16. これが洗礼か
あのベルナールが照れるとは。これがデレか?推しのデレ万歳。
などとはしゃいだレオノラだったが、次の日にはすっかり元通りの不愛想に戻ったベルナールに、思い切り肩を落とした。そのままこれといって関係が進展した訳でもなく、なんだかんだあっという間に議会の日も過ぎ。関税は無事据え置きとなっていた。
折角、照れたベルナールをからかって、もっと色々な表情を見れると期待したのに。議会の決定を祝う言葉を向けてもビシリと仏頂面で表情を固めてしまった。
いや、全く進展がない訳ではない。
この間から、朝食の席での会話の語彙が少しだけ増えたのだ。しかし、本当に少しだけ。
今まで全てのやり取りは「ニクソンに聞け」の一言だけだったが、そこに「ああ」と「知らん」が増えたのだ。
一言が三言になったのは進歩と言えるだろう。しかしだからといって…
「なんであんなに手強いの!」
先ほどまで優雅にお茶を呑んでいたと思えば急に漏れ出た悲痛な声に、横で控えていたケイティがビクッと肩を揺らした。
「お、奥様?申し訳ありません。何か粗相が…」
「あっ!ご、ごめん。なんでもないの。いつも通り美味しいわ」
本日は特に予定も無く、暇だったレオノラは庭園でお茶をしながら、一向に進展しない愛し愛され夫婦作戦に思いを馳せていた。
「ケイティ、どうしたらベルナール様ともっとお話が出来るのかしら」
「私は、お仕えしてまだ二年ですし、旦那様のことはよく分からないので」
ホゥッと悩まし気に息を吐くレオノラの言葉に、ケイティは頭を抱えた。
あの、短気ですぐ怒る主人と、その主人をまるで態と怒らせてるのか、嬉々として煽る女主人の間に、なにを助言しろというのか。
ベルナールに対してあそこまで遠慮なく、また嫌悪も感じさせずに接する女性は、レオノラだけではないだろうか。むしろ、今のレオノラこそが、ケイティが勤めて二年の間でも一番ベルナールと仕事以外の会話をしている相手だと思われる。そんななか、これ以上を望まれてもケイティには何も思いつかない。
最近使用人達の間でも、レオノラが本気でベルナールに好意的に接している、という意識が根付いてきた。しかし、ベルナールの方は相変わらずで、レオノラに対しては冷たい。
(せっかく、モテない旦那様を好いてくれてるっていうのに!)
はっきりモテない、と口に出すことはできないが、きっと誰もが頷くだろう事実だ。
最初の頃とは少し違う意味でレオノラを気の毒に思いながら、そんなことなどつゆ知らず優雅に紅茶を飲むレオノラのカップに、ケイティは新しいお茶をそっと注いだ。
ふわりと薔薇の香りが混ざった紅茶も、これで4杯目になる。レオノラがふと空を仰げば、太陽の位置も昼から大分動いていた。
ベルナールのことを考えていたら随分と時間が過ぎてしまっているが、これといった妙案が思いつかない。
「何か無いかな……」
またポツリと漏らしながらぼんやりと思考を飛ばすレオノラの耳が、ザクリと草を踏む足音を拾った。
「奥様。お寛ぎのところ失礼致します。旦那様よりご伝言がありまして、少しお時間をよろしいでしょうか?」
「ベルナール様から!?」
恭しく腰を屈めたニクソンからの思いもよらない内容に、レオノラは思わずバッと立ち上がった。
今までそんなこと一度も無かったというのに、一体何ごとか。
と、そのまま詰め寄ってくるレオノラを落ち着けるように、ニクソンは二コリと笑みを浮かべて「どうぞ」と優しく誘導して再び椅子に座らせる。
そのあまりに流れるような見事な手際に、これぞ敏腕老紳士執事の力量!と、感動するレオノラに、ニクソンはいつもの様に穏やかな声で語りだした。
「一月後に王宮で舞踏会が開かれるのですが。それに向けて奥様にドレスを用意していただきたいとのことです」
「舞踏会ですか?」
「西の山脈を迂回する街道が完成しましたので、その記念に」
「あ!何年か前から工事されてたアレですね」
これまで、西側の領土への行き来は、西方地方に広がる大きな山脈を迂回するしかなかったが、その為の道があまり整備されていなかった。そこを国を挙げての事業とし、貴族からも多額の寄付を募り、それは立派な街道の工事に着手したと聞いている。その完成を祝しての舞踏会なのだろう。
「国王陛下から、旦那様にはぜひ奥様も同伴すべきだ、と言われまして……お時間が差し迫っているなか恐縮ですが」
国家プロジェクトということはベルナールもなんらかの形で携わっているから、参加は必須。そして、予定を変更してレオノラ同伴で行くしかなくなった、ということか。
「王宮の舞踏会は久しぶりですが、分かりました」
蛇宰相の妻、という立場での参加に多少不安はあるが、それよりも二人で舞踏会に行けるというイベントに少しドキドキもする。
引きこもり状態に近い辺境令嬢時代であっても、最低限の義務として年に一、二度は王宮の舞踏会にも参加してきた。一応、貴族のマナーも教育されている。派手なことをしなければ、ある程度乗り切れるだろう。
それに、華やかな場所は嫌いではない。キラキラとした会場にヒラヒラと綺麗なドレスを纏った人々の姿は、眩しくて鮮やかだ。壁際に立ってそんな光景をぼんやり眺めているだけでも楽しい。
「ドレスの準備ってことは、新しく作るってことですか?」
「はい。私も最大限サポートをさせていただきますので」
「それだったら!前から行ってみたいお店があるんです」
ドレスを新しく作って良いのなら、もしかしたらあの店に行けるのでは。
辺境住まいで、王都の舞踏会に殆ど参加しない頃のレオノラには必要がなかったが、実は昔から憧れていたブランドが王都にあるのだ。
「もし出来れば、サン・ブラムにお願いしたいです!」
明るいパステルカラーの色使いと、スカート部分が程よく広がる形が特徴で、花や森の中に居る様な自然をイメージさせるデザインが有名な「サン・ブラム」。
レオノラは前からずっと憧れていて、買わないのにカタログを取り寄せては眺める程だった。
「あそこのドレス、一度着てみたくて」
「……申し訳ありません奥様、サン・ブラムは難しいかと」
千載一遇の機会だ!と目を輝かせて言ったレオノラに、ニクソンが物凄く申し訳なさそうな顔を向ける。
バッサリと切られた提案に、なぜ!?とレオノラは瞳を瞬いた。
「え?あ、あの…ダメでしたか?値段とかですか?それともドレスはゲルツ家の仕来りがあったり?」
「サン・ブラムは、中立派であるエルマル伯爵家のご令嬢が普段からご利用されている仕立屋ですので。派閥の関係から難しいかと」
「え?……は、派閥…?」
「はい。それと、こちらも恐縮ですが。今回のドレスの上限金額をお調べさせていただきました。どの仕立屋でも既に情報は周っているので配慮があるでしょうが、奥様にもお伝えさせていただきます」
(上限金額も店側で情報が周る?ゲルツ家の上限ってことじゃないの?)
言われた事の意味が少しも理解出来ず、レオノラは黙り込むしかできない。
折角、憧れの店でドレスが買えるかもしれないと思ったのに。
金額に関しても、宰相で侯爵家といえど上限はあるだろうと思ったが、それを仕立屋の方で情報が周るとはどういうことか。そもそも、配慮とはなんのことだ。
そしてそんなレオノラの混乱する頭に止めを刺す様に、ニクソンから手渡された上限金額の書かれた紙を見た途端、思考がどこかへ飛んだ。
「え?なにこれ、たかっ……!!???」
ニクソンが申し訳なさそうに上限金額なんて言うものだから幾らかと思えば、これまでレオノラが実家の領地で仕立てていたドレスの、5倍はする値段が書かれていた。
「あ、あの…奥様。よろしければ、私の方で幾つか仕立屋の候補を見繕っても?」
「……お願いします」
「それでは、一度失礼させていただきます。奥様。もし何か気になるようでしたら、遠慮なくお申し付けください」
「はい。ちょっと、いったん頭を整理します」
気遣うニクソンの提案に、コクリと頷くしかできない。
眉を下げたニクソンがそのまま一礼と共に去っていくと、レオノラはガクッとテーブルに突っ伏した。
「お、奥様?だいじょうぶですか!?」
ケイティが心配して駆け寄ってくる。が、レオノラはそれどころではない。
しかし前世の知識もあったおかげで、レオノラにはこの状況がどういうことか察しはついている。
間違いない。これは…
「田舎者に対する都会の洗礼だ!」
呑気にベルナールと舞踏会、と言っていられない。即刻、情報収集だ!
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