糸付きブーメラン
白く光る絹糸を拾い上げ、僕たちはそのまま探索を再開した。
そしてすぐに、二体目の大蜘蛛と遭遇する。
通路の奥から、黒い影がこちらへ向かってくる。姿は先ほどと同じ。あの異様な見た目に、一瞬だけ身体がこわばる……けれど、もう一度深く息を吸って、構えを取った。
大丈夫。さっきと同じだ。他の魔物と比べて、特別に強いわけじゃない。慣れさえすれば、対応できる。
蒼花紋の盾の効果で、虫系の敵対心が上がっているおかげか、またしても真っ直ぐ僕に向かってくる大蜘蛛。
前足が振り下ろされるのを盾で受け、大蜘蛛が噛みつこうと顔を伸ばしてきたところで、リリエットが横から斬り込んだ。
足を斬り飛ばされ、よろめいた大蜘蛛に、さらに渾身の一撃。
氷の剣が頭を割る。大蜘蛛は光の粒となって消えていった。
リリエットの動きは完璧だった。アイスブランドを完全に使いこなし、動きも全く無駄がない。
でも、ふと横を見ると――マリィは、また一歩も動けていなかった。
「……ごめんなさい。あたし、まだ……」
マリィは、悔しそうに目を伏せながらそう呟いた。
「慌てることないよ。やっぱり、こいつは今までの敵とちょっと毛色が違うからさ。ゆっくり慣れていけばいいよ」
できるだけ、何でもないような調子で答えた。けれど、マリィの返事は、少しだけ元気がなかった。
「ありがとう……頑張るわ」
僕たちは探索を続けた。
大蜘蛛は一体ずつしか出てこない。一体だけなら、僕とリリエットでも十分倒せる。慣れてくれば所詮は一階層の魔物だ。マリィには、慣れるまでじっくり様子を見てもらえばいい――そう思っていた。
でも、三体目も、四体目も――結果は同じだった。
マリィは僕の隣で武器を構えたまま、結局動けなかった。そして、回数を重ねるごとに、マリィの表情はどんどん暗くなっていく。慣れるどころか、むしろプレッシャーだけが強くなってしまっているのかもしれない。
僕は四体目のドロップを拾い上げて、ふぅっと息を吐いた。
「今日は、ここまでにしよう」
唐突にそう言った僕に、マリィが慌てて顔を上げた。
「あ、あたしは大丈夫よ。次は上手くやるわ」
その言葉は本心だと思う。だけど――このまま繰り返しても、逆効果な気がした。
「うん、分かってる。でも今は一旦、ダンジョンを出よう。今日はここまでにして、明日、また改めて考えよう。一日置いて、気持ちを切り替えるんだ」
マリィは少しだけためらってから、静かに頷いた。
「……わかったわ」
隣で様子を見ていたリリエットも心配そうにマリィを見たが、うなずくだけで何も言わなかった。
* * *
僕たちはダンジョンを出て、外の空気を吸い込んだ。
新鮮な空気が肺を満たす。マリィも少しだけ表情を和らげて、静かに深呼吸していた。
そのまま、いつものように迷宮都市への道を歩き出す。だけど――今日は、いつものような会話はなかった。
僕自身、どんな言葉をかければいいのか分からなかった。ただ、少しでもマリィの心が楽になるようにと、言葉を考えては結局、声に出せず、ぐるぐると同じようなことを考えていた。
やがて都市の門が見えたところで、マリィがぽつりと口を開いた。
「今日は……ごめんなさい。また明日も、門の前でいいわよね。じゃあ、またね」
そう言って、軽く手を振ろうとするマリィの背に、僕はすかさず声をかけた。
「待ってよ、まだギルドで換金してないよ」
僕の言葉に、マリィは振り返る。
「あたしは今日は、何もできてないもの。貰うわけにはいかないわ」
「だめだよ。ついてきて」
思わず、少し強い口調になった。自分でも驚いたくらいだ。
でも、ここで引き下がってはいけない気がした。
マリィは僕の口調に驚いたように目を見開いたが、やがて小さく頷いた。
* * *
ギルドでの換金はあっさりと終わった。
今日の探索で得た大蜘蛛の絹糸は四つ。そのうちのひとつは融合の素材として残したので、売却したのは三つ。
買い取り額はひとつ20ゴルドだった。合計60ゴルド。
三人で分けて、一人20ゴルド。
今まで一番低い額だが、確かに、今日の冒険の成果だ。
ギルドの建物を出て、僕はマリィとリリエットに向き合った。
「はい、今日の分だね」
僕は、20ゴルドを手渡した。
「ありがとう……」
マリィはほんの少し迷ったような表情を見せたけれど、しっかりと受け取ってくれた。
「ねえ、今日の冒険、僕は失敗だったなんて思ってないよ」
その言葉に、マリィが顔を上げる。
「マリィは苦手って言ってたのに、それでも大蜘蛛のダンジョンに行こうって決めてくれた。それだけで、十分すごいことだと思うんだ」
「でも……何もできなかった」
「それでも構わないよ。無理して我慢する必要なんてない。僕たちはパーティなんだから、誰か一人が全部を背負う必要なんかないんだ。……考えてみたけど、無理にあのダンジョンにこだわることもないよ。別のダンジョンだって、深く潜れば良い素材は手に入るよ」
マリィは小さく唇をかんだ。
だけど、その瞳には、ほんの少し光が戻っていた。
「……ありがとう。でも、あのダンジョンを諦めるかどうか、もう少しだけ考えさせて。あたしだって、何もできないままじゃ悔しいから」
その言葉に、ほんの少し、いつものマリィらしさが戻ってきた気がした。
「もちろん。じゃあ、明日の朝は僕たちの宿で待ち合わせしよう。そこで改めて話そう」
「うん、そうね。……ありがとう」
* * *
マリィと別れたあと、僕とリリエットは並んで宿への道を歩いていた。
「……あれで良かったのかな」
胸のあたりがどこかもやもやして、言葉が自然とこぼれた。
僕の問いに、リリエットは少しだけ歩調を緩めて振り向いた。
「そうだな。結局は、マリィ自身の気持ち次第だな。だが……先ほどのユニスの対応は、リーダーとして立派だったと私は思うぞ」
リリエットの横顔は、いつもより穏やかに見えた。
「そうかな……そうだといいんだけど」
リーダーなんて言葉がまだしっくりこない。だけど、誰かを傷つけるような選択だけは、しないでいたいと思っている。
「とはいえ、他に私たちにできることがあれば、試してみたいところだな」
「うん。実は、少し考えてたんだ。……もっとリーチのある武器を作って、マリィに使ってもらうのはどうかな」
僕がそう言うと、リリエットは顎に手を当て、少しだけ思案顔を浮かべる。
「なるほど。距離を取れるなら、少しは気持ちが楽かもしれないな。だが、何か当てはあるのか?」
「うん、ほら……ずいぶん前にサハギンの骨棍棒から作った、ブーメランがあったでしょ? あれを応用できないかなって」
「投擲武器、か……。確かに、それなら心理的なハードルは下がるかもしれない。だが、あのままでは武器としての威力は乏しいな」
「そこなんだよね。でも、今日拾った大蜘蛛の絹糸、あれを組み合わせたらどうかな?」
「ふむ、絹糸……で?」
「えっと……糸付きブーメラン、みたいな……?」
言ってから、自分でもバカみたいなことを言ってる気がしてきて、言葉尻が自然としぼんだ。
リリエットは黙って肩をすくめただけだった。たぶん、冗談だと思われた。
結構、本気で考えていたんだけどな……。
その後も、僕たちはいくつか融合のアイデアを出し合ってみたが、「これだ」と思える組み合わせにはたどり着けなかった
結局その日は、それ以上の答えを見つけられないまま、翌朝を迎えることになった。




