「満月ミカン」×「空きポーション」
トレントとの初戦を終えた僕らは、少しだけ息を整え、再びダンジョンの奥へと歩を進めた。
すぐに二体目、三体目と続けてトレントに遭遇したが、いずれも無傷での勝利だった。
斧と盾で正面から受け止め、リリエットが隙を突いて剣を入れる。そんな戦い方にも、徐々に呼吸が合ってきた。
攻撃は重いが、動きはゆっくりだ。油断せず、しっかり盾を構えて受け止めさえすれば、怪我をすることはなさそうだ。
とはいえ――やっぱり、ゴブリンよりもずっと時間がかかるな。
戦い終わったリリエットが肩で息をしている。僕も汗ばんだ額を袖でぬぐった。
硬い樹皮に何度も斧を振り下ろさなければならず、リリエットの剣ではダメージも通りにくい。
対トレント用の武器の融合を考えたほうが、結果的に探索効率は上がるかもしれないな……。
そんなことを考えていた矢先だった。
通路の奥、次の角を曲がった先で、ずしん……と聞き慣れた足音が響いた。
今日、四体目のトレントだ。
「……くるよ」
「承知した」
僕がそう言いかけたとき、何かが引っかかった。
今までのトレントと少し違うような…。
見間違いじゃない、頭だ!
こっちにゆっくりと近づいてくるそのトレントは頭に帽子をかぶっていた。
木の幹に溶け込むような茶色い色合いの、ひさしのついた帽子。
その頭頂部には、なんとも愛らしい小さな若葉がぴょこんと突き出している。
「……なにあれ、帽子?」
「帽子……だな、確かに」
戦闘中なのに妙に気が抜ける光景だった。
その違和感にわずかに集中を乱されたが、迫りくるトレントは容赦なく腕を振り上げてきた。
僕は咄嗟に盾を構え、ぐっと地を踏みしめて受け止める。
――ガンッ!
衝撃は強いが、慣れてきた。盾でしっかり防いで、踏ん張れば崩れることはない。
「今だ、リリエット!」
「了解!」
リリエットが滑るように側面へと回り込んで胴体に向かって剣を突き出す。
攻撃はまたもや弾かれる。やはり、剣では決定打に欠ける。
「帽子が邪魔で、頭部が狙いにくい……!」
「大丈夫、落ち着いていこう!」
そう言いながら、僕も帽子に思考を一瞬奪われた。
あの帽子は噂に聞く、ダンジョン産の装備ということだろうか。
ダンジョンの魔物は稀に変わった装備を持った個体がいるという。そういった魔物は倒すと必ずその装備をドロップするらしい。ということは、このトレントを倒せば記念すべき初めてのダンジョン産の装備ということになる。
考えていたのはほんの一瞬だったと思う。
だが気が付いた時にはトレントの拳が大きく振りかぶられていた。
「ユニス!」
リリエットの声に反応し、僕はぎりぎりのタイミングで横に飛ぶ。拳は空を切り、背後の壁にズシンとめり込んだ。
今は戦闘に集中しないと!
僕は気を取り直して、ツインアクスを構え直す。
トレントが再び拳を振り下ろす。盾で受け、斧で返すと、樹皮に亀裂が走った。
数度の交差の後、タイミングを見計らって脚へ一撃を叩き込む。
ぐらりとバランスを崩したところに、リリエットの鋭い突きが胴へと刺さる。
反動で、トレントの体が後方へ揺れ――その隙を狙って、僕が渾身の力で胴体を斬り裂いた。
――ガキィィン!
硬い樹皮を裂く手応えとともに、トレントの体が崩れ落ちていく。
その場に、くるりと帽子が落ちた。
「……ほんとに帽子だったんだ」
僕が呆れ混じりに言い、帽子を拾った。
木でできた、ひさし付きの帽子。
頭頂部には、まだ生きているかのような若葉がちょこんと生えている。
僕はすぐに鑑定する。
《若葉の帽子:兜 守備力3》
性能はかなり良い。
だが…。
「……硬いね、これ。木製だから、まったく伸縮性がないよ。」
僕の頭に当ててみたが、サイズが小さくて入らなかった。普通の布製の帽子だったら融通が利きそうなのだが、完全に木製なので伸びたりはしない。
周囲に敵がいないことを確認しながら帽子をリリエットに渡してみる。
「一応装備できるな…。どうだ?」
リリエットはやや戸惑いながらも帽子を被って言った。
ピッタリだ。
「うん、いいんじゃないかな。
ちょうど、リリエットは兜を持ってなかったし、防御力もありそうだから。」
彼女の金髪ベリーショートに、若葉付きの帽子が妙に似合っていた。
「そうか…。こんなものもドロップするのだな。
では、これを付けていくか…」
リリエットはひさしの部分を指でいじって位置を調整している。
なんだか少し恥ずかしそうに見えた。
まあ、気持ちは分らなくもない。頭頂部の若葉が可愛らしい感じがして気になるのだろう。
「よし、じゃあ次のトレントを探そう」
何となくしばらくそのままリリエットを観察してみたくなったがここはダンジョンだ。気持ちを切り替えてそう言った。
その後も僕たちはダンジョンを探索し続け、十体目のトレントを倒したところで、今日は引き上げることにした。
初めてのダンジョンでの長時間探索に、体力も集中力も限界が近い。
腕にもだいぶ疲労がたまってきていた。
やっぱり……ゴブリンとは比べ物にならない。
攻撃こそ単調だが、トレントは一体ごとの戦闘時間がとにかく長い。
防御をしっかりしても、力任せに振ってくる攻撃に気を抜く暇はない。
このまま深い層に進むなら、装備の強化は避けられないだろう――そう思いながら、僕は今日のドロップアイテムについて考えた。
今日の成果は、ルビーリンゴが8個、満月ミカンが1個、そしてリリエットが装備することになった若葉の帽子。
満月ミカンは、目がオレンジ色のトレントから落ちたものだった。
見た目以外にこれといった違いはなかったが、もしかしたら目の色によってドロップ品が変わるのかもしれない。
「今日はリンゴばっかり落ちたな」
街へと向かう帰り道、リリエットが苦笑まじりに言った。
「そうだね。でも、ミカンも一個落ちたから、今日の融合はこれを使ってみようと思う」
「……よいポーションになるといいのだが」
「まあ、ミカンだからそこまで期待はできないかもね。でも、もっと深い層に行けば、これよりいい素材が出るかもしれないし。ギルドの掲示板にあった《癒しの薬草》が、本命だね」
「そうだな……」
少しの沈黙のあと、僕はふと気になって尋ねた。
「ねえ、リリエット。君が家を出たとき、お医者さんは“今年の冬は越せない”って言ったんだよね?」
「ああ、そうだ」
僕が迷宮都市に来たのは、新年の始まり。
そこから半年、今は初夏。村ではそろそろ麦の収穫の準備が始まっている頃だろう。
「じゃあ……まだ、猶予はあるんだよね」
「……そうだな。今日明日に何かが起こるというわけではないだろう。だが――」
「うん、のんびりしてる余裕はないってことだね」
そんな会話を交わしながら、僕たちはギルドへと戻った。
満月ミカンは一個しか落ちなかったし、帽子はそのままリリエットが装備している。
売却するのは、ルビーリンゴだけだ。
受付に渡すと、顔なじみの女性が微笑んだ。
「あら、リンゴばっかりね。さっそく新しいダンジョンに行ったみたいね?」
「えぇ、そうなんです。あの……ミカンや薬草って、やっぱりレアなんですか?」
「ミカンはそうでもないわよ。ただ、リンゴが一番出やすいのは確かね。薬草の方は……まだよくわからないけど、三階層以降じゃないと出ないんじゃないかって噂されてるわ」
「三階層……。薬草を落とすトレントは、他のより強かったりするんでしょうか?」
「ううん、そういう話は聞かないわ。ただ、三階層だと複数体のトレントと一度に遭遇することが多いみたい。だから、結果的に難易度が高くなるのよね。ちなみに、一階層は単独のトレントしか出ないのは、ほぼ確定。二階層も今のところは単独ばかりって話よ」
彼女はそこまで言って、手元から買い取り額の160ゴルドを僕に手渡してくれた。
「まあ、確定した情報は掲示板にどんどん張り出されていくから、こまめに確認しておくといいわよ」
「ありがとうございます」
礼を言って受付を離れ、掲示板にも目を通してみたが、新しい情報はまだ載っていなかった。
***
宿に戻ると、いつもなら装備を置いて汗を拭くのが先だが――今日は、先に融合を試してみたい気分だった。
「リリエット、これからさっきのミカンで融合を試してみるけど、一緒に見る?」
「ああ、ぜひ頼む」
「じゃあ、僕の部屋でやろう」
僕らは並んで二階の部屋へと向かい、机の上に素材を並べた。
使うのは、満月ミカンと空きポーション。
昨夜、リリエットに使ったポーションの空き瓶は今朝返してもらっていたので、今は二本の空き瓶がある。
僕はミカンと瓶を両手に持ち、融合を発動した。
「融合――」
淡い光が素材を包み、手元にオレンジ色の液体で満たされたポーションが残った。
「おぉ、これが融合か」
感心してくれているリリエットを横目にすぐに、鑑定する。
《ミカンジュースポーション:道具 美肌効果(小)・免疫上昇(極小)》
「……なるほどね」
リリエットにも鑑定結果を説明すると、彼女は真剣な顔つきで頷いた。
「美肌効果……は、まぁ置いておくとして。免疫上昇……これは、病気に効くということだろうか?」
「多分そうだと思う。でも“極小”だからね。即効性があるようなものじゃないと思うよ」
「……そうか。でも、最初の一歩には違いないだろう?」
「うん。確かにそうだね。」
効果は地味かもしれない。でも、目指す場所に向けて、一歩ずつ前に進んでいる。
そう実感できる、貴重な結果だった。
――けれど、今日の戦いを振り返ると、これ以上ダンジョンを進むにはやはり装備の強化が必要かもしれない。
次の探索までに、もう少し準備を進めておくべきだろう。