リザードマンの弱点
翌朝。
僕とリリエットは、いつも通り宿を出て南門へと向かった。
南門では、すでにマリィが待っていた。僕たちを見つけると、彼女は耳をぴんと立てて、嬉しそうに手を振ってきた。
けれど、次の瞬間には――
「ユニス、すごい鎧ね……でも凹みは治ったみたいね」
マリィが、口元を手で押さえながらクスクスと笑った。昨日融合したばかりの《アンバーゼリースケイルアーマー》のことだ。
「からかわないでよ」
僕は少しだけむくれた声で返す。
だが、マリィはそこでぴたりと笑うのをやめ、僕の顔をじっと見つめてきた。そして、次にリリエットの顔へと視線を移す。
「……な、なんだ?」
顔を凝視されて、リリエットがむずがゆそうに言った。
「二人とも、何かあったの?
なんだか、いつもの感じと違うわ」
僕とリリエットは、無意識のうちに顔を見合わせた。
――やっぱり、表情に出ていたんだ。昨日聞いた“あの噂”のことが、無意識のうちに心に影を落としていたのかもしれない。
「実はね、マリィ。昨日、ネルコから噂を聞いたんだ。トレントのダンジョンが、もうすぐ討伐されるかもしれないって……」
「なにそれ?」
マリィの顔から笑みが消える。
「なんでも、とあるパーティが十階層まで進んだらしいんだって」
「え、それだけ?」
あっけらかんとした口調でマリィが言う。
「それだけって……僕たちはまだ五階層だし……」
「でも、まだ討伐されたわけじゃないんでしょ?
それに、あっちのダンジョンが何階層あるかなんて、誰にも分からないじゃない」
「それは、まあ……」
言葉を濁す僕に、マリィはまっすぐな目で言い放った。
「あたしは、あきらめないわよ。だって、まだ全然負けてないもの。
あたしたちも未討伐、あっちも未討伐。なら、一緒でしょ」
僕とリリエットは、ふたたび顔を見合わせた。
リリエットが先に、ふっと笑った。僕も、思わず笑ってしまう。
そうか。たしかにマリィの言う通りだ。
焦ったって仕方がない。僕たちは僕たちなりのペースで、一階層ずつ進んでいくしかないのだ。
「そうだね。その通りだよ、マリィ」
僕はしっかりと頷いて、ふたりを見る。
「今日の目標は、六階層への階段を見つけること。それで行こう」
マリィは元気よく頷いた。
「ええ、もちろん!」
「そうだな。確実に進んでいこう」
それぞれが、前を見据えて一歩を踏み出す。
* * *
ダンジョンの五階層への階段までは、いつも通り順調にたどり着けた。
けれど、この階層からが本番だ。昨日、僕はここで――あと一歩で致命傷になるところだった。
リザードマンエリート。
黄色い鱗を持つ、上位個体。
気を引き締めるように、僕は拳を強く握った。今日は、昨日とは違う。慎重に、着実に進むんだ。
「昨日は、すこしだけ攻撃に意識が行き過ぎてたんだと思う」
五階層へと続く階段を降りながら、僕は背後の二人に向けて言った。
「今日は気をつけるよ。どんな時でも、敵の反撃を意識する。多少時間がかかっても、慎重に対応していけば……数で有利な僕たちは、そう簡単には負けない」
リザードマンエリートは、確かに強敵だ。攻撃を集中させ、反撃の暇を与えずに倒せれば楽には違いない。
けれど――ここはダンジョンだ。たった一歩の判断ミスが、死に直結する世界。
「攻撃をもらった僕が言うのも変だけど、狙われたときは、防御や回避に専念してほしい。そうすれば、大した敵じゃないから」
自分でも、言っていて少しちぐはぐだなと思った。攻撃には気をつけてほしい。でも、萎縮してほしくはない。そう伝えたいのに、どうしても言葉がうまくまとまらない。
いつだったか、マリィが僕のことをリーダーだと言ってくれた。それが頭に残っていて、リーダーらしくあろうと意識しすぎているのかもしれない。
「そうだな」
リリエットが、やわらかい目でうなずいてくれた。
「あたしも気をつけるわ」
マリィも真剣な表情で頷いた。
そんな会話を交わしながら、いよいよ五階層に到達する。
昨日は探索しなかった箇所を、メモを頼りに順番に潰していく。
何度か通常のリザードマンと戦った後、本日一体目のリザードマンエリートと遭遇した。昨日と同じ、槍持ちの個体だ。
基本の戦法は変えない。僕が最初に攻撃を引きつけ、リリエットが攻撃を仕掛ける。そこを起点に、マリィも加えて連携して攻撃を重ねていく。
昨日はそのまま押し切るように戦ったが、今日は慎重に動くことを意識した。そのせいで反撃の機会を何度か与えることにはなった。けれど、回避や防御は十分に間に合った。
そして数度目の攻撃のあと――リザードマンエリートはついに倒れ、光の粒となって霧散した。
その場には、持っていた骨の槍が残されていた。
「よし、ちゃんと戦えてるね」
少しちぐはぐな演説をした直後だったから、正直内心では不安もあった。でも、連携はうまくいった。
これなら、安心して先へ進めそうだ。
「ああ、そうだな。良い連携だった」
「そうね、良い戦闘だったわ。でも、それより――こいつ、またこれを落とすのね」
マリィが指差したのは、地面に転がる骨の槍だった。
通常個体のものより、少しだけ大きい気がする。念のため鑑定。
《大骨槍:槍 攻撃力5》
……名前の通りだ。攻撃力もわずかに上がってはいるが、正直それだけだ。
「まさか、これ持って帰るって言わないわよね?」
マリィがじと目で睨んでくる。
「いや、置いておこう。こんなの持ってたら戦えないし、今は探索優先だね」
融合素材としては面白いかもしれないが、わざわざ荷物を増やしてまで拾う価値はない。やれやれ、エリートでもハズレドロップはあるらしい。
* * *
そのまま探索を続け、順調に未踏破のエリアを埋めていく。
しばらくして、本日二体目のリザードマンエリートと遭遇した。今回は、左手に木製の盾、右手に石斧のようなものを持っている。
「盾持ちだ。注意しろ」
リリエットが短く警告を発する。
初めて戦う盾持ちの個体。こういう時こそ、基本に忠実に。
僕が前に出て攻撃を引き受ける。石斧の攻撃は強力ではあるが、まだ耐えられる範囲内。
その隙にリリエットが左側から聖銀の剣を振るう。浅いが、しっかりと攻撃が通った。
僕もそれに続こうと斧を振るうが――盾でしっかりと防がれた。
木製だが厚く、硬い盾だ。けれど、僕の《黒溶の戦斧》は盾に食い込み、そこから赤い溶岩が噴き出す。
そして次の瞬間、炎は一気に盾全体へと広がった。
「ギシャア!!」
リザードマンエリートが叫ぶ。今までに聞いたことのない声だ。
そしてリザードマンエリートは――燃え上がる盾を地面に叩きつけた。
だが、それだけでは終わらない。
なんと、その炎上する盾に向かって、石斧を振り下ろしたのだ。
全く意味のない行動。僕は一瞬、何が起こったのか理解できず、動きが止まった。
だが、リリエットは即座に反応した。無防備になったリザードマンエリートに、連続して斬撃を叩き込む。
僕も我に返って斧を振るい――その連携の末、敵は崩れ落ちた。
ドロップアイテムは、石斧。通常個体と同じものだった。
「今の行動って、変じゃなかった?」
「ああ、変だった」
リリエットも真剣な表情で頷く。
「変なんてもんじゃないわよ。何あれ。盾が燃えたからって、まさかの八つ当たり?」
「……八つ当たり、か?」
確かに、自慢の防具が壊れて怒り狂ったようにも見えた。でも――何か違う気がした。
「とりあえず移動しよう。どんな相手でも、動揺しないようにね」
「はーい……っていうか、動揺してたのはユニスじゃない」
マリィがくすくす笑う。
たしかに、驚いていたのは僕のほうだったか。
「そうだね。僕も気をつけるよ」
苦笑して答えた。
* * *
しばらくして、三体目のリザードマンエリートと遭遇した。
またしても、盾と斧持ちだ。
「隙を見て、盾を狙うよ」
二人にそう告げて、僕は慎重に前に出た。防御を意識して攻撃を引きつけ――隙を見て、今度は最初から盾に向けて斧を振るった。
そして、またしてもまったく同じ反応。
燃え上がる盾。
リザードマンエリートは叫び、盾を地面に叩きつけ、斧を盾に振り下ろす。
今度は動揺しなかった。隙だらけになったリザードマンエリートに対して三人で攻撃を畳みかけ、あっという間に撃破した。
ドロップアイテムは琥珀鱗だった。
「やっぱり、変よね……」
マリィが呆れたように言う。
「炎が……恐ろしいのかもしれない」
リリエットが静かに呟く。
僕も考える。
普通の生き物なら、恐ろしいものは避けようとする。だが、リザードマンエリートは――それを攻撃した。
そして、ふと思い出す。
最初にリザードマンエリートと戦った時のことを思い出していた、傷口の溶岩に対して吠えた。今思えばあれは痛みではなく、威嚇のような動作だった。
威嚇…、一体何に対して…。
「……あ」
思わず声が出た。
ふたりの視線が、僕に集まる。
「もしかして、炎を“敵”だと思ってるんじゃない?」
「炎を敵って……どういうこと?」
マリィが困惑したように眉を寄せる。
「うーん、水の神様を信仰してて、炎を敵視してるとか……?」
思いつきで言っただけなので、冷静に聞かれるとその後は苦しい理由付けしか思いつかなかった。
マリィは苦笑し、肩をすくめた。
だが――
「いや。ユニスが正解かもしれない」
リリエットが真剣な声で言った。
「昔、近くの村で、夜な夜な家畜が蛇に襲われるって騒ぎがあったんだ」
唐突にリリエットが語り出した。
「蛇?それがリザードマンと何の関係があるの?」
マリィが小首をかしげて問い返す。
「ああ。その事件は、結局ベテランの猟師が蛇を捕まえて解決したんだが……その猟師が言うにはな、“一部の蛇は夜でも獲物の位置がわかる”らしい」
「それって、夜行性の動物なら普通じゃない?
暗くても目が効くっていうのは、そう珍しくないわよ」
「いや、そうではない。
その蛇は目で見ているんじゃないそうだ。
獲物の”温度”を感じることができるんだ」
その瞬間、僕の中でピースがはまった。
「あ――」
思わず声が漏れる。
リザードマンは目だけじゃなく、“熱”でも敵を認識してるんだ。
そう思えば、これまでの不可解な行動にも説明がつく。
黒溶の戦斧から迸る溶岩。それはリザードマンからすると急にそこに敵が出現したように感じて驚いたんだ。溶岩の時はしばらくして消えた、だが盾に火が付いたときはそうではない。
燃え上った盾はリザードマンからすると急に敵が手に纏わりついたように感じたのかもしれない。
だから、盾を地面に叩きつけ、怒りに任せて斧を振り下ろした。
理不尽な八つ当たりではなく、リザードマンなりの“敵への攻撃”だったのかもしれない。
僕はゆっくりと息を吸ってから、言った。
「……もし、これが本当だとしたら」
そこで言葉を切り、二人の顔を順に見る。
「僕たちは、このダンジョンを攻略するための――大きなカギを手に入れたかもしれない」




