家出娘の帰還
僕はリリエットの背中に恐る恐る手を回した。
リリエットの小柄な体が、震えるほど僕にしがみついていた。
しばらくして僕はそっと両腕を緩めると、リリエットも静かに離れていった。
リリエットの顔は赤く染まり、笑顔を浮かべていた。
だが、その頬には涙の跡も残っていて、
どう表現していいかわからない、複雑な、けれど温かい表情だった。
「泣いているの、リリエット」
僕がそっと尋ねると、リリエットは首を横に振った。
「いや、これは……嬉しくて涙が出たのだ。こんなことは、初めてだ」
笑って、リリエットは言った。
そして、少し顔を伏せながら、恥ずかしそうに言葉を付け加える。
「その……すまなかったな。舞い上がってしまって……」
リリエットの耳まで赤く染まっている。
あまりに素直なその様子に、僕の胸も妙にざわついた。
「えっと……僕も、嫌じゃなかったし……」
胸がドキドキして、自分でも何を言っているのかよくわからなかった。
顔が熱い。
「そ、そうか……。
いや、とにかく、無事にポーションが手に入ったのだ。
私は一度部屋に戻って、着替えてくる。それから、夕食のときにこの後の算段をつけよう」
リリエットは慌てて顔をそらしながら言って、ドアの方へ向かった。
「そうだね。わかったよ」
僕も慌てて頷いた。
リリエットは最後にちらりとこちらを振り返り、ほんの少しだけ微笑んで、部屋を出ていった。
***
夕方、僕たちは宿の食堂で合流した。
テーブルには、こんがり焼かれた腸詰と蒸かし芋、そして少しの葉野菜が運ばれてきた。
僕が一番好きな組み合わせだ。
そして何より──今日は追加でエールを頼んだ。
リリエットとパーティを組むことになったあの日、乾杯して以来、僕はずっとエールを頼んでいなかった。
なんとなく、弟のためにポーションを探しているリリエットの姿を見ると、そんな気分にはなれなかったからだ。
でも、それも今日までだ。
「乾杯!」
僕たちはジョッキをぶつけた。
エールを一気に半分ほど飲む。
久しぶりのエールは、驚くほど美味しかった。
きっと、それはエールの味以上に、達成感のおかげだろう。
「改めて、ありがとう、ユニス。
貴方がいなかったら、ポーションを手に入れることはできなかった」
リリエットはまっすぐ僕を見て、深く頭を下げた。
「どういたしまして、リリエット。……でも、お礼はまだ早いよ。
ルークにポーションを届けないとね」
「ああ、そのことは相談したかったのだ。
家に帰る手立てを考えなければならない」
リリエットは一度、言葉を区切った。
「私の家はコルヴィアという地方にあり、この都市から馬車で丸一日の距離がある」
少しだけ躊躇いながら、リリエットが続ける。
「その……一緒についてきてくれるか?」
「なに言ってるの、ここまできて、逆に僕を置いて一人で帰るつもりだったの?」
僕は呆れたように笑った。
「いや、そんなつもりは……!
だが、距離もあるし……」
「馬車で一日なら、最悪、数日歩けば行けるよ。
それに、そもそもリリエットはどうやってここまで来たの?」
「私が来たときは、迷宮都市への食糧を定期的に運ぶ馬車の荷台に隠れてきたのだ」
迷宮都市には畑も牧場もほとんどない。
食糧は周辺の村や町から運び込まれている。その代わり、都市はダンジョン由来の品を輸出しているのだ。
「随分、思い切ったことをしたね」
「今思えば無茶だったな……。
だが、あの時は一刻も早くポーションを手に入れたかったのだ」
「まあとにかく、じゃあ今度は同じように馬車で行こう」
「しかし、二人となると隠れるのは難しいのではないか?」
「何言ってるの。今度は家出じゃないんだから、隠れる必要ないよ。
ギルドに相談してみよう。食料の定期便があるなら、こっちからも馬車が出てるはずだよ」
「そうか、確かにそうだな」
「じゃあ、明日、朝一でギルドに行ってみよう!」
***
翌朝。
僕たちは抗生ポーションを大切にバックパックにしまってギルドを訪れた。
「コルヴィアに行く馬車を知りませんか?
どうしてもそっちのほうに用があるんです」
受付の女性に事情を説明した。
「コルヴィアに?
それは…あるにはあるけど、ちょっと確認が必要ね。
少し待っててね」
女性は奥へと消えていった。
しばらく待つと、がっしりとした体格の男性が代わりに現れた。
「コルヴィア方面に行く馬車を探しているのは君たちか?」
「はい、そうです」
男は僕の顔をじっと見て、それからリリエットへと視線を移した。
「君、帽子を取ってもらえるか」
リリエットに向かって言う。
リリエットは一瞬だけ迷い、若葉の帽子をそっと取った。
金色の髪がこぼれ、青い瞳が顔を上げる。
「金髪に青い瞳……貴方は、コルヴィア家のリリエット殿か?」
「はい、そうです」
「やはり、そうか。
父君から、ギルドに書簡が届いている。
──娘のリリエットが剣と盾を持って家出した。
もしかしたら迷宮都市に向かったかもしれない。見つけたら保護してほしい、と」
「父が……そんなことを……」
リリエットは小さく呟いた。
「家に帰る気になったのか?」
「はい…そうです」
リリエットはためらいがちに答えた。
「……そうか。了解した。
馬車はギルドの方で手配できる。今から出発すれば、日が暮れる前に着くはずだ。」
「本当ですか!?
えっと、その……馬車の代金は……?」
僕は思わず尋ねた。
「まあ、男爵家への貸しになるからな。君が心配することはない」
男性は笑いながら答えた。
「馬車の準備がある。南門で待っていてくれ」
「わかりました。ありがとうございます!」
***
拍子抜けするほどあっさりと、僕たちはリリエットの家へ向かう手段を手に入れた。
南門で待っていると、立派な黒い馬に引かれた、幌のついた馬車がゆっくりとやってきた。
いよいよ──
リリエットの家、コルヴィアへ向かう。




