表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/76

31. 昇進

『チーズケーキを食べたくない?』


 その言葉に、クリスは自分の現状を理解し、深く絶望した。


 目の前の人物は全てを知っている。それはすなわち、この妻をわざわざ寄越したと思われる、蛇宰相本人にもバレていることに他ならない。


 牽制の意味で放たれたのか、“チーズケーキ”という言葉は見事だ。狙い通り、クリスはその言葉で逃亡を諦めた。

 個人的な趣味嗜好まで把握されていては、逃げることも誤魔化しも通用しない。

 そこまで自分を調べ上げた蛇宰相に、この後一体どんな脅しを受けるのだろう。


 胸を押しつぶす不安をなんとか抑えながら、クリスは大人しく着席したカフェの席で、何故こうなったのかと項垂れた。



 クリス・グレイは王宮の文官であり、彼が働くのは外交を取り仕切る部門で、その中でも北の国”オスルド”を担当する部署である。

 真面目に勤めて十年、そこそこ評価され、そこそこ出世してきたが、最近そんな人生に影が差してきた。


 クリス達の部署の長となる室長の椅子が近々空くことになったが、そこにはクリスを嫌う同期の男が座ると言われていた。

 別部署へ引き抜きの形で栄転していく現室長がこの同期を後押ししている為、可能性は極めて高い。

 そして、もしそうなれば、クリスは職場での居場所を失う。


 同期とは長い付き合いだが、出会った頃から何かとライバル意識を向けられていた。一緒に仕事をする際も妙に突っかかられて、関係性は非常に悪い。


 彼が室長となれば今の職場で肩身が狭くなるが、それでもなんとかやり過ごしていくしかない。そう覚悟を決めたところだったのだが…


『君を室長に推薦しようと思うのだが、どうかな?…返事は一週間後に聞こう』


 クリスは更に窮地に立たされることになる。


 王宮の一画に呼び出され、ニヤニヤと不気味に笑う蛇顔の宰相にそんな打診を受けたのだ。


『蛇宰相の後ろ盾の方が、よっぽど恐ろしいじゃないか!』


 傲慢と名高く、影での権力争いに余念が無い。そんな噂が絶えない蛇宰相の誘いなど、どんな見返りを要求されることか。恩を笠に、一生強請りのネタにされるかもしれない。


『…でも断ったら……いや、一生言いなりよりはマシ、か?』


 断れば、きっと報復として自分は左遷される。それを分かっていても、宰相の誘いの方がきっとデメリットは大きい。そもそも何故一国の宰相が、話した事すらない自分なんかに声を掛けたのか、そこからして不気味だ。


 己の未来を嘆くクリスに、更なる災難が降りかかった。


 例の、近々異動が決まっている現室長が、怒りのままに大変無駄な仕事を言い渡してきたのだ。


 それこそが、クリスが王都中の服飾店を駆け回っていた理由である。 


 外交部門に所属するクリスの部署が担当する、北の国”オスルド”。

 北の国と言えばつい先日、毛織物の関税率の引き下げ案を、蛇宰相の猛反対による議会評決で却下されたばかりなのだが。


 だがもし、関税見直しとなっていれば、室長はその手柄で真新しい実績を引っ提げて異動することになっていた。

 その機会を潰された室長が、当然のごとく激怒したのだ。


『宰相殿は北の国の重要性を全く分かっておられない。かの国とて、帝国と同様に重要視するべき国だ。そう、たとえば……ご婦人方のドレスだ!帝国にばかり気を遣っているが、あれだって北の国とて帝国に劣らん!』


 そこから、北の国も帝国と同程度の配慮が必要だとする意見書と、同じく贅沢なドレスを作っている根拠となる資料を集めてこい、と部下全員が命じられた。


 はっきり言えば、そんな事実はない。

 たとえあったとしても、そんな資料を提出したところで、北の国も帝国の様にドレス価格の配慮対象にする、など誰も頷かない。


 そんなことは室長も分かっていること。ただの腹いせの為の命令で、たとえ意見書として形になった所で、提出まではしないだろう。

 提出したとしても、上の部署に申請却下の書類を書かせる程度の嫌がらせにしかならない。それだって、当の宰相の元まで届かないのだから。


 そう。たかがその程度の憂さ晴らしの為に、存在しない根拠をまとめて持ってこい、と命じられた方はたまったものではない。


 どこの服飾店へ行っても、北の国が帝国レベルに豪華な衣装を作っているとは言ってもらえない。布や装飾品をどれだけ豪華にしたところで、圧倒的な帝国のそれよりも劣る見積り金額しか提出されなかった。


 ただでさえ胃が痛くなるような仕事だが、もしこんなことが蛇宰相に知られたら、という不安がクリスを更に追い詰めた。

 元々宰相の誘いは断ろうと決めたとはいえ、その直前までこんな、”蛇宰相への室長の腹いせ”をしていると知られたら…。


 そんな想いを抱えながら、必死に服飾店を周っていたところに、蛇宰相の妻と出くわし『チーズケーキ』を言い当てられたのだ。

 宰相の調査能力と用心深さを甘くみていた。


 そのままクリスをケーキ屋へ連行した宰相夫人、レオノラ・ゲルツは、まるで何も知らないという顔をしているが、そんな筈がない。


 なら、もうどうでも良い。この状況を覆せる言い訳も交渉材料も、自分には何も無いのだし。どの道、もう自分に文官としての未来などないのだから。


『ど、どうぞ、ゲルツ宰相様にご報告ください。どの道、宰相様のご提案はお断りする積もりだったのです…』


 諦め混じりにクリスが唸る姿を、目の前に座るレオノラは呆気に取られたように凝視していた。



ここまで読んでいただき誠にありがとうございます。

ブックマークやリアクションくださった方々、誠にありがとうございます。

評価などもいただけると更に励みになります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ