魔法使いナズカ
「ねえ、君……大丈夫?」
僕が声をかけると、地面に座り込んでいた少女は少し驚いたように瞬きをして、こちらを見上げた。
漆黒の帽子の縁からのぞいた顔は、つややかな黒髪と、宝石のように澄んだ黄玉色の瞳。その瞳はわずかに揺れていて、かすかな不安がにじみ出ているようだった。
だが、次の瞬間――少女はすっと立ち上がり、顔つきを切り替えた。
「やあ、僕に声をかけるとは、見る目があるじゃないか。僕こそは雷を統べる偉大なる魔法使いナズカだ。で、なにか用かい?」
意外な反応に、僕はほんの少しだけ戸惑う。
その口ぶりは堂々としているが、先ほど見えた表情が、嘘だったとは思えない。
「えっと、特に用があったわけじゃないけど……。その、君が困ってるみたいだったから……、邪魔しちゃったなら、僕はこれで――」
「ちょっと待った」
ナズカが僕の言葉をさえぎるように言った。
「さっき、“大丈夫か”って聞いたよね? ……君には、僕が“大丈夫そう”に見えたのかい?」
まっすぐに向けられた視線に、少しだけたじろぐ。
「いや、正直に言えば……お金がなくて、宿を追い出されたのかなって思った。違った?」
「その通りだよ!」
ナズカは大げさに肩をすくめ、空を仰いだ。
「だが、僕は偉大な魔法使いだ。ダンジョンに潜れば、資金などすぐに手に入る!たまたま今は持ち合わせがないだけさ」
かなり個性的な性格のようだ――。
思わず、僕は後ろにいるネルコを振り返った。
だが、彼女は意味ありげな含み笑いを浮かべただけで、何も口を挟んではこない。
どうやら、助けは期待できないらしい。
僕はもう一度、ナズカに視線を戻す。
すると、その視線が僕の腰元をじっと見ていることに気づいた。
――黒溶の戦斧だ。
今日は鎧をつけずに出歩いていたけれど、念のために武器だけは装備していた。どうやら、僕が冒険者だと察したようだ。
「えっと、実は僕も冒険者で……」
「うん、そのようだね! なんて奇遇なんだろう。それで?」
急に身を乗り出してくるような調子に、少したじろぐ。
「今は三人でパーティを組んでいて……」
「三人! それは少し心もとないね。四人ぐらいがバランスがいいんじゃないかな。それで?」
まるで会話を誘導しているようだったが、何を期待されているのかは察しがついた。
けれど、ここであえて乗ってみるのも悪くないかもしれない――そんな気がしていた。
少なくとも、ナズカの身につけているローブや杖は駆け出しのそれではない。本当に魔法が使えるのだとしたら、ダンジョンでの戦力になりそうだ。
「その……。君が良ければ、一度パーティを組んで、試しにダンジョンに行ってみる?」
「いいとも! 僕がパーティに加わったからには、どんな魔物も怖くないよ!」
即答だった。少し拍子抜けするくらいに。
「その、他のメンバーの了承も必要なんだけど……」
「些細な問題さ。きっと他のメンバーも、僕の魔法を見れば“ぜひ”と言ってくれるだろう。だが――」
ナズカはわざとらしく額に手を当て、困ったような顔をした。
「だが……不幸なことに、僕は今まさに宿を追い出されたところでね。このままでは、野外で干からびるしかないよ……」
たった一日野宿しただけで干からびることはないと思うが――
とはいえ、いくら都市の中とはいえ、無防備に道端で夜を明かせば、トラブルに巻き込まれる可能性は十分にある。
「……じゃあ、僕たちの泊まっている宿に来る?」
ナズカは、じっと僕の目を見つめたまま、何も言わなかった。
「もちろん、宿代は僕が出すよ」
「――よし! じゃあ、決まりだ!」
まるでその一言を待っていたかのように、ナズカはぱっと笑顔を咲かせ、手を差し伸べてきた。握手のつもりらしい。
「これからよろしく。えっと……」
ナズカが言いよどんだ。
そこで、僕はまだ自分が名乗っていなかったことに気づく。
「僕はユニス。よろしく、ナズカ」
* * *
そして、僕たちはそのまま宿へ向かうことになった。
途中、ネルコが肩をすくめながら、ナズカに聞こえないよう僕にそっと近づいて、小さな声で言った。
「また、そういう子を拾うのね」
「な、何が?」
「ふふ、まあ……あなたって、そういうところあるからね」
拾ったつもりはないし、“また”というほど前にも同じことがあったわけじゃない。色々と反論が頭に浮かんだけれど、ネルコ相手に口論で勝てる未来がまるで見えなかったので、黙っておくことにした。
* * *
宿に着いた頃には、ちょうど夕食時だった。ネルコはそのまま厨房へ向かい、ゴードンさんの手伝いに入った。ナズカには下の食堂で待っていてもらい、僕はリリエットの部屋を訪ねた。
「リリエット、手紙は無事に書けた?」
「ああ、なんとかな。書きたいことが多くてな。少し長くなったが、先ほどギルドに頼んで届けてもらう手はずにしたところだ」
「そっか、良かったよ」
「ユニスの方は、どうしていたんだ?」
「ネルコの買い出しについていってたんだ。それで、ちょっと――思わぬ拾い物があってさ」
「拾い物?」
「いや、正確には“出会い”かな。宿を追い出されてた冒険者がいてね。なんでも魔法使いだって言うから、一度一緒に潜ってみないかって誘ってみたんだ。今、下の食堂で待ってもらってる」
「ほう。魔法使い、か。とにかく、まずは話をしてみないとな」
リリエットと一緒に食堂へ降り、三人でテーブルについた。
「改めて、僕がユニスで、こっちが一緒にパーティを組んでるリリエットだよ」
「やあ、リリエット! 初めまして! 僕こそは、雷を統べる偉大なる魔法使い――ナズカだ!」
勢いのある名乗りに、リリエットは一瞬きょとんとしたあと、落ち着いた声で応じた。
「……リリエットだ。よろしく頼む」
一瞬、気まずい沈黙が流れる。
空気を和らげようと、僕は話題を変えることにした。
「えっと、ところでナズカ。君は魔法使いで、雷の魔法が使えるってことなの?」
ナズカは、待ってましたとばかりに胸を張った。
「そうとも! 雷魔法! 最強! 無敵! そして――なによりも、かっこいい!」
あまりの大声に、厨房の奥からネルコが飛び出してきた。
「ちょっと、あなた。声が大きすぎるわよ。厨房まで丸聞こえなんだから」
「おっと、これは失敬」
ナズカが照れくさそうに頭をかくと、ネルコは少し真剣な顔つきになった。
「それに、雷魔法って――魔法系のスキルでしょ。魔法って、けっこう制約があるって話よ? 有名な話だから、私でも知ってるわ」
「そうなの?」
僕が尋ねると、ネルコはうなずいた。
「魔法系のスキルって、たいてい『集中』って状態が必要なの。目を閉じて、数秒間は完全に無防備になるわ。しかも金属製の装備をつけていると、その集中時間がさらに伸びる。だから、魔法使いって大抵、布の装備をしてるのよね」
「へえ……初めて聞いた」
「だから、ナズカちゃん。“最強”って言い切るのは自由だけど、ちゃんと仲間にはそのへんも説明しておいたほうがいいわよ?」
ネルコのその言葉に、ナズカは一瞬だけ沈黙し――わずかに眉を曇らせた。
「……最強のスキルの前では、些細なことだよ」
そう言う彼女の顔は、どこか張りつめていて、不安を隠そうとしているようにも見えた。




