25. その顔も
ベルナールが怒っているのは珍しくないどころか通常運転ではあるが、今は普段の何倍も空気が悪い。
「ベルナール様、お仕事は終わったのですか?」
「帰る」
「へっ?うわっ!」
掴まれた手をそのまま引かれ、エスコートの形を作った腕に添えさせられる。言い訳をする間もなく歩き出したベルナールに、レオノラも引っ張られる形で足を動かした。
ヒールを引っ掛けずにすむギリギリの速度でどんどんと出口へ向かうベルナールに、レオノラは冷や汗が流れた。
これは相当お怒りなのでは。
どう言い訳をしようかと考えている間にも、そんなベルナールに慌てたように何人か男性が駆け寄ってきた。
「おやゲルツ宰相殿、どちらへ?これから別室で先日の件を…」
「申し訳ありませんが妻が体調を崩したようでして。その件は後日書面で」
「は?」
ゲルツ宰相殿!?と呼び止める声を無視し、ベルナールはそのまま帰りの馬車まで止まることなく突き抜けてしまった。
そのまま馬車にレオノラを押し込むと、「出せ」と低い声が響く。
御者が鞭を振るう音がして、レオノラは漸く頭が追いついてきた。
そして現状は、怒り心頭のベルナールと、狭い馬車で二人きりという、非常に好ましくない状況である。
案の定、嫌な予感を覚えるレオノラに、ベルナールが鋭い視線を突き刺してきた。
「余計なことはするなと、言ってあった筈だぞ」
地を這う様な声。僅かに震えているのは、怒りからだろう。
普段なら、その悪役顔と低い声に歓喜しているのだが。そんな余裕はない。
なにせ、レオノラは返す言葉が見つからなかったから。
まさかアレクと一緒のところを見られるとは想定外である。暫く仕事にかまけてこっちに来ないだろうと思っていたのに油断した。
ここで軽く誤魔化してしまうのも手だが、それが原因でアレクと今後の接触を邪魔されても拙い。
それに、流石にベルナールの機嫌が本格的に悪くなりそうで怖い。
「申し訳ありませんでした。フェザシエーラ様に声を掛けていただいたので、そのまま一曲ということに」
「そもそも、あの小僧と何を話していた?」
「別に大したことでは。ベルナール様も国の為に頑張ってるので、よろしくとだけ」
「それを余計なことだと言ってるんだ!」
まぁそうだろうな。予想していた問答だが、さてどう言い返したものか、とレオノラは思考を巡らせる。
仕事の邪魔と言われてしまえばその通りだし、しかも相手はアレク・フェザシエーラだ。ベルナールにとっては忌々しいことこの上ないだろう。
「しかも、随分と楽しそうにしていたじゃないか」
「はい?」
「どうせ貴様も、ああいう顔が好きなのだろう。どいつもこいつも、女はあの小僧を見ると馬鹿の様に騒ぐ。お前もやはりその一人か」
急な話の転換に一瞬呆けてしまう。しかし、このやり取りに既視感を覚え、レオノラは思わず反射的に応えていた。
「違いますよ。ああいう顔も好きなんです。勿論、ベルナール様の顔も大好きですよ」
この問答は前世でよくあった。なつかしさと共に、条件反射で前世でいつもしていた答えを口にする。
イケメンの部類には入らない、悪役顔のキャラが好きだと言うと、よく言われたことは二つ。
一つは、ならイケメンは嫌い、あるいは興味ないのか?
もう一つは、そんなこと言っても、顔だけで選べばやはりイケメンが好きなのだろう。ということ。
そしてレオノラはそれらに否、と答える。
決してイケメンが嫌いな訳ではない。むしろ好きだ。アレク達攻略対象のキャラデザにだって胸が弾んだ。
しかし、世間からヘイトを集める役割の悪役っぽい見た目のキャラにも、同じように心が惹かれるのだ。
要は、イケメンが10人と悪役顔が1人居た場合、他の乙女達が10人にトキメク所を、レオノラは11人にトキメク。そういうことだ。
そこはレオノラとして前世から繰り返し主張したいところである。
それに、誤魔化す為にアレクの顔は嫌いだなどと嘘をついても、随分と胡散臭く聞こえるだろう。
とはいえレオノラにとってはベルナールの顔が満点の顔であるのも事実だ。
性癖を詳細に説明することはできないので今は取り合えずああ言ったが、ベルナールの顔も、この世界で超イケメンとされる者達と同等、いやそれ以上に好きということは伝わっただろうか。
レオノラが視線を上げると、そこにはベルナールがポカンと口を開けて固まっていた。
「あれ、ベルナール様?」
ヒラヒラと顔の前で手を振ってみると、バッと横を向いてしまった。
反応が返ってきたので、どうやらちゃんと話は聞いているようだ。
「それで、顔は同じように好きなんですけど、大事なのは表情!表情になると、ベルナール様のお顔が一番好きなんです」
顔だけではなく、表情の話しになると違ってくる。
こちらが怯むような、恐怖する様な、そんな怒り顔やしたり顔を作ってくれるのは、イケメンではなく悪役だ。レオノラの好きなのはそういう顔なのだから、当然悪役顔に好意は傾く。
イケメンの作る、色気とか乙女のトキメキとかを狙った様な、半端なしたり顔ではない。本物の悪役だからできる、背筋に悪寒が走る様な。それこそ獲物を追い詰める蛇の様な、そんな表情が見たい。
そしてそれはまさに、“ヒロインのトラウマ”シーンが見たい、ということなのだが。
(それをしたら、崖下落下エンド、なんだよね)
レオノラの力説にピクリとも反応しないベルナールを見やりながら、レオノラはまた未来に思いをはせる。
「ベルナール様、聞いてますか?」
「……」
全く反応がないので、呆れて興味を失ったか、適当にアレクに対する悪態をついて気が済んだのか。
とりあえず、レオノラも考え事に集中しても問題はなさそうなので、少しだけ腰を浮かせて馬車の席に深く座り直す。
さて、この袋小路状態をどうすれば都合の良い様に解決できるだろうか。
問題なのは、やはりベルナールとアレクの関係性ではなかろうか。
ベルナールの行動全ては己の私欲の為、悪巧みの為、とアレクに思われている状態はよろしくない。これではヒロインに近付くベルナールは、さぞや悪魔の様に映るだろう。
それを、物凄く好意的に言えば、恋のライバル、くらいに見える程度には、ベルナールの印象を上げられればまた違うかもしれない。
恋のライバルという認識ならば、ベルナールがヒロインにキスを迫っていても、投獄しようとまでは思わない筈。
今夜の様に、顔を合わせれば舌打ちをして嫌味を飛ばす関係のままではダメだ。
たとえば誰か。二人の間に立って緩衝材になるような、そんな人物は居ないだろうか。
残念ながらベルナールのこの怒り様を見ると、レオノラにその役目は難しい。そもそも王宮へ出仕中の二人には近付けないので元から無理な話ではあるのだが。そうなると一体誰が居るというのか。
(どうしたら……)
さっきから不機嫌そうに顔を背けたままのベルナールをチラリと盗み見ながら、レオノラは不安な先行きに小さく溜息を吐き出した。
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