3. 輿入れと初対面
『ノーラ、本当に婚約するつもりか?私はもともと断ることになるだろうと…』
『お父様、どうかお話を受けてください』
娘を心配する両親と兄をなんとか説得すること数日、レオノラは見事ベルナールとの婚約成立を成し遂げた。
それも、必要な書類を送ってくるだけで、手紙一つ寄越さないベルナールに、またもや家族が眉を顰めたが。
『婚約の打診から一度もお会いしていないし。もしこのままなんてことになれば、やはりお断りを…』
『お母さま。宰相というのはお忙しいでしょうから。私は気にしていません』
客観的に見れば家族の意見に賛同するが、レオノラは傲慢な悪役らしいその態度に口元がニヤケてしまう。
そんな家族とのやり取りが数カ月続いた。
そしてついに、レオノラはゲルツ侯爵家に嫁ぐべく馬車で王都へと向かっていた。
『ノーラ、何かあったらすぐに帰ってきていいからな』
『必ず手紙を書いてね。貴方が無事なことを、定期的に知らせるのよ』
『父さま達は動けないけど、僕はいつでも駆けつけるから。もし何かあったらすぐに連絡するんだ』
縁談の話が出てから、ずっと心配してそう言ってくれる家族を、レオノラは力いっぱい抱きしめた。
『お父さま、お母さま、お兄さま。私は望んで嫁ぐんです。でもそう言って貰えて嬉しい。何かあった時は、お言葉に甘えます』
そうしてレオノラは、ベルナール・ゲルツに嫁ぐべく、故郷を後にした。
とはいっても、婚約の時と同じく、書類のやり取りだけで婚姻証明書にサインし提出したので、名実共に既にレオノラはベルナールの妻である。
三日間、ガタガタと揺れる馬車の長い旅程に少し疲れはあるが、これから推しに会えると思えばそれも吹き飛んだ。
そんな期待で胸を膨らませたレオノラが漸く、蛇宰相の屋敷へと到着する。そこで出迎えたのは、無機質でどこか陰鬱な雰囲気を醸し出す大きな侯爵邸の玄関だった。
丁度良い位置で停止した馬車から一歩降りる。すると、ジメジメとした外観を背景に、品の良い老人が出迎えてくれた。
「お待ちしておりました奥様。執事のニクソンと申します。長旅でお疲れでしょう。我らゲルツ家に仕える使用人一同、心より歓迎いたします」
「はじめまして。レオノラと申します。不束者ですが、これから宜しくお願いします」
二コリと穏やかに微笑みながら優雅に礼をした老紳士。ニクソンは、開かれた玄関の中へと、丁寧にレオノラを導く。
(や、やさしい老紳士執事!蛇宰相の家に!?)
内心驚愕だ。まさかこんな歓迎ムードの優しい老紳士がいるとは思わなかった。
悪役の当主に似た陰険な使用人達に総出で虐められたらどうしよう、と少しだけ心配だったレオノラには、これは飛び上がるほどの僥倖ではないか。
感動でレオノラが震えていると、ニクソンが笑顔を崩さぬままやんわりと促してきた。
「お疲れの所恐縮ですが、まずは応接室へ。旦那様がお待ちです」
「は、はい。分かりました」
お待ちかどうかは疑問だが、とは口に出さないでおく。
ニクソンに連れられレオノラが屋敷に入ると、ズラリと並ぶ使用人達が礼の姿勢で列を作っていた。一糸乱れぬ纏まりぶりと、ピリッと緊張感漂う空気は、主人の使用人への厳しさの表れか。
あまりの緊張感に若干戸惑いながら、レオノラは使用人達に向かって小さく礼をする。
「これからよろしくお願いします」
「…奥様、後ほど皆からご挨拶させていただきます。が、どうか今は旦那様の下へ。あまり待たされるのは好まれない方です」
足を止めた途端に、焦りと罪悪感を含んだような声が掛けられる。ニクソンが歓迎ムードだったから、他の使用人にも挨拶したかったのに。
しかも、急ぐ理由がなんとも悪役らしいイヤな理由で、レオノラは思わずニヤッと笑ってしまいそうになる口元を引き締める。
(悪役っぽいムーブ、良いっ!)
気持ち速足で応接間まで案内されたレオノラは、ニクソンが扉を軽くノックする姿を見守った。
「旦那様、奥様をお連れしました」
「…入れ」
中から夢にまで見た声がしたと思えば、ニクソンにより恭しく扉が開かれる。
レオノラが中へ入ると、広い応接間の中心でソファに座っていた男と目が合った。
不機嫌なのか元からなのか、眉間に寄った皺。後ろに撫でつけられた黒い髪と、骨ばった顔の輪郭。ヒョロリと細身で長身の男が、苛立ったようにその長い脚を組み替えて見せた。
「奥様、どうぞ…」
主人の無言の催促を汲み取った老執事が、少しだけ急かして花嫁をソファへと座らせる。
「ベルナール様、お初にお目にかかります。これからよろしくお願いします。レオノラと申します」
「歓迎しよう。花嫁殿」
フカフカのソファに腰を下ろしたレオノラが頭を下げると、ゾワリと背筋を這う低い声が掛けられた。
言葉でそう言われても、名前も呼ばないのだから毛程も歓迎の気持ちが感じられない。
「時間の無駄なので手短に済ます。言うまでもなく妻に求める役割は一つ。ミロモンテ伯との橋渡し。それさえ果たせば、この家での快適な生活を保証しよう」
「……」
顎を突き出し、レオノラを見下す姿勢で向けられるベルナールの視線は、心底興味がないようで冷たい。
「外に自由に愛人を作っていい。生活空間は分けるので必要以上に顔を会わせることもない。屋敷のことはニクソンに聞け。以上だ」
面倒だが報告は終えた。と顔から見て取れるベルナールが立ち上がる。
その姿を見ながら、レオノラは内心でくぅっと葛藤していた。
推しがかっこいい。
ゾクゾクと低く湿った声とこちらを見下す視線。ギョロッと鈍く光る緑眼は、顔の細い輪郭でより強調されている。長旅を終えた初対面の花嫁に向けるものとも思えない、傲慢な物言いもやはり良い。
まさしくレオノラの理想。推しがそこにいる。
が、感動していては彼が部屋を出て行ってしまう。レオノラは気合を入れ直すと背を向けたベルナールを追って立ち上がった。
「承服できません!」
「…はっ?」
反論されると思ってなかったのか、物凄く不機嫌そうにベルナールは振り返る。対照的にレオノラには余裕があった。
さっきの条件は想定内、むしろ予想通り。あんな悪役と政略結婚におけるテンプレ台詞、予想できなくて何がオタクか。
だからレオノラは、用意してきた台詞をスラスラと並べるだけ。
「さっきの条件。恋人の件と生活空間の件、承服できませんので撤回してください」
「撤回だと?そんなことが言える立場だと…」
「思ってます」
これは政略結婚。互いに利益があって結婚した。
国の宰相として政治面で権力を奮うベルナールは、その地位を更に磐石にさせる武力が欲しかった。
しかしいかんせん嫌われ者の蛇宰相。元から王宮の軍部とは折り合いも悪く、むしろこれ以上力を与えてなるか、と目ぼしい家の令嬢と結婚は無理だった。
そこで国の中枢から遠く、独自の軍で東の国境を守る辺境伯である。
ミロモンテ伯も、遠ざかっていた王室の政治と再び繋がれるということでこの結婚は利益が大きい。
たとえ実際の行使が難しくとも、自由になる兵力は、持っているだけで力になる。派閥争いに勤しむベルナールにとっては特に。
だからこそ、レオノラは対等な立場の妻として、夫に意見できるのだ。
「私にも、結婚生活に意見する権利は十分あります」
「……何が望みだ?」
バッ!とレオノラは指を二本立てて前に突き出した。
「一つ。外に恋人を作るのは無しです。お互いに。愛人も妾も火遊びも、基本的には全部ダメです」
「はっ?何故だ」
「二つ。ずっと会えないのは嫌なので、朝食だけでも出来る限り毎日一緒に食べてください」
「いい加減にしろ。何故そんなことをする必要がある!?」
語気を強めたベルナールだがレオノラはけろりと言い返す。
「だって、ベルナール様と仲良くしたいからです」
「なんの為に?」
心底理解できないとばかりに、得体のしれないものを警戒するような視線のベルナール。本当に、政略以外を結婚に見いだせないのか。少しは仲良くしようという発想を持ってほしいものだが。
割とはっきり言ったつもりなのに、これ以上を言う羽目になるのか。だが、ここで引いたら負けだとレオノラは羞恥を追いやる。
「せっかく、顔や声が好みの方と結婚できたんだから、ちゃんとした夫婦になりたいんです」
堅すぎず、けれど真剣さが伝わるように、しっかりとベルナールを見据えて言う。
レオノラの赤い瞳に見詰められたベルナールは一瞬言葉に詰まった。が、そのままギロリと眼光を鋭くして言い放った。
「頭でも可笑しいのか?」
それは、自分で言って悲しくならないのだろうか。