コボルトのダンジョン
「コボルトのダンジョンって、確か一階層から敵が複数体出てくるって聞いたんですが、本当ですか?」
僕がそう尋ねると、ギルドの女性職員は頷きながら答えた。
「はい。こちらのダンジョンは、一階層から二体のコボルトが同時に出現する可能性があります。階層が下がるごとに数が増え、三階層では最大三体、六階層では最大四体が出現します」
やはり記憶していた通りだ。最初に冒険者になったときに、このダンジョンを避けゴブリンのダンジョンを選んだのはこれが理由だ。
敵が複数同時に出てくるとなれば、それだけ戦闘は激しくなる。以前の僕では対応しきれなかっただろう。でも今のパーティなら、複数の敵を相手にするくらい、もう怖くない。
「それより下はどうなんですか?」
僕は念のため聞いてみた。
「それより先の情報は、一般には公開しておりません」
女性はやんわりと微笑んだ。
ギルドとしては、冒険者にはダンジョンにある程度潜ってほしい。でも、あまりにも奥深くまで行かれて、うっかり“主”を討たれてしまっては困るのだろう。コボルトのダンジョンは、今のところ六階層までの情報しか開示されていないようだった。
「なるほど。ありがとうございます」
僕は頭を下げ、パーティの二人を見た。
リリエットは、目を見れば聞くまでもなかった。その瞳は、すでに戦う覚悟を決めている。
マリィに視線を向けると、彼女は少し間をおいてから、小さく頷いた。これで決まりだ。
ただ、もう一つ気になることがあった。
「あの……最近できた、トレントよりも後に発見されたダンジョンがありますよね」
「ああ、はい。北東に現れたダンジョンですね」
「そこって、どんな敵が出るんですか?」
懸賞金騒ぎで慌ただしかったせいで、その新ダンジョンについてはまだほとんど知らない。
「ご存じなかったんですか? あそこは――虫系の魔物が出るんですよ」
* * *
ギルドを出た僕たちは、迷宮都市の北西――コボルトのダンジョンがあるという方面へと足を進めていた。
「ねえ、ユニス。虫が出るってダンジョン、あたしは行かないからね?」
マリィが横を歩きながら、念を押すように僕を睨む。
ギルドで“虫”という単語を聞いた瞬間、彼女は明らかに肩を震わせて、会話を早々に切り上げようとしていた。
「そうは言っても、いつかは行くと思うよ。面白い素材が手に入りそうだし」
もちろん、すぐに行くつもりはない。今は、まずコボルトのダンジョンを攻略することが先だ。ただ、融合素材のことを考えると、いつかは虫のダンジョンにも挑まなければいけないだろう。
……まあ、僕だって虫と戦うのは正直あまり気が進まない。
「え〜……」
マリィが不満げに唇を尖らせる。
「えり好みをしていては、立派な冒険者にはなれないぞ」
リリエットが、まるで好き嫌いの多い子供をたしなめるような口調で言う。
「じゃあ、リリエットは虫相手でも平気なの?」
マリィの問いに、リリエットはただ肩をすくめてみせた。
やはり、リリエットも虫は苦手のようだった。だが嫌いでも、戦う。それが彼女のスタンスなのだろう。 その姿勢に、僕は心の中でこっそり拍手を送った。
* * *
そんな風に話していたらコボルトのダンジョンの入り口についた。ダンジョンに降りる前に簡単に装備を確認して、打ち合わせをする。
「よし、じゃあ最初は慎重に行こう。僕が前に出て攻撃を引きつけるから。いきなり二体出てきたら、もう一匹はリリエットにお願いね」
「ふむ。任せてくれ」
リリエットは聖銀の盾を持った左手を軽く上げて答える。
「マリィは、いつもみたいに隙を狙って攻撃して」
「了解! さっそく、この短剣の威力が試せるわ」
マリィは右手にパラライズファングを構え、にんまりと笑った。新しい武器への期待と、戦闘への自信が入り混じった、楽しげな表情だった。
このダンジョンは、複数体の敵が同時に出てくる可能性が高い。そういった場面で、マリィの持つ麻痺効果は非常に有効だ。たとえ一体でも足止めできれば、戦況は大きく変わる。
準備を整えた僕たちは、ダンジョンの階段を下りていく。
驚くほど冷静な自分に気づく。無理に気を張る必要がない。この仲間たちと一緒なら、きっと何があっても大丈夫だと、心から思えていた。
もちろん油断は禁物だ。
しばらく探索を進めると、前方にコボルトが姿を現した。一体だけだ。
聞いていた通り、二足で歩く獣人型の魔物だ。ゴブリンより少し大きく、犬のような顔と毛並み。手に武器は持っていない。こちらに気づいて向かってくる。
僕は一歩前に出て、盾を構えた。
飛び上がったコボルトが爪を振りかぶって襲いかかってくる。
……だが、その動きは明らかに遅かった。
黒溶の戦斧で叩き落とすことすらできそうだったが、油断せず、盾で受け止める。
「っ……!」
衝撃はあったが、軽い。盾がしっかりと攻撃を吸収してくれる。手に伝わる感触からしても、力はそれほどではなかった。
僕はそのまま、盾を斜め下に薙ぎ払うようにして、コボルトを地面に叩きつける。
コボルトは咄嗟に体勢を立て直したが、隙だらけだった。
無防備なコボルトに攻撃を叩き込む。
黒溶の戦斧が袈裟懸けにコボルトの胴を裂き、その刃の軌跡に沿って、赤く輝く溶岩がほとばしった。
「ギャウッ!」
悲鳴と共にコボルトがよろめいたそのとき、横からリリエットがすっと踏み込む。
素早く、聖銀の剣を二度閃かせた。銀の軌跡が空気を裂き、コボルトの喉元と胸を深く切り裂いた。
致命傷だ。
コボルトは倒れ、一瞬のうちに光の粒へと変わり、音もなく消えていった。
残されたのは、毛皮だけ。
「ふう……」
僕はリリエットの方に目を向ける。彼女はまったくの無傷で、息も乱れていない。さすがだ。
正直、拍子抜けするほどだった。
けれど、それはコボルトが弱いというよりも、僕たちが強くなったのだろう。リザードマンエリートとの連戦で、僕たちの連携も、戦闘経験も一段と洗練されたのだ。
「ねぇ……。あたしの出番がないんですけど?」
やや不満そうな声が後ろから聞こえた。
振り返ると、パラライズファングを構えたまま、じっとこちらを見ている。新しい武器を使う気満々だったのだろう。期待に満ちた瞳が、少しだけしょんぼりしている。




