迷宮都市の調整役
融合の光が収まった。
僕の手元には、深緑色の鎧が静かに姿を現していた。
表面は一見、無数の鱗で覆われているように見える。だが、よく目を凝らすと――その“鱗”は本物の鱗ではなかった。
緑色のゼリー状の物質が、鱗のような凹凸を形作っている。
試しに指先で触れてみると、ぷに、と柔らかく沈み込み……さらに押し込むと、その奥にはしっかりとした芯のような硬さが感じられた。
鑑定。
《グリーンゼリースケイルアーマー:鎧 防御力6 刺突耐性+2 魔法耐性−1 ※ユニス以外が装備すると破損する》
「おお……」
思わず声が漏れる。
この防御力は、リリエットが以前、防具屋で買った《蜥蜴鱗の鎧》と同じ数値だ。さらに、あの緑色スライムの鎧からある“刺突耐性”も、ちゃんと引き継がれている。
余計なことに魔法耐性のマイナスも引き継いでしまっているが、対リザードマン戦を考えるなら、特に問題はなさそうだ。
「ふむ……これは、見た目もかなり独特だな」
リリエットが身を乗り出して鎧を眺め、興味深そうに言った。
「防御力はリリエットの鎧と一緒だよ、それに刺突耐性が付いてるんだ。」
リリエットに鎧の性能を伝えた。
「ほう、それはすごいな。しかし、これは鱗なのか…?」
「鱗っぽく見えるけど、ゼリーみたいだね。弾力があるのに、その奥はちゃんと硬い……ちょっと面白い構造だね」
僕はさっそく装備してみる。
手足を通し、胸元を締め、留め具を固定していく――思った以上に軽い。
ゼリー状の層が体に柔らかくフィットし、隙間なく覆ってくれる感覚がある。
けれど、動きは阻害されない。むしろ柔軟に体の動きについてきてくれる。
そして何より、着てみてわかったのは――見た目よりもずっと安心感があるということだった。
「どうだ?」
リリエットが訊ねる。
「軽いのに、しっかり守られてるって感じ。
それに、ぴったりくっついた感じがあるのがいいね。
動きやすいよ」
「やれやれ、この鎧は1200ゴルドもしたのに鱗一枚で同じ防御力とはな……。
頼りになるが、ちょっとうらやましいような複雑な気持ちになるな」
リリエットが冗談めかして笑った。
「そうだね。ほかのみんなの防具も同じように出来たらいいんだけど……。
でも、これは本当にいい装備だと思うよ。これで五階層も、きっとやれるよ」
「そうだな、頼りにしている」
《黒溶の戦斧》といい、《グリーンゼリースケイルアーマー》といい――
少しずつ、自分の装備が“冒険者”としての信頼に足るものになってきている。
* * *
融合が終わった後は、リリエットは自分の部屋に一度戻り、夕食時に再び食堂で合流した。この流れはすっかり生活のリズムと定着していた。
夕食を食べながら、僕とリリエットは今日のことを振り返っていた。
ダンジョンでの戦い、ギルド掲示板の情報、そして……最近になってより強く意識しはじめた、迷宮都市という都市そのものの在り方について。
「ギルドって、思ったより色々考えてるんだね」
スープをひとくち啜ってから、僕はぽつりと呟く。
「以前は、素材を売るところってくらいにしか思ってなかったけど、あの掲示板とか見てると……ダンジョンの管理とか、冒険者の誘導とか、すごく都市全体を見てる感じがするよ」
「ふむ。まあ、そういう組織だからな。ギルドは単に冒険者の窓口ではなく、都市の“調整役”でもあるようだな」
「調整役……か」
「冒険者に過剰な被害が出ないように情報を出す範囲を絞ったり、競争を煽りすぎないよう地図の公開範囲をコントロールしたり。ああ見えて、ちゃんと都市の維持を考えているのだろうな」
リリエットの目は冷静で、少しだけ遠くを見ているような眼差しだった。迷宮都市という仕組みを、彼女なりに理解しようとしているのが伝わってくる。
「……流石、まるで貴族のお嬢様みたいな思慮深さだね」
「からかうな。ちゃんと今でも貴族のお嬢様ではあるんだぞ」
自分で言ったくせに照れたのか、リリエットは少しだけ顔を赤らめて視線を逸らした。
「でも、真面目な話……例えばサハギンのダンジョンを討伐したとしても、貴族になれるってわけじゃなさそうだよね」
村にいたころは何も知らなかった。ただ、ダンジョンを倒して貴族になった人の話を聞いて、憧れていた。けれど――都市に出て、こうして実際に見て触れてみると、それだけじゃ難しいんだろうなと思えてきた。
「そうだな。私の家の始祖の時代と今では状況が違う。当時は辺境でダンジョンが次々に発見され、管理も不十分だった時代だ。討伐の難易度も、今とは比べものにならなかったそうだからな」
リリエットの家はまさにダンジョン討伐で叙爵された家だ。しかし、今と昔ではまるで条件が違うだろう。
「だが、ダンジョン討伐自体は名誉なことだ。どんなダンジョンであれ、それだけで領主から褒美をもらえる可能性はある。それに今の時代でも、ダンジョンを討伐して爵位を授かる話がないわけではない。領主でも手に負えない高難易度のダンジョンや、辺境の管理されていないダンジョンを討伐できれば、ない話ではない」
「そっか……たとえば、北にあるドラゴンが出るっていうダンジョンとか?」
「ああ、まさにそうかもしれない。実は……いつか言おうと思っていたが、我が家が討伐したのは火竜が出るダンジョンだったそうだ」
「え、そうなの?」
「うむ。だが、私も詳しい話はそこまで知らないのだ。父なら色々と知っていると思うが……」
リリエットの父――現男爵は、リリエットに「ダンジョンを一つ討伐するまでは敷居を跨ぐな」と手紙に書いていた。言葉こそ厳しいが、それは娘の決意を尊重し、見守る意思の表れでもある。
「でも、とにかく……貴族になれなくても、ダンジョンを討伐すればお父さんは冒険者としての道を認めてくれるんだよね」
「ああ、そうだろう。父は一度言ったことを簡単に曲げるような人ではないからな」
そこで会話が途切れ、少しだけ沈黙が流れた。
……手紙のことを思い出す。
男爵から届いたあの手紙には、僕――”ユニス殿との道を選ぶなら”と書いてあった。
でも、あの手紙を読んだあと、リザードマンの襲撃があったりして、すっかり話す機会を逃していた。
今なら――。
「ねえ、リリエット。もしサハギンのダンジョンを討伐できたら……」
「待って、ユニス!」
リリエットがぴしっと制止した。
「そ、その話は……ダンジョンを討伐したら聞く。それで、良いだろうか。私も……あのときは浮かれてて……」
リリエットの頬は、まるでルビーリンゴのように真っ赤だった。
その様子に、僕も思わずドギマギする。
「あ、うん。そ、それもそうだね」
本当は、何を言おうとしていたのか――正直、僕自身もよく分かっていなかった。けど、リリエットの反応を見て、なんとなく“今じゃない”ってことだけは分かった。
「ま、まあ、とにかく……今は目の前に集中しないとね! 明日は五階層に行くんだから」
「……ああ、そうだな」
きっと、タイミングはいつか来る。
大丈夫。僕たちには――まだ、時間があるんだから。




