「大蜘蛛の絹糸」×「黒狼の革」
翌朝、マリィが宿を訪ねてきてくれた。
出迎えてみると、マリィはにこやかに手を振っていた。昨日のあの暗い表情はどこへやら、ずいぶんと明るい顔をしている。リリエットも含めて、僕の部屋で話をすることにした。
「マリィ、昨日のことだけど……ダンジョン、どうしようか?」
僕が切り出すと、マリィは頷いた。
「うん。あたし、もう一回挑戦してみたい。今日は行ける気がするの」
「無理をすることはないのだぞ」
リリエットが心配そうに眉を寄せた。
「大丈夫。実はあの後、ちょっと特訓したのよ。もう大丈夫だと思うわ」
「特訓……?」
リリエットが怪訝そうに眉をひそめると、マリィは得意げに腰につけた皮袋を外し、その口を開けて中を見せた。
「これ、見てくれる?」
僕とリリエットは言われるがまま袋の中をのぞき込んだ。そして、思わずのけぞった。
袋の中から、黒くて丸っこい、手のひらに収まるほどの大きさの――蜘蛛が、のそのそと這い出してきたのだ。
「きゃあっ!」
普段は冷静なリリエットが、裏返った悲鳴を上げた。
マリィが目を丸くしてリリエットを見つめる。僕も蜘蛛の登場には驚いたけど、それよりもリリエットの反応に目を奪われてしまった。
「ご、ごめんなさい……。リリエットがそんなに驚くなんて……。大蜘蛛でも平気そうだったから」
マリィは蜘蛛を手のひらに乗せたまま、申し訳なさそうに言った。けれど彼女自身はまるで怖がる様子もない。
「……あれは、戦う覚悟で向き合っていたからだ。いきなりこんなところで出てきたら、誰だって驚く……」
顔を真っ赤にしたリリエットは、必死に取り繕うようにそう言い返した。普段とのギャップがありすぎて、僕は少し笑いそうになるのを堪えた。
「でもこの子、悪い子じゃないのよ。ほら」
マリィは蜘蛛を手の上で左右に動かし、まるでじゃれるように指を行き来させる。
「ねえマリィ、それ平気なの? ていうか、どこで捕まえたの?」
「昨日、孤児院に出たのよ。いつもならシスターか虫が平気な子が捕まえてくれるんだけど……大蜘蛛を見た後だったから、なんだか平気な気がして、試してみたの。こんなに小さいなら、大したことないなって思って」
マリィはそう言いながら、手の上の蜘蛛を指で優しく突いてみせた。
「昨日リリエットが言ってたでしょ? “慣れれば大丈夫”って。確かにそうだったわ。蜘蛛って、なんだか不気味で恐ろしいイメージがあったけど、じっと観察してみたら、そんなに怖くないのよ」
マリィはそう言って、手のひらの蜘蛛に顔を近づけた。
「足が八本、目も八つあるわ。口の横には、鋏のような牙がある。でも、それだけね。お腹は意外と柔らかくて、頭の方は少し硬い。そして、お尻の先にある突起から糸を出すの」
彼女の声は冷静で、淡々としていた。
まるで別人のように堂々としている。
きっと、彼女は一晩かけて自分の恐怖と向き合い、それを克服したのだろう。
「あたし、“怖い”って気持ちについて、少し考えたの。それで、あたしなりの答えを出したわ。“怖い”って、つまり“わからない”ってことなのよ。でも、もう蜘蛛は“わかった”。だから、怖くないの」
なんだか、恐怖を克服したというより――なにか別の境地に片足を突っ込んでいるような気がする……。
いや、頼もしいのは確かなんだけど……。
「ねえ、ちなみにその蜘蛛はどうするの?」
「うーん、この子にはもう用はないわね。せっかくだから二人に見てもらおうと思って連れてきたけど、ずっと捕まえてたら可哀そうよね」
そう言って、マリィは窓際に歩み寄り、優しい手つきで蜘蛛をそっと窓の外の壁に這わせた。
正直言うと――そんな近くに放されるのはちょっと嫌だった。何かの拍子で、また部屋の中に入ってくるかもしれないし……。
でも、今の雰囲気でそれを口にする勇気はなかった。マリィは努力して蜘蛛の恐怖に打ち勝ったのだ。いまさら僕が蜘蛛が入ってきたら嫌だと騒ぐわけにはいかない。
だが、もし夜中にあのくらいの大きさの蜘蛛が顔に落ちてきたら、僕もさっきのリリエットみたいに悲鳴を上げてしまうだろう。
「まあ、とにかくマリィが蜘蛛を克服できたのなら何よりだ」
リリエットも、蜘蛛が登場してからは若干マリィとの距離を取っていたが、ようやくいつもの調子を取り戻したようだった。
「そうだね。それじゃあ今日は、また大蜘蛛のダンジョンに行けるね」
僕はそう言いながら、できるだけ何気ない風を装って窓を閉めた。これで、とりあえず蜘蛛が窓から入ってくる心配はないだろう。
「そうね。今日は昨日の失態を取り戻すぐらい、バシバシ行くわ!」
いつもの明るいマリィに戻ったようで少し安心した。昨日の表情は本当にひどいものだった。
「あ、そうだ。それなら武器は今まで通りで大丈夫かな? 昨日、リリエットと話しててさ。もう少しリーチのある武器とか、投擲武器があれば、戦いやすいんじゃないかって思ったんだ」
「投擲武器……?」
マリィが小首をかしげる。僕は、部屋の隅に置いてあった骨ブーメランを指さした。
「……別にいらないわね。でも、あたしのために考えてくれてありがとう。それじゃあ、今日の分の融合はあたしの装備に使っていいの?」
一応、僕はリリエットの方を見やる。
「私は昨日、剣を融合してもらったばかりだからな」
リリエットは頷いた。問題はなさそうだ。
「じゃあ、あたし防具がいいわ。昨日ドロップした糸があったわよね?」
「うん、あるけど……糸を融合するの? 鎧とかに?」
大蜘蛛の絹糸は確かに丈夫そうだけれど、防具というより服や装飾品のイメージだ。サラサラしていて、手触りも滑らかだ。
「うんとね、そうじゃなくて。その糸と、黒狼の革でクロークみたいなのができないかなって。黒狼の革、いくつか取ってあったでしょ?」
「うん、あるけど……クローク?」
体を包むような長い布の防具だ。確かに、たまに冒険者が身につけているのを見かける。
「お母さんがね、そういうのをつけてたの」
マリィの両親は冒険者だった。彼女が二刀流の短剣を使っているのも、母親のスタイルを真似てのことだ。
クロークか……。意外と侮れない防具だ。布一枚増えるだけで、思わぬ怪我を防げることもある。
「でも、クロークになるとは限らないよ。素材だけで防具を作ったことって、今までなかったし……」
これまでは、既存の防具に素材を融合して強化するのが基本だった。素材同士で作ったことは、一度もない。
「ええ。でも、防具にならないって決まってるわけじゃないでしょ? あたしの勘だと、そんなに変なものにはならないと思うの」
確かに。革と糸なら、防具になりそうな気はする。それに、融合にはまだまだ分からないことが多い。試してみる価値はある。
「……わかった。やってみるよ」
僕は部屋の隅に置いてあった黒狼の革と、大蜘蛛の絹糸を両手に取った。
素材を手に取りながら、ふと考えた。マリィは明るく蜘蛛の話をしていたが、昨日の様子を思い出すに、きっとそんなに単純なことじゃなかったはずだ。
それでも、彼女は自分なりに恐怖と向き合い、乗り越えた。その勇気に報いるような、そんな装備を――少しでも彼女の背中を支えられるような装備を、僕の手で作れたらと思った。
「じゃあ……行くね」
いつもなら、“何ができるだろうか”と思って緊張しながら融合することが多い。けれど今日は違う。僕は明確に、“こうあってほしい”という形を心に描いていた。
マリィを包み込んで守れるような、そんなクロークを――。
融合。
対象は、マリィ。
二つの素材が手の中で輝き、混ざり合う。柔らかい光の中、やがて、ひとつの形を取っていく。
光が収まると、そこに現れたのは漆黒の外套だった。
鑑定。
《黒糸のクローク:外套 防御力2 気配遮断(小) ※マリィ以外が使用すると破損》
まさに求めていたような融合結果だった。




