13. 蛇宰相の本領
客人の到着のずっと前から、覗き部屋で息を潜めること数時間。立派なストーカー行為だが、視界に広がる光景に興奮で拳を震わせるレオノラにはそんなこと気にしている暇はない。
「よくおいで下さった、レンメール伯爵」
「この度はご招待いただき光栄です。ゲルツ宰相殿」
普段になく、愛想の良い笑みで客を出迎えたベルナールは、その後もずっと穏やかな口調だった。挨拶や前置きもさっさと済ませ、話題がレオノラの予想通り関税の話になっても、ベルナールの口元の笑みは消えない。
「それでレンメール伯爵、返事は如何かな?」
「…ゲルツ宰相。しかし……帝国が流通を増やしたというのですから、やはり我が国も習うべきでは…」
「勿論、いずれ折を見て関税を見直す必要はあるでしょうが。今は時期ではない。あのフェザシエーラ公爵が何を言おうと、全てに従う必要はないのでは?」
「う、うぅむ……」
フェザシェーラ公爵の名前に、レオノラはハッとする。どうやらメイン攻略対象であるアレクの実家がベルナールの対抗相手らしい。
悪役は正義の味方に倒されるのが世の常だが、ベルナールはこのままで大丈夫だろうか。
つい、ゲームのベルナールが崖から転落する展開を思い出してしまい、胃の中がグッと押し潰されるような痛みを覚える。
ベルナールからの情報は一切遮断されているレオノラだが、お茶会でミシェル達と会えて僥倖だった。万が一ベルナールの行く末が転落死などにならないよう、彼が何をやっているのか少しでも監視しなくては。
「レンメール伯爵は、東のチェンベル国の言葉が堪能だとか?」
「は?あ、いえ…少し喋れる程度でして。まったく堪能というほどでは…」
「今度派遣される使節団の一員に、貴殿を是非にと推薦させて貰おうと思っているのだが」
「……それは!」
使節団の言葉にレンメール伯爵は思い切り肩を震わせる。明らかに食いついた相手に、ベルナールはニタリと口の端を釣り上げてスゥッと瞳を細めた。まるで獲物を前にした蛇のように。
「ご興味が?」
「も、勿論!大変光栄なことで」
「では関税のお話も、ご理解いただけますな。次の議会で」
「…えぇ勿論ですとも。私と、私の縁戚筋も、必ず…」
「それは何よりで」
事態が自分の計画通りに進むと確信した緑眼。満足気な笑みでレンメール伯爵と握手を交わすと、二人して部屋を出ていくその姿を見送りながら、レオノラは荒らげたい呼吸を必死に押し殺す。
しかし、二人の姿が扉の奥に消えると同時に、ガクッと膝から崩れ落ちた。
(あ゛あ゛あ゛あぁぁぁ、かっこいいいいい)
ゾワゾワと背を這う妙な興奮が収まらない。
あの満足そうな顔。あれこそ悪役の鉄板だ。ベルナールの様な悪役顔だからこそ何か特別な格好良さがある気がする。
壁に凭れ掛かりながら、あの顔を思い出しては悶え、また思い出しては、を何度も繰り返す。
どれほどそうしていたか、フルリと震える肩を抱きしめて落ち着こうと深く呼吸を繰り返し、レオノラは漸く立ち上がった。だが、まだ頬が少し緩んでいる。
本当はまだまだじっくりと一人でこの感動を噛み締めていたいのだが、あまりここでぼんやりとしていられない。折角ベルナールが屋敷に戻っているのだから、夕食はしっかり一緒に食べなければ。
あらかじめニクソンにそうお願いしておいたので、優秀な執事はきっと主を食堂へ連行してきてくれるだろう。
と、すっかり夕食時になっているのを部屋の時計で確認しながら、誰かに探しに来られる前にレオノラは自分から食堂へと意気揚々と向かって行った。




