。中身の無い会話だけ許す。いいな?」
「はい」
「天気の話でもしていろ。分かったな」
「分かりました。天気の話ですね」
「………チッ」
ギョロリと眼光鋭く舌打ちする顔は、普通なら震えあがって恐れるものだ。しかしレオノラはまったく恐ろしいとは思わず。むしろベルナールの口から“天気”などというほのぼのした単語が出てきたことに、思わず「フフフ」と小さく笑ってしまった。
だものだから、ついにベルナールの表情が崩れ、眉間に思い切り皺が寄ったのだ。
そして、そんなゲルツ侯爵夫妻の様子を、信じられないと言った気持ちで見ていたアレクとセラフィーネ。その戸惑いのままに思わずお互いの顔を見合わせたのだが、結局相手も驚いているということが分かっただけであった。
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