38. 何の為の休憩
レオノラのお弁当作戦は順調で、その後も週に二度、決まった日に差し入れを届けるのが通常となりつつあった。
一ヶ月もすれば、入城の度に申請せずともゲルツ宰相が保証人となるならと身分証明だけで通して貰えるようになったのだから、続けた甲斐があるというもの。
本日もベルナールとクリスの二人分の弁当を届け終えたところだ。
相変わらず、ベルナールは不機嫌そうに眉間に皺を寄せるだけで何も言わないが、クリスによるといつもきちんと食べているらしいのだから素直でない。
「美味しい、ってひとこと言ってくれたらこっちも素直に喜べるんだけど…」
未だに感想も何も言われないので、本当にレオノラがうるさくするのが面倒くさくて食べてるだけ、という可能性も捨てきれないのが悩みだ。
まぁ、それを狙ってこれまでも何度か色々押し切ってきた事は否めないので文句も言えないが。
とはいえ、そこはベルナールが相手なので手強いことは承知の上。面倒臭がられようが、こうして頻繁に王城に来ることができているのだから、レオノラは目的に向けて行動するのみ。
「さて、今日はどこへ行こうかな」
ベルナールに弁当を届けた後、レオノラは王女登場に備え、イベントの舞台になる場所を少しずつ下見していた。
いざという時、道に迷って貴重なイベントを見逃すということにはなりたくない。
ピカピカに磨かれた廊下をウキウキと歩くが、立場的にはまだ所詮部外者。王城で働く者の身内にすぎない為、こうして寄り道で行けるところは図書館や庭園や使用人用の大食堂など、城内で開放されている場に限られる。
その中で今日は庭園の東側に行ってみようと決める。
所々に見張りとして立つ衛兵に道を聞きながら、曲がりくねった廊下進めば漸く、東の庭園へと降り立った。
そこは、薔薇の生垣や巨大な噴水などは無いが、緑が広がり芝生を揺らす風が気持ち良い小休憩に向いた場所だった。
本来、国賓などの接待に使われるのは庭園の南側なので、東側にはこれといった見所はない。
見所はたしかに無いのだが、イベントが発生する場所である。
レオノラはゲームのシーンを思い出しながらニマニマと口の端を緩めた。
ダンスの練習で足にマメを作ってしまった王女の為、舞踏会を抜け出し夜の庭園で、芝生にヒールを脱ぎ捨て素足で攻略対象と踊るシーンだ。
その直前、舞踏会の最中王女にネチネチと絡んでおべっかやお誘いをアピールするベルナールの姿も最高だった。
足が痛いのに蛇宰相に声を掛けられ、どうしようかと困っているところを攻略対象が助ける姿がキラキラに描かれていた。
さすが、イケメンはやることが違う、などと思いながらレオノラが庭園を散策し始めると、背後でガサっと草を踏む足音が響いた。
「ゲルツ侯爵夫人」
「っ!?あ、こうりゃ…く家ご子息のフェザシエーラ様…」
「すまない、驚かせただろうか」
こうりゃくたいしょう、と叫びかけたレオノラだったが、そこは相手が公爵家だったので、なんとか誤魔化せた。
颯爽と現れたアレクの相変わらずキラキラと輝かしい美貌に目が眩みそうになりながら、レオノラは気を取り直して淑女の礼を取る。
「御無沙汰しております。フェザシエーラ様には、覚えていてくださり大変光栄でございます」
「前の舞踏会以来だが、その後変わりはないだろうか」
「お陰様で、毎日楽しく過ごしております」
会ったのは舞踏会で会話して以来二度目だが、それでもこうして声を掛けられるということは少しは関係を築けたという証拠。あの舞踏会の時に無理やりにでも繋ぎを作っておいて良かった、とレオノラは内心でガッツポーズを作る。
「突然声を掛けてすまない。その…少し気になる噂を聞いていたところに、貴方の姿を見たものだから、つい」
「…噂、ですか?」
「ああ。その、貴方が宰相殿に最近、昼食の差し入れをしていると…事実だろうか」
本来、妻が夫に差し入れを持ってくることは微笑ましいことの筈なのだが、アレクの顔はそうは言っていない。浮かんでいるのは戸惑いと疑心を混ぜた様な複雑な表情だ。
ベルナールとのことが噂になるのは良いのだが、まさかこんなところまで届くほど広まるとはレオノラにも予想外であった。せいぜい、案内係や使用人が口にする程度だと思っていたのに。
それはつまり、公爵令息の耳にも入る程、元の宰相のイメージとかけ離れていて新鮮な話題だったということだろう。
「はい。週に二回、お弁当を作って差し入れております」
「貴方が、作っているのか?」
「はい。全部ではありませんが」
「宰相殿は受け取っているのか?」
「はい」
「…食べているのか?」
「……はい」
気持ちは分からなくもない。レオノラも、クリスのメモが無ければ、本当は捨てているのではと疑っていたのだから。
レオノラが答えれば答えるほど、アレクの表情には混乱が広がっていく。しかし、これで弁当の件は真実だと理解して貰えた筈だ。そしてひいてはベルナールの印象が上がる結果になればこの上ない僥倖。
「執務室ではどの様に…最近入ったという宰相補佐に預けているのか?」
「いえ。いつも執務室の方にいらっしゃるので、直接お渡ししてます」
「……そうか。いつも居るのか」
「…?はい。といっても、まだ始めて一月程ですので、今後は補佐の方にお預けすることもあるかもしれないですが」
レオノラが見た限り、ベルナールはいつも忙しそうに机でカリカリと仕事をしている。が、それがどうかしたのだろうか。
「いや、すまない。宰相殿も、きっと貴方の差し入れを喜んで…いるの、だと思う」
「はい。たぶん…そうだと嬉しいなと思って、作っています」
“喜んでいる”と言いきれないのは蛇宰相の印象の悪さ故か。ほんの一瞬、微妙な空気が流れたが、それを打ち消すようにアレクがフッと美貌に微笑みを浮かべた。
「呼び止めておいてすまないが、私はもう行かなくては。ゲルツ侯爵夫人、お帰りの時はどうかお気をつけて」
「はい。フェザシエーラ様、またいずれお会いできるのを楽しみにしております」
手短に礼だけ残したアレクがそのまま踵を返したので、レオノラは去っていく背中を見送った。
庭園を照らす陽の光に、溶けた金髪がキラキラと後ろ姿を輝かせている。その歩き姿も実に優雅で、まるで花でも舞っているかのよう。この東庭園には花は無い筈なのに。
アレクは聞くだけ聞いて風の様に消えて行った訳だが、それほど忙しいのにわざわざレオノラに声を掛けてくるとは。
そんなにベルナールへの差し入れの件が衝撃だったのだろうかと、レオノラは思わず苦笑を漏らしながら、自分も帰ろうと庭園を後にすることにしたのだった。
***
レオノラの姿に思わず声を掛けていたアレクは、なんとも微妙な胸の内を抱えながら、急いで自分の執務室を目指していた。
財務大臣であり、父親であるフェザシエーラ公爵家当主の下で働きながら学んでいるアレクは、この後に再開される会議に父と共に出席する予定なのだ。
そう。一度、宰相の提案で中断された会議に。
今日、朝から続く会議の結論がなかなか出ないまま、時刻は昼頃に差し掛かったのだが。そこでなんと宰相が一時休憩の提案をしてきたのだ。
『なかなか結論が出ないようだな。ここで一つ、休憩を挟むべきではないか』
そんな宰相の言葉に、誰もがひっくり返るほど驚いた。
普段の宰相といえば、休憩などとは絶対に言わない。むしろ休憩返上は当たり前、といった顔で会議がどれほど長引こうが、結論が出るまで続行するのが常であったのに。
議論の中心人物である宰相や大臣はともかく、その他の助手や記録係などの下位文官に疲れが見えはじめたところだったので、休憩そのものは良い。
昼食のあと、気分も新たに話し合った方が進展があるだろうし、むしろ取るべきだろう。
これが誰か別の人物から出た言葉であれば、それは気遣いだと素直に感謝を感じた筈だ。
しかし、それが蛇宰相と呼ばれるベルナールからの提案であった為、誰もが顔を見合わせてその言葉に裏の意図を想像したのだ。
アレクの父フェザシエーラ公爵などは、宰相がこの休憩の間にきっと反対意見の根拠資料をガッチリと固める算段だと読み、反論する為に今必死になって資料を読み返している。
かくいうアレクもその助手として、追加資料を別の部署から取り寄せに行っていた帰りだ。
だがその帰り道、庭園を歩くレオノラの姿を見つけ、そしてつい数日前に聞いた噂を思い出し、アレクはまさかと思いながらもつい声を掛けてしまったのだ。
そして結果、宰相はさきほどまで執務室で妻の来訪を待ち構えていたと聞いてしまった訳だが。
「……いやいや、まさか……だな」
あの仕事と派閥争いのことしか頭にないゲルツ宰相が。まさか妻の差し入れを受け取る為に、政敵である自分達フェザシエーラ公爵家も交えた会議を中断させた訳がないだろう。
よぎった疑念を無理やり追いやり、アレクは午後からの会議に向け気を引き締めたのだった。
しかし、結局その会議は再開されずに延期されることになる。その日王城を駆け巡った急報に、誰もがそれどころではなくなったのだ。
十五年前、御年僅か三歳で病死したと言われていた王女が、この城に帰ってきた、という報せが。
なんだかんだでヒロインの影が…
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