「しなる触手」×「しなる触手」
フードがめくれ上がり、スリの素顔があらわになる。
思わず息を呑んだ。
黒い髪に、黒い瞳。年の頃は──十四、五歳ほどだろうか。
まだ顔立ちには幼さが残っている。
女の子だ。
その表情には、驚きと恐怖が入り混じり、引きつったように歪んでいた。
まさか、スリの犯人がこんな少女だったなんて──。
けれど、僕がさらに衝撃を受けたのは、その頭頂部にあったものだ。
──耳。
髪と同じ黒い毛に覆われた、三角形の大きな耳が、頭の上から突き出していた。
猫を思わせる、愛らしくもしっかりとした輪郭の耳。
間違いない。獣人だ。
予想外の正体に一瞬、固まってしまった。
その間に獣人の少女は、目を見開いたまま身を翻し、走り去ってしまった。
「待て!」
リリエットが一瞬遅れて反応し、鋭く声を上げながら追いかける。
僕もその後に続いた。
しかし、走り出してすぐにわかった。
僕たちは装備を身にまとい、パンパンに膨らんだバックパックを背負っている。一方で、あの少女は軽装で、まるで風のように地面を駆け抜けていく。
その差は明らかだった。
距離はみるみるうちに開いていき、角をひとつ曲がったところで、ついにその姿は見えなくなってしまった。
「はぁ……はぁ……なんて、素早いんだ……」
リリエットが肩で息をしながら呟く。
「獣人は人より身体能力が高いって、本当なんだね……」
迷宮都市では、獣人をまったく見かけないわけではない。人に混じって冒険者として活動している者もいるし、街角でたまに見かけることもある。
だが、その数は決して多くない。僕自身、いままで獣人の知り合いは一人もいなかった。しかし、その身体能力の高さは噂には聞いていた。
「ああ。私の攻撃も、あっさり避けられてしまった」
「それはしょうがないよ。本気じゃなかったでしょ?」
いくら鞘付きとはいえ、金属の剣で頭を打てば、ただでは済まない。
リリエットの一撃は、明らかに手加減していた。だからこそ、いつもの鋭さや速さを欠いていたのだ。
「本気ではなかったが、ああも簡単にかわされるとは……。少し自信がなくなってしまうな。
──次は、こうはいかない」
リリエットの瞳に灯ったのは、静かな闘志。
彼女のプライドが、火をつけられてしまったらしい。
「え、まだやるつもりなの?」
「当たり前だ。二度も出し抜かれて、このまま引き下がれるものか」
どうやら、盗まれたリンゴに怒っているというより、攻撃を避けられたことそのものが、リリエットの戦士としての矜持に響いたらしい。
「でも、どうするの? まさか、次は本気で斬りかかるつもりじゃないよね?」
迷宮都市には血気盛んな冒険者も多く、多少の小競り合い程度では衛兵も動かない。
だが、街中で刃を抜けば話は別だ。たとえ相手が盗賊であっても、周囲を巻き込む事態になればただでは済まない。
「うむ……。何とかして、あやつを出し抜く方法を考えねば……」
リリエットはしばし腕を組んで考え込んでいたが、やがてふっと顔を上げ、ニヤリと笑った。
「ユニス。今日は良いものを拾ったではないか」
* * *
ギルドでドロップアイテムを売却した後、僕たちはいつもの宿屋に戻った。
「ねえ、リリエット。本当にやるの?
上手くいくとは限らないよ」
「それはもちろん承知の上だ。それに……ユニスも、この融合を考えていたのだろう?」
「うん。まあ確かに、ちょっと面白い装備になるかもって思ってた」
僕は、両手に《しなる触手》を持ち上げて見せた。
滑らかで、弾力があり、まだ生きているかのような生命力を感じる。
「じゃあ──いくよ」
「ああ」
融合。
ふたつの触手が淡い光に包まれ、一つになっていく。
やがて光が収まったとき、僕の手の中に現れたのはしなやかに巻かれた一本の鞭だった。
深い緑色の表皮は、まるで生きた蔦そのもののようにみずみずしく、しなやかにたわんでいる。
先端に向かって自然な膨らみがあり、不思議な生命の気配を放っている。
《バインドウィップ:鞭 攻撃力1 ※ユニス以外が使用すると破損》
「おお……なかなかそれっぽいね」
手に巻きつけるようにして感触を確かめながら、僕は小さく笑った。
戦闘用としては攻撃力は心許ないが、今回の件にはうってつけかもしれない。
「ユニス、完璧じゃないか!」
リリエットは、思い通りに事が運んだのが嬉しいのか、満面の笑みを浮かべた。
「よし、これなら次は奴の意表を突けるかもしれないな」
リリエットはそう言って、今度はニヤリといたずらっ子のように笑った。




