大百足
今日も僕たちは、大蜘蛛のダンジョンを探索する。
昨日のうちに三階層への階段は見つけてある。そのおかげで、地図にメモしたルートを辿り、一階層と二階層は足早に駆け抜けることができた。
敵として現れる大蜘蛛も、リリエットのアイスブランドの威力は凄まじく、マリィとの連携もあり、単体なら、まったく問題にならない。
背中に赤い模様を持つという特殊個体にはまだ出会っていないが、少なくとも二層までは完全に攻略したといっていいだろう。
あっという間に三階層の階段前に到着した。
一直線にここまで来たため、体力の消耗も最小限で済んでいる。
「よし、じゃあ行こうか」
僕が声をかけると、マリィがニヤリと笑った。
「今日の目標は、四階層の階段ね」
「そこまで行けたら上出来だけど……まあ、三階層の初日だから無理はしないようにしよう」
「でも、三階層も大蜘蛛なんでしょ? なら問題ないわよ」
自信満々なマリィの言葉に、リリエットが口を挟む。
「油断は禁物だぞ」
「もちろん、慎重に。でも目標は高く!」
マリィが人差し指を立てて、どこか楽しげに言った。
確かに、目標が高いことは悪いことではない。
僕たちは頷き合い、階段を一段ずつ降りていった。
* * *
三階層でも探索は順調だった。
マリィの言った通り、大蜘蛛はもう相手にならない。
そして探索開始から、それほど時間が経たないうちに――あっさりと四階層への階段を見つけた。
「……え、うそ。本当にもう見つかっちゃったわ」
マリィが、嬉しさというよりは驚きの表情で足を止める。
視線の先には、四階層へと続く石の階段。未踏の分岐が多かったはずなのに、こんなに早く見つかるのは運がいい。まあ、冒険者を長くやっていれば、こういうこともあるか。
「さて、どうする? 降りるのか?」
リリエットが僕に問いかける。
「うん。消耗も少ないし、状態もいい。降りてもいいと思う」
僕はリリエットとマリィの顔を見た。リリエットは、いつも通り落ち着いた表情で頷いてくれる。問題は――マリィだ。
「四階層からは百足なのよね?」
さっきまでの強気な様子が嘘のように、少し弱気な声になっている。
「うん。“大百足”って魔物で、文字通り大きな百足だね」
「そうよね……。」
マリィは少しだけ目を伏せて考えるようなしぐさを見せた。そして、意を決したように顔を上げる。
「あたしは……大丈夫。蜘蛛も最初は無理だったけど、見慣れたら平気になったし。百足だって同じよ。結局、どこかでぶつかるなら、今がその時ってだけだわ」
「ありがとう。じゃあ、降りてみよう。初めての敵が出る階層だし、いつでも撤退できるように、階段付近の探索に絞ろう」
二人が頷く。
階段を下りながら、僕は改めて“大百足”の情報を口にする。
「大百足は、さっき言った通り、百足をそのまま大きくしたような魔物で、大きさは1~2メートルくらいって話だね。牙に毒があって、噛まれると、うまく力が入らなくなるんだ」
「麻痺みたいな感じ?」
「似てるけど、ちょっと違う。“脱力”っていう状態らしくて、手がうまく動かなくなったり、足をやられると立ってられなくなるらしい」
「それは厄介ね……。対処法は?」
「解毒剤はないけど、時間が経てば自然に治るって。あと、牙がちょっと掠ったくらいなら問題ない。ちゃんと噛まれて毒が注入されない限りは、そこまで酷くはならないってさ」
「……ねえ、それめちゃくちゃ怖くない? 逆に聞くけど、ユニスこそ大丈夫なの? またその盾の効果で、真っ先に狙われることになるんじゃない?」
「まあ、そうなるだろうね。でも大丈夫。ちゃんと盾で防ぐから、攻撃は二人に任せるよ」
僕だって百足なんて好きじゃない。大百足なんて、できることなら一生出会いたくない魔物だ。だが、マリィだって苦手な蜘蛛を克服してここまで来てくれた。今さら僕だけが怖がるわけにはいかない。
だから僕は前を向き、階段を一歩ずつ降りていった。
* * *
四階層を慎重に進んでいた僕たちだったが、探索を始めて間もなく、通路の先に影が現れた。
長い。いや、異様なほどに長い。
「来るよ!」
僕の声と同時に、大百足が疾走してきた。
細長い体をくねらせながら、驚くほどのスピードでこちらに迫ってくる。低く地を這っていた体が、間合いを詰めた瞬間、ぐいと持ち上がる。そのまま、むき出しの牙を開いて、喰らいつくように襲いかかってきた。
ガッ!
僕はすかさず盾を突き出した。
勢いそのままに突っ込んできた大百足の顎が、盾に激しくぶつかる。重い衝撃が腕を通じて全身に響く。それでも、僕は踏みとどまり、盾を相手の顎に押し付けるようにして体を支えた。
牙に挟まれなければ、毒を注がれることもない。だから、顎の内側に空間を作らせないよう、盾の角度を調整して押しつけ続ける。
……近い。怖い。
大百足の顔が、至近距離にあった。二本の髭のような大きな触覚がうねうねと動き、黒い目がじっと僕を見据えている。知らなかったが、百足の目は左右に四つずつ全部で八つもある。めちゃくちゃ気持ち悪い。まるで悪夢の中に迷い込んだような気分だった。
「ユニス、行くわよ!」
マリィの声が響く。
彼女は側面から、大百足の体のつなぎ目――そのわずかな隙間を狙って、パラライズファングを滑り込ませた。
刃は確かに食い込んだ。だが、大百足は怯むことなく、その強靭な脚で僕を押し込んでくる。目の前の化け物の顎には、まったく緩みが見えない。麻痺は効かないのか。
「ならば――」
今度はリリエットが声を発した。剣を上段に構え、そのまま渾身の力で振り下ろす。
アイスブランドの斬撃が、大百足の甲殻に直撃する。
裂け目こそできたが、両断には至らない。甲殻のせいだろうか。
だが、その一撃で状況が変わった。大百足は音もなく素早く後退し、とぐろを巻くように体を折りたたむ。異様な構えに、思わず身構えながらも、その場から動けずにじっと目を凝らす。
来る――!
声にする間もなく、大百足がまた突進してくる。
再び、鋭い牙を剥いて、一直線に僕の喉元を狙って飛びかかってきた。
僕は再度、盾を構え、受け止める。
――その瞬間。
「はああっ!」
リリエットが踏み込んだ。
先ほど斬りつけた箇所。甲殻の裂け目。その同じ場所に、今度は正確に、深く、鋭く、アイスブランドが叩き込まれる。
ズバッ――!
青白い軌跡とともに、大百足の体が断ち切られる。
僕の盾に噛みついていた頭部は、切断の勢いでその力を失い、がくりと力なく地面に落ちた。
だが、断ち切られた胴体が、地面の上でくねり出す。
まだ動くのか!?
そのまま、頭部のある胴体が突進してきた。地を這って進み、僕の足を狙っている。
「っ……!」
僕は咄嗟に手元の黒溶の戦斧を振り上げ、地面に向かって叩きつけるように投げた。
ゴンッという鈍い音とともに、斧が大百足の頭部に食い込む。
ピクリとも動かなくなる。
それと同時に、切断されたもう半分の胴体も動きを止め、ようやく、全身が光の粒となって霧散していった。
息を吐く。
冷や汗が、背中を流れていた。
【今後の更新について】
今後の更新は、大変申し訳ありませんが、週二回(火曜日と金曜日)とさせていただきます。
次回の更新は 7月1日(火)予定です
本作はこれまで毎日投稿を続けてまいりましたが、仕事や私生活とのバランスを考えた結果、今回の決断に至りました。
まさか、こんなにも多くの方に読んでいただけるとは思っておらず、感謝の気持ちでいっぱいです。
更新頻度は下がってしまいますが、連載はこれからも変わらず続けてまいります。
引き続き応援していただけると、大変うれしく思います。
どうぞよろしくお願いいたします。




