「ユニス」×「リリエット」
「リリエットはそのことを知っているのですか?」
僕は慎重に問いかけた。
「昨夜、話した」
男爵は短く答えた。
「リリエットは了承したのですか?」
「……ダンジョンは危険だ。だからこそ、しかるべき家に嫁ぎ、穏やかな生活をしてもらいたい」
それは答えになっていなかった。だが男爵の目に、どこか迷いのようなものが宿っていた。
男爵家としての立場、父としての立場──さまざまな感情がせめぎ合っているのだろう。
昨日のリリエットの表情が、脳裏に浮かんだ。
穏やかな表情だった。
ルークは回復に向かっている。母親との関係も、ようやくほどけ始めていた。
この家が、リリエットの“居場所”なのかもしれない。
しばらくここで穏やかに暮らして、その後はしかるべき家に嫁ぐ。
貴族の娘として、当然の道筋だ。
それを僕が否定することなど──できるのだろうか。
「馬車を門の前に用意した」
男爵は、僕の決断を促した。
「……わかりました。僕は迷宮都市に戻ります」
男爵が差し出した金の入った皮袋を、僕は見つめながら言った。
「だけど、そのお金はいりません。僕は“冒険者リリエット”に共感して協力したのであって、男爵家のリリエットに借りがあるわけではありません。だから──男爵からお金をもらう理由はありません」
「しかし……」
「昨日は、美味しいご飯をありがとうございました」
僕は素早く荷物をまとめ、男爵の脇を通り過ぎて部屋を出た。
自分でも、馬鹿げた反抗だと思った。
でも、それでも、どうしようもなかった。
足早に廊下を進む。
「ユニス殿!」
背後から男爵の声が飛んできた。振り返ると──彼は、ただ深く、頭を下げていた。
僕は何も言わず、そのまま歩き去った。
門の前には、馬車が用意されていた。
御者が僕を認めて、帽子を軽く上げる。
「準備はよろしいですか?」
「ええ、出してください」
投げやりにそう言って、僕は馬車に乗り込んだ。
馬車はゆっくりと動き出し、門をくぐった。
さようなら、リリエット。
僕はその思いを振り払うように、きつく目を閉じた。
──だが。
「待て! 待つのだ!」
聞き慣れた声が、風を裂くように届いた。
僕は慌てて顔を上げ、馬車の窓から外を見た。
「リリエット……!?」
リリエットがこちらへと駆けてきていた。
野兎のような俊敏さで馬車に近づき──勢いのまま、馬車に飛び乗った!
御者は驚いて馬の手綱を引き、速度を落とす。
「ユニス、置いていくとは水くさいではないか」
「リリエット……どうして……?」
僕は驚いて、それしか言えなかった。
「昨夜、父が“これからは家にいろ”と言ってな。
ユニスには《《早朝に帰ってもらう》》と言っていた。
だから、また抜け出してきたのだ」
リリエットは笑いながら言った。
「リリエットお嬢様!」
御者がリリエットに向かって声を上げる。
「おお、セバスか。すまないが、このまま出してくれ。
父には“リリエットに剣で脅された”とでも言っておいてくれ。
責任は私が取る」
「本当によろしいのですか、お嬢様?」
「ああ、もう決めたのだ」
そう言って、僕に向き直る。
「まさか仲間に“家に帰れ”とは言わないだろうな?」
「言わない。言わないよ、リリエット。
一緒に行こう」
自分がこんなにもリリエットと一緒にいたかったんだと改めて分かった。
「やれやれ、やはりこうなりましたか……」
御者セバスは肩をすくめて言った。
「やはり?」
リリエットが首を傾げる。
「この手紙を、男爵様から預かっております。お二人宛てです」
「手紙……?」
リリエットは手紙を受け取り、封を開け僕にも見えるように広げてくれた。
中には、男爵の丁寧な筆跡で書かれた文章があった。
『──ユニス殿、リリエットへ。
この手紙を読んでいるということは、やはりお前は父であるこの私の言葉を聞かなかったのだろう。
……だが、それでこそ、お前なのかもしれんな。
リリエット、お前の瞳の色は、私の青よりずっと蒼い。
それは我がコルヴィア家の始祖──“ギルゼン・コルヴィア”が持っていたと伝えられる特別な色だ。
あの者もまた、ただの村の剣士にすぎなかった。
だがダンジョンの主を討ち、その功績をもってこの家を興した。
お前がユニス殿との道を選ぶというのなら、私は父として、そして男爵として、簡単に認めることはできない。
ゆえに命じる。リリエットよ、貴様が貴族の名に値する者であるというのならば、始祖と同じくダンジョンの主を討て。
その功績をもってして初めて、お前の道を、父として、男爵として、認めよう。
それまでは、二度とこの家の敷居をまたがせない。
最後に、ユニス殿。
リリエットを、どうか頼んだ。
──コルヴィア男爵』
手紙を読み終えた僕たちは、しばらく黙ったまま、顔を見合わせていた。
どちらからともなく、ふっと笑みがこぼれた。
「父様は、昔から不器用なところがあったが……優しい人だった」
リリエットは、胸元に下げた蒼い宝石のついたネックレスにそっと手を添えながら言った。その表情は、どこか誇らしげで、どこかあたたかかった。
僕は改めて手紙を見つめた。少しだけ、腑に落ちる感覚があった。
──あのときの男爵の迷い。
それは、娘を家に縛り付けようとする父としての葛藤だったのだ。
だからこそ、“ユニスには早朝に帰ってもらう”などと、わざわざリリエットに伝えたのだろう。娘に、自らの意思で道を選ばせるために。
でも……“ユニス殿との道”って、なんだか……少し誤解が……あるような気がする。
そのときだった。
「ユニス、前に言っていたな。冒険者になったのは、ダンジョンの主を討伐して、貴族になって、嫁をもらうためだと」
リリエットが、いきなりそんなことを言い出した。
「え?
あ、うん……。まあ、きっかけの一つっていうか……冗談みたいなもんだけど」
僕は慌てて答えた。言い訳のような言葉が口から飛び出す。
リリエットは、そんな僕をまっすぐに見て、口元にいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「ユニスは……こんなに髪が短い嫁は、いやか?」
言いながら、自分の髪を軽くつまんで揺らしてみせた。
「えっ、そ、そんなことないよ!」
咄嗟に返した僕の声は、ちょっと裏返ってしまった。
顔が熱くなった。
リリエットはくすりと笑って、まっすぐ僕を見据えた。
「では、決まりだな!」
僕もなにか言わなきゃと思った。
けれど、リリエットはすぐに、逃げるように顔をそらした。
「セバス、出してくれ!」
その声を合図に、馬車はゆっくりと迷宮都市へと向かって動き出した。
リリエットは黙ったまま、ただ前を見つめていた。
その横顔に言葉をかけることはできなかったけれど、同じ景色を見ているだけで十分な気がした。
──これじゃあ、言い逃げだ。
でも、それでもいい。
時間なら、これからいくらでもある。
これから僕らには、まだまだ困難が待っているだろう。
だけど今、僕たちの歩む道は確かに一つにつながっている気がした。
【あとがき】
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。
この作品は引き続き毎日更新していきます!
今回の話は、第一章の締めくくりとなるエピソードでした。
これまで想像以上に多くの方に読んでいただけて、本当に励みになっています。
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これからも、ユニスとリリエットの物語をどうぞよろしくお願いします!




