「ミカンジュースポーション」×「ルビーリンゴ」
「ようやく見つけたな」
リリエットが、二階層へ降りる階段を見ながら言う。
「一日で見つけられたなら、早いほうだよ」
僕は肩からバックパックをずらして持ち直す。
「どうする? 行くか?」
「いや、今日はもう十分だよ。二階層は……明日だね」
「ああ。これ以上は無理をするべきではないし、これだけ荷物が多いと、戦いにも支障をきたすからな」
「よし、じゃあ街へ戻ろう。ここまでのルートはメモしてきたけど、帰りながら間違ってないか確認しよう」
「承知した」
そうして僕らは、来た道を慎重に引き返した。
帰り道でも数体のトレントに遭遇したため、ダンジョンを出るころにはバックパックはパンパンになっていた。
「今日はかなり稼げた気がするね」
僕がそう言うと、リリエットが真面目な顔で頷いた。
「ああ、四十二体も倒したからな」
「あ、やっぱりちゃんと数えてたんだ」
「ああ。だが……今日はリンゴとミカンだけだったな」
「まあ、装備やポーションはそうそう簡単に落ちないからね。でも、二階層への道がわかっただけでも、今日は十分な収穫だよ」
「確かに、そうだな」
僕らはギルドに立ち寄り、収穫したリンゴとミカンをすべて売却した。
今日はすでに融合を使ってしまっているので、素材用に残す必要はない。
買い取り価格は、ルビーリンゴと満月ミカンがそれぞれ20ゴルドで、合わせて42個。合計は――840ゴルド。
今までで、間違いなく一番の稼ぎだった。
「そういえば、今朝掲示板の情報を更新したから、見ておくといいわよ」
受付の女性が、ゴルドを渡しながらそう教えてくれた。
「そうなんですね。見てきます」
僕は礼を言って掲示板へと向かう。
そこには、いくつかの新しい張り紙が追加されていた。
■植物系ダンジョン(仮称:トレントのダンジョン)情報更新
・1階層:トレント単独
・2階層:トレント単独
・3階層:トレント最大2体まで同時出現確認
・4階層以降:ブドウのドロップあり(黒曜ブドウ 買取価格40ゴルド)
・5階層:防具ドロップ報告あり《双葉のティアラ》
「ティアラか……」
隣でリリエットが、思わず自分の帽子に手を当てながらつぶやいた。
もしかしたら、ちょっと気になっているのかもしれない。今の帽子も悪くないけど、ティアラと聞けば心惹かれるものがあるのかもしれない。
「その帽子も悪くないよ。よく似合ってるし、防御力もあるしね」
「い、いや!
私はティアラよりも、この帽子のほうが守れる面積が多くて……その、助かっていると思っただけだ!」
リリエットが急に早口になって否定してきた。
たしかに、ティアラが防具としてどれほど実用的なのかはわからない。場合によっては、見た目重視の装飾品で、美術品として高く売れる――という“当たり”の可能性もあるが。
僕たちはそのままギルドを後にして、宿へ戻った。
***
宿に戻り夕食の席で、リリエットがぽつりとつぶやいた。
「しかし、ギルドはあのようにダンジョンの情報を出すなら、地図も一緒に公開してくれてもいいのにな」
「うん、多分だけど……わざと情報を制限してるんだと思う」
「なぜだ?」
「まず前提としてギルドは、できるだけ多くの冒険者にダンジョンに入ってほしいんだよ。だからドロップアイテムの情報を公開して興味を引く。さっきのティアラの情報も、きっと冒険者を煽るためだよ」
「ふむ……なるほど」
「でも、すぐにダンジョンを攻略されちゃうと、それはそれで困る。主を倒されると、ダンジョンはそのうち消えちゃうって話だから」
「そうか。せっかく新しい種類のドロップアイテムが得られるのだから、すぐに消えてしまってはもったいないな」
「うん。でも逆に、ダンジョンが放置されすぎると、魔物が外に出てくる危険もある」
「……難しいバランスだな。主の討伐を促したいときは、地図の情報を公開するということか」
「きっとね。うまくできてると思うよ」
僕らは、そんな話をしながら夕食を終え、明日の準備を軽く整えてから、それぞれの部屋に戻った。
翌朝、再び僕たちはトレントのダンジョンの入り口に立っていた。
朝の光の下で、ダンジョンの入り口は静かに口を開いている。
「ねえ、リリエット。今日、最初に出てくるトレントは……一度、リリエットだけでしばらく戦ってみない?」
僕がそう言うと、リリエットは少し首を傾げたが、すぐに納得したように頷いた。
「なるほど、三階層での複数戦を見据えての提案だな」
「うん。もし今日うまくいって三階層までたどり着けたら、複数のトレントが出てくる可能性がある。そうなったら、最初は一人一体を相手にすることになると思うんだ」
「確かに。それならば、試すなら入り口付近の方が安全だ。万が一の事態にも対処しやすいしな」
「うん。でも、最後まで一人で倒さなくてもいいよ。僕はゆっくり三十秒数える。それが終わったら、すぐに加勢するから」
三階層で複数体との戦闘になった場合、多分僕の方が先に一体を倒せる。その間、リリエットが一人で持ちこたえられるかを確認しておきたかった。
「承知した」
リリエットは真っ直ぐに頷き、前へと踏み出す。
しばらく進んだ先、通路の先に大きな影が見えた。一体のトレントが姿を現す。
「じゃあ、お願い」
「任せてくれ」
リリエットが一人で前に出て、トレントと対峙した。
トレントの巨腕が振り下ろされる。その一撃を、リリエットはしっかりと構えた盾で受け止めた。
その瞬間、僕は心の中でゆっくりと三十秒のカウントを始める。
トレントの腕が振るわれるたびに、リリエットは最小限の動きで受け流し、ときには小さく回避する。無駄のない、落ち着いた動きだった。
これなら大丈夫そうだ。
そう思った頃には、もうカウントは終わっていた。
「加勢するよ!」
「承知した!」
リリエットは即座にトレントの足元へと駆け寄り、剣で足を払う。狙いは切り裂くことではなく、体勢を崩すこと。
足を取られたトレントがふらついた、その胴体めがけて――僕はフレイムアックスを振るった。
燃える刃が深々と食い込み、赤い閃光が走る。
その一撃で怯んだトレントに、二人で連携して畳みかける。
そして、ほどなくしてトレントは光の粒となって崩れ落ちた。
「リリエット、すごいね。全く心配いらない立ち回りだったよ」
「そうか。そう言ってもらえると助かる」
リリエットは呼吸を整えながら言った。
「ゴブリンと違って、トレントは人間と同じくらいの大きさだ。私が訓練してきた状況と、多少は共通点がある。だからやりやすい」
どんな訓練をしていたのか興味はあったが、今はダンジョンの中。余計な話をして気を散らすのはよくない。
「じゃあ、まずは二階層に降りる階段まで行こう。道は覚えてるから、僕が先導するよ」
「助かる。よろしく頼む」
昨日メモしたルートを思い出しながら、慎重に進む。途中で何度かトレントと遭遇したが、すべて先制攻撃で無傷で突破できた。
二階層の階段に到着すると、再び探索を始める。
しかし、階段はなかなか見つからない。時間だけが過ぎていき、気づけばバックパックの中身は三分の二ほどに膨れていた。
「リリエット、今日はここまでにしよう」
「……そうだな。戻ることを考えたら、これ以上進むのは得策ではない」
少し悔しそうなリリエットだったが、すぐに表情を戻した。
「また明日があるよ」
「ああ、そうだな」
帰り道でも何度かトレントと遭遇したが、こちらも無傷で突破し、ようやくダンジョンの外に出ることができた。
「今日は……三十八体だったな」
外に出た途端、リリエットがいつものように呟く。
「結構倒せたね」
「ああ。だが、今日もリンゴとミカンだけだったな」
「うん。ポーションの直接ドロップはやっぱり難しいね。でも、今日はミカンジュースポーションにリンゴを融合してみようと思うんだ。前より強力なポーションになるんじゃないかな」
僕はリリエットを元気づけるように言った。
「そうか。リンゴのポーションは……私が寝込んだときに、よく効いたからな」
僕らはギルドに戻り、リンゴを一つだけ残して他の素材をすべて売却した。
今日の稼ぎは――750ゴルド。一人325ゴルド。まずまずの収入だ。
ギルドを出たところで、リリエットがぽつりと言った。
「稼ぎも増えてきたし、防具を買おうと思うのだが……どうだろうか?」
「いいと思うよ。もし借りのことを気にしているなら、前にも言ったけど、ポーションを手に入れてからでいいからね。今は探索が第一だよ」
「そうか、ありがとう」
僕たちは以前訪れた防具屋に向かう。
当初は前回買えなかった左手用の皮の小手を買い足すつもりだったが、せっかくなので右手の皮小手を買い取って貰い、両手分を「狼革の小手」に揃えることにした。
《狼革の小手(右):小手 防御力2》
《狼革の小手(左):小手 防御力2》
黒い毛皮でできたそれは、見た目もなかなかかっこよく、防御力も皮のものより優れている。
宿に戻った僕らは、早速融合を試してみる。リリエットは当然のように僕の部屋についてきた。
今や、彼女にとっても融合を見守るのは日課になっているらしい。
僕はミカンジュースポーションとルビーリンゴを手に取った。
「じゃあ、いくよ」
融合――!
光がふわりと舞い、手の中の素材が溶けるように一つにまとまっていく。
数秒後、手のひらに残ったのは、透明なガラス瓶に入った明るいオレンジ色の液体。底にはルビーリンゴの赤がほのかに混じり、鮮やかな輝きを放っていた。
《ミックスジュースポーション:道具 栄養補給(小+)・免疫上昇(小)》
おおっ……少しだけど前より効果が強い。
リリエットに鑑定結果を伝える。
「そうか、それは嬉しい。ありがとう、ユニス」
リリエットは優しく微笑んでくれた。
***
融合の後、僕たちは一旦、それぞれの部屋に戻り身支度をして一階の食堂で再び合流し、夕食を取った。
今日の献立はこんがり焼いた腸詰と蒸かし芋、そしてカットされたルビーリンゴ。いつもは葉野菜が添えられていたが、ルビーリンゴが流通し始めたようだ。
食事の途中、僕は少し迷ったがリリエットに聞いてみた。
「……リリエット、少し聞いてもいいかな?」
「うん? なんだ?」
「その…、リリエットの剣の技ってどこで習ったのかなと思って」
「ああ、そのことか」
リリエットは食事の手を止め、ぽつりと話し始めた。
「私の家は、小さな男爵家なんだ。貴族としては下のほうだが、それでも伝統はあってな。ご先祖様はダンジョンの主を複数討伐した功績で貴族に叙されたのだ。そのため、子どもには剣術の訓練をするのが我が家の伝統なのだ」
「なるほどね」
リリエットが貴族の令嬢と聞いて、少し驚いた。でもどちらかというと納得の方が大きかった。リリエットは少し世間知らずのところもあるし、話し方や所作がから上品さが漂っていた。
「それで、あんなに自然に動けるんだ。相当、訓練したんだね」
「いや、そこまで激しい訓練はしていない。
我が家が封じられたのは、ダンジョンがほとんど湧かない農業地帯でな。今は農村の管理が主な役目だ。
だから、実際のダンジョンとは、ほとんど縁がない。
伝統として剣の訓練はするが……父も、実戦経験はないと思う」
「え、じゃあそれであんなに動けたの?」
「実を言うと……今日のトレントとの戦い、自分でも少し驚いている。
以前よりも、体がずっと自由に動くのだ」
リリエットは不思議そうに言った。
「きっと、ダンジョンで成長したんだよ。スキルが目覚めなくても、実戦の経験は何より貴重だし、訓練で培ってきたものが、花開いたんだと思う」
「……そうか。そう言ってもらえると、少し嬉しいな」
リリエットは照れくさそうに微笑んだ。その横顔は、いつもより年相応に見えた。
***
夕食を終え、それぞれの部屋に戻った。
僕はベッドに横になり、天井を見つめた。
このままポーションの融合を続けていれば、リリエットの弟を治せるようなポーションができるだろうか……
一人になると、急に不安が押し寄せてきた。
ミックスジュースポーションは確かに効果がある。でも――。
リリエットの話を聞く限り、弟ルークの病は深刻だ。
ただの風邪や怪我とはわけが違う。
三階層で薬草を見つければ、きっと大丈夫。
自分にそう言い聞かせて、僕は静かに目を閉じた。