木人のダンジョン
朝――。
いつもなら、この時間には素材を取り出して融合を試している。けれど、今日はやめておこう。
もしかしたら、今日のダンジョンで手に入る素材で、リリエットの弟の病気を治せるポーションが作れるかもしれない。だったら、融合は帰ってきてからにすべきだ。
少し気を引き締めてから、僕は下の食堂へと向かった。
宿の食堂に降りると、すでにリリエットがテーブルに着いていた。
僕が声をかけると、彼女は軽く手を上げて微笑んだ。
「おはよう、ユニス」
「おはよう、リリエット。今日は、予定通り新しいダンジョンに行こう」
「うん、今日はよろしく頼む」
二人で向かい合ってパンとスープを口にしながら、僕らは今日向かうダンジョンの情報を確認した。
「トレントっていう魔物が出るらしい。人の形をした樹木の魔物で、斬撃はあまり効かないみたいだよ。僕は今日はいつもの剣じゃなくて斧を使うつもりだよ」
「そうなのか、となると……私の剣では、少し厳しいかもしれないな」
リリエットは少し不安げに視線を落とした。
「まったく効かないわけじゃないと思う。しかも、僕らは二人だ。手応えがないときは撤退すればいい。安全第一で行こう」
「そうだな……まずは挑戦してみなければ始まらないか」
朝食を終え、それぞれの部屋に戻って装備を整える。
僕はツインアクスを腰に装着し、リリエットと再び一階で合流した。
宿の受付に立ち寄り、ゴードンさんに二人分の宿代をまとめて払い、軽く会釈をして外に出た。
外はやわらかい朝の光に包まれていて、初夏の気持ちのいい風が頬をなでた。
歩き出してすぐ、リリエットが口を開いた。
「そういえば、宿代……昨日と今日の分、ユニスが払ってくれたのだろう?それも借りになるな」
「……そのことなんだけど、もうあんまり気にしないようにしようと思ってさ」
リリエットが一瞬驚いたように立ち止まり、僕を見た。
「どういうことだ、ユニス?」
「なんていうか……“借金”って形でつながってるのが、あまり好きじゃないんだ。お金が入ったら、リリエットはリリエットで必要な装備を整えればいい。今は、君の弟を救えるポーションを探すのが目的なんだから、それ以外のことは後回しでいい」
「……だが、借りは借りだ。返さなければならないものだろう」
「じゃあさ、そのポーションが見つかったときに、まとめて返してよ。方法はなんでもいい。もし返す手段がなければ、その後も僕のダンジョン探索を手伝ってくれれば十分さ」
「それだと……私が優位すぎるように思える」
リリエットは少し難しい顔をした。
「いいんだ。これは僕のわがままだから。冒険者って、そういう生き物なんだよ。欲しいもののために、自分勝手に動く。それでいいと思ってる」
しばらく沈黙があったが、やがてリリエットはふっと笑った。
「なるほど……承知した。では、ポーションが見つかるまでは借りのことは忘れる。ただし、必ずこの恩は返す」
「うん。それでいいよ」
そんなやり取りをしながら、僕らは新ダンジョンへ向けて歩き続けた。
ダンジョンに近づくにつれ、ちらほらと他の冒険者の姿が目につくようになってきた。
軽装の者から、鎧に身を包んだ戦士まで、皆が同じ目的地を目指している。
「……思ったより多いな。他の冒険者の姿があるな」
「うん。でも僕たちにとっては都合がいいかも。人が多い分、魔物に挟み撃ちにされる危険も減るから」
「なるほど……そういう考え方があるのか」
リリエットは感心したように頷く。けれど、念のため釘を刺しておいた。
「ただし、ダンジョン内で他のパーティに近づくのはご法度だよ。トラブルの元になるから、距離を取るのが基本」
「……気をつけよう」
そして、ついに――
ダンジョンの入り口が見えてきた。
あたりにはすでに複数のパーティが集まっており、準備や相談でざわざわとした活気が広がっている。
「最初は僕が正面に立つからリリエットは隙を見て側面から攻撃して」
「分かった」
僕らも簡単に打ち合わせをし装備を確認し合い、静かに入り口をくぐった。
中に入ると、すぐに視界が開けた。最初の空間は意外と広く、天井も高い。
正面に真っすぐの道、左右にはそれぞれ伸びた通路――十字路になっている。
右の方からは、かすかに戦闘音が聞こえていた。
「右は、他のパーティがいるっぽいね。左に行こう」
「承知した」
僕らは左の通路を選び、ゆっくりと歩き出した。
薄暗い通路を進んでいくと、周囲の空気がしっとりと湿り気を帯びてきた。
石壁の隙間からは、ところどころツタのような植物が伸びており、確かにこのダンジョンが“植物系”であることを感じさせる。
ふと、足元の苔が妙に滑ることに気づき、僕はリリエットに声をかけた。
「足元、気をつけて。このへん、苔が多いみたい」
「了解……っ」
返事をした直後――
前方、曲がり角の影から、ずしん……と鈍い音が響いた。
次の瞬間、姿を現したのは、一本の樹木のような体。
それはまさに、人の形をした木だった。
太くねじれた幹が腕のように伸び、根を絡ませたような足で地面を踏みしめている。
樹皮の表面には苔が生え、ところどころに木の芽が覗いていた。顔には赤い光を帯びた小さな空洞が二つ――まるで怒りを帯びた目が、僕たちを睨んでいた。
「トレント……!」
リリエットが声を詰まらせる。
トレントは、こちらを認識すると同時に、ずしん、と重たい足取りでまっすぐ突進してきた。
「くるよ!」
僕はすかさずツインアクスを構える。
リリエットも聖銀の剣を抜き、少し下がって体勢を整えた。
まずは、僕が前に出る。
トレントは右手を振り上げて、襲い掛かってくる。
――ガキィン!
トレントが振り下ろした拳と鉄の盾がぶつかり、激しい衝撃が腕を襲う。一瞬左手が痺れるような衝撃だが、これなら耐えられる。
僕はお返しとばかりに振り下ろしたままのトレントの右手にツインアックスを振り下ろす。
樹皮と斧がぶつかり、火花が散った。斧は確かに深く食い込んだが、硬い。普通の木とは明らかに違う、魔物としての異常な硬度を持った樹皮だ。
「……やっぱり固い。けど、効いてる!」
トレントは今度は左手を振りかぶった。
僕は急いで右手に食い込んだツインアックスを抜いて、その反動でやや左に後退しながら、攻撃を避ける。
トレントの左手が空を切る。
攻撃は重いが、動きが鈍い。
「今だ、リリエット!」
「承知した!」
リリエットが斜め後方からトレントに斬りかかる。
剣がトレントの無防備な側面に走り――しかし、バチンと音を立てて弾かれた。
「くっ……やはり、剣の攻撃はは通りにくい!」
「でも怯んでる!大丈夫、このままいけるよ!」
リリエットの方に注意が向いているトレントの膝に向かって、ツインアクスを振り下ろす。
――ガン!
今度ははっきりと、亀裂が走った。トレントがよろめく。
その隙を逃さず、リリエットはトレントの顔面に向かって、鋭く突きを放つ。
その剣先はトレントの目に、深く――そして確かに刺さった。
「……っ!」
トレントが大きくのけぞった瞬間、僕はツインアクスを高く掲げ、一気にその胴体へと振り下ろした。
ガンッ――!
斧が胴体を砕き、トレントの動きが止まる。
数秒の静寂ののち、巨体がぐらりと傾き、ゆっくりと地面に崩れ落ちた。
そして――ばらばらと樹皮が砕け光の粒となって消えていく。
中心から赤いリンゴが地面に転がった。
ドロップアイテムだ。
「……倒した、のか」
リリエットが息をつきながらつぶやく。肩で呼吸をしていたが、表情には達成感がにじんでいた。
僕も額の汗を拭いながら、彼女に向かって笑った。
「うん。少し手強かったけど……無傷で勝てたね」
「剣は……やはり通りづらかった。だが、ユニスの斧が道を切り開いてくれた」
「いや、最後の突きが効いてたよ。剣も役に立ったよ」
お互いの健闘を認め合いながら、僕は地面に落ちたアイテムを拾った。
これならなんとかこのダンジョンでもやっていけそうだ。