氷剣の閃き
「よし、最後の確認だけど、僕が正面、リリエットとマリィは左右からお願いね。僕の盾には虫系統からの敵対心上昇って効果が付いているから、相手がどんな動きをしてきても慌てないでね」
僕は盾を軽く構え直しながら言った。
リリエットのアイスブランドも今回が初陣だが、僕の蒼花紋の盾も、虫系統の魔物に使うのはこれが初めてだ。敵対心上昇という効果がどのように働くかは分からない。良い方向に働けばよいが、悪くすれば敵の予想外の行動につながるかもしれない。
内心では少し緊張していたが、それが顔に出ないように気を付けた。
「それと、麻痺が効くかは分からないから、そこも油断しないでね」
「もちろんよ」
マリィが短く答える。
「よし、じゃあ行こう!」
僕たちは階段付近から探索を始めた。ややじめっとした空気と土の匂い。聞こえるのは、自分たちの足音と、どこかで滴る水の音だけ。
しばらくして――横を歩くマリィが立ち止まった。
「通路の先、いるわよ」
彼女は囁くように言って、僕の右横で素早くダガーを構えた。リリエットも左側に並び、剣を抜いた。
通路の奥、確かにいる。黒くて低い影が動いた。
大蜘蛛。
その姿をしっかりと目にした瞬間、喉の奥がぴくりと引きつった。
漆黒の体に、長く太い八本の足。全体の高さは大人の腰ほどもあり、足を広げた姿は二メートル近くはあるだろう。八本の足をせわしなく動かして、そいつは一直線に僕たちの方へと進んでくる。
……聞いていたよりも、ずっと大きく見える。
「よし、こい!」
あえて声を出して、一歩前へ踏み出した。心臓の鼓動がうるさいほど響く。でも――僕が怯えるわけにはいかない。マリィも、リリエットも見ているのだから。
複数の目が、僕をじっと見つめている。感情の読めないその目に、確かな敵意を感じた。
来る!
大蜘蛛は僕の目の前でピタリと止まったかと思うと、前足を二本振り上げて勢いよく振り下ろしてきた!
――ガンッ!
盾で受ける。衝撃は思ったより軽い。いける、そう思った瞬間だった。
大蜘蛛がぬるりと顔を前に突き出し、口の横にある左右の牙を大きく広げてきた。
「くっ――!」
僕は咄嗟に一歩、後ろへ跳んだ。
直後、二本の牙が鋏のように閉じて空を切る。もしそのままだったら、胴体ごと挟まれていたかもしれない。
危なかった……。この魔物、攻撃の動作が読みにくすぎる。
それでも、まだ狙いは僕。大蜘蛛はすぐさま再び体勢を整え、襲いかかろうとした――その時だった。
青い剣閃が、横から閃く。
大蜘蛛の足が二本、宙を舞った。
リリエットだ!
僕の左から横合いに踏み込んで、大蜘蛛の左側の足を二本同時に正確に切り払ったのだ。
足を失った大蜘蛛はバランスを崩しかけ、六本の足で必死に踏ん張る。が、それに構うことなく、リリエットはもう一歩踏み込んだ。
そして、そのまま剣を上段に構え、頭部――、目が集まっているあたりに狙いを定めて、渾身の一撃を叩き込んだ。
ザシュッ――!
横から振り抜かれた氷の剣が、大蜘蛛の頭を真っ二つに裂いた。裂けた傷口から白い霜がじわじわと広がり、内側からは淡い煙のような冷気が地を這うように漏れ出していく。
――頭部がそんな状態になって、生きていける生き物なんていない。
断末魔を上げる暇もなく、大蜘蛛はその場に崩れ落ち、光の粒となって消えていった。
「すごい……」
呆然としながら、僕は呟いた。リリエットはいつものように静かに剣を収めていた。
「ああ、すごい切れ味だ」
リリエットは小さく笑い、先ほどの戦闘の手応えを噛みしめているようだった。
「うん……それもすごかったけど……」
僕は頷きながら、あの冷静な立ち回りを思い出す。
アイスブランドの威力は確かに抜群だった。けれど、それ以上に、大蜘蛛という異形の魔物に対して、全く怯まずに斬り込んだリリエットの胆力も凄かった。
「リリエット、よく攻撃できたわね。ごめんなさい、あたし、今回何もできてない……」
マリィが、肩を落としつつも、称賛と悔しさが混ざった声で言った。
「ふむ、正面はユニスが引きつけてくれたからな。横からなら危険も少ないと思っただけのことだ。それにマリィは虫が苦手なのだろう。慣れるまでは無理をする必要はない。武器のリーチの差もあるしな」
確かに、マリィの短剣は敵にかなり接近しないと当たらない。その距離であの大蜘蛛に挑むのは、想像以上に勇気が要るだろう。
慣れ――リリエットの言葉に、僕はうなずいた。
「うん、確かにそうかも。正直、僕も今回はちょっと怖かったよ。でもあいつが今までの敵より強いからってわけじゃない。ただ、あの姿が見慣れないだけで、余計に恐ろしく感じたんだと思う」
実際、足の打撃は大した威力ではなかった。問題は鋏のような牙――だが、あれも射程は短い。落ち着いて見て、しっかり下がれば避けられる。そう考えれば、戦いようはある。
「……そうね。慣れ、か。わかったわ」
マリィは小さく頷き、気持ちを切り替えるように息を吐いた。
「じゃあ、次に行こうか。まずはドロップアイテムの回収だね」
僕が足元を見やると、床に白く輝く一束の糸が落ちていた。細く、柔らかそうに見えるが、どこか芯の強さを感じさせる光沢がある。
鑑定。
《大蜘蛛の絹糸:素材》
これは、なかなか面白い融合素材になりそうだ。




