リンゴの味
僕はルークの様子を見に、隣の部屋を訪ねた。
昨日は少し熱があるようだったが、夜の間に悪化していなければいいけれど。
ドアの前に立ち、軽くノックする。
「ルーク、大丈夫?」
しばらく沈黙が続き、不安になった頃――かすれた声が返ってきた。
「……ユニス殿か。少し……体が重いだけだ。起きている」
声に力がなく、明らかに体調は悪そうだった。
「入っても大丈夫かな?」
「あぁ…」
僕はドアを開け、部屋に入る。
ルークはベッドに横になり、額にはうっすら汗が浮かんでいた。体温が高いのは一目でわかる。
「こんな姿で済まないな、少し休んだらダンジョンに行けると思う」
ルークは体を起こしながら言った。
「そんな体調じゃダンジョンは無理だよ。今日はゆっくり休みなよ」
「しかし…」
「はっきり言って、そんな体調じゃ足手まといだよ。きっと慣れないダンジョンでの戦闘の疲れが来たんだよ。今日ゆっくり休んで明日からまた一緒にダンジョンに行こう」
「そうか…。確かにこれでは足手まといだ。
ユニス殿の言う通り今日は一日休もうと思う」
「うん、それがいいと思うよ。
あ、そうだ良いものがあるんだった。
ちょっと待ってて」
そう言いながら、僕は一旦部屋に戻り、取っておいたリンゴジュースポーションを持ってきた。鑑定では疲労回復効果と栄養補給があるとあったし、装備と違って他人が使っても問題ないはずだ。
「これ、飲んで。疲れに効くポーション。少しは楽になると思うよ」
「それは…。そんなものを頂いても良いのだろうか」
「これはそんなに貴重なものじゃないんだ。それにそんなに効果も高くないから、まあ、おまじないだと思ってさ」
「そうか、すまないな」
ルークは僕からポーションを受け取ると、口をつけた。ゆっくりと少しずつ飲み干すと、ほっとしたような息をついた。
「……この味、昔、母様が作ってくれたすりおろしリンゴに似ている……」
熱に浮かされたように、ルークがぽつりと呟く。目はどこか遠くを見つめていた。
「いや、あれは……私のためのものではなかった…。
母様は、病弱なルークのために、毎朝、自らすりおろしていた。丁寧に、時間をかけて……」
ルークの言葉には、どこか懐かしさと嫉妬が入り混じったような響きがあった。
「私は……あれがうらやましくて。ある朝、こっそり盗み食いした……。あの味、今でも覚えている……」
そこまで言ったところで、ルークはハッとしたように言葉を止めた。
「……何を、言っているのだろう。私は……」
その顔には、戸惑いと焦りの色がにじんでいた。
「ルーク、今日は無理しない方がいいよ。体を休めて」
僕はそう言って、立ち上がった。
「ユニス殿……」
「大丈夫。一人でもゴブリン狩りくらいはできるからさ」
そう言って、そっと扉を閉めた。
あれは私のためじゃない、病弱なルークのために
ルークはそう言っていた。
色々と気になることはあるが、あまり深く考えないことにした。
ただ少しだけ、自分はルークのために何ができるだろうと思った。
打算で組んだパーティだったはずなのに、ルークのあの表情を見たら何か力になりたかった。
ルークの部屋を去った後、朝食を取り、二人分の部屋代を払って宿を出た。
ネルコにルークは疲れが出たので部屋で休んでるからと伝えておいたので、少しは気にかけてくれるかもしれない。
***
その日は、僕ひとりでゴブリンダンジョンに向かった。
無理をせず、一階層でゴブリンを狩り続けた。
昼過ぎ、ちょうど20体目のゴブリンを倒したところで、バックパックがいっぱいになった。
早めに切り上げて、ギルドへ向かうことにした。
***
「210ゴルドですね」
受付でドロップアイテムを換金すると、女性の職員が手際よく計算してくれる。
「そういえば、最近、新しいダンジョンの情報はもう確認されましたか?」
「例の、植物系の魔物が出るっていう……あれですか?」
「あ、そうそう!それです。正式に登録されて、ギルドでもドロップアイテムの買い取りが始まりました。あっちの掲示板に情報がまとめてあります」
受付の女性が指で掲示板の場所を指した。
僕はお礼を言って、その場を立ち去り掲示板の情報を確認する。
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【新規ダンジョン情報】
場所:
迷宮都市から西に徒歩1時間。標識あり。
出現魔物:
トレント、成人男性ほどの人型樹木。
動きは遅いが力強く、皮膚のような樹皮は斬撃を弾く。
斧や槌のような武器が有効。また、火の攻撃も有効。
ドロップ素材と買い取り価格:
・ルビーリンゴ:20ゴルド
・満月ミカン:20ゴルド
・癒しの薬草:50ゴルド
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「癒しの薬草……」
その名前を見た瞬間、僕の脳裏にある考えがよぎった。
これは……もしかして、融合素材として使えるんじゃないか?
病気を治すポーション――金のポーションには遠く及ばなくても、癒しの薬草が鍵になる可能性はある。
ルークのためにも、調べてみる価値はあるかもしれない。
宿に戻った僕は、そのまま二階に上がり、ルークの部屋の前に立った。
ノックを二度。扉越しに返ってきた声は、今朝よりもだいぶしっかりしていた。
「ユニスか? 入ってくれて構わない」
扉を開けると、ルークはベッドに腰掛けていた。顔色も戻り、背筋もまっすぐに伸びている。
「だいぶ元気になったみたいだね。よかった」
「ああ、ポーションのおかげだ。それに一度、ネルコ殿が様子を見に来てくれて冷たいタオルをくれた。おかげでさっぱりしてよく眠れることができた。もう大丈夫だ」
「それなら晩御飯、食べられそうだね。良かったら、一緒にどう?」
僕がそう言うと、ルークは軽く頷いた。
「ありがたい。実は、私の方からも話したいことがあるのだ」
その言葉に少しだけ緊張しながら、僕らは一階の食堂へと向かった。
今日の料理はこんがり焼いた腸詰と蒸かし芋、そして少しの葉野菜。よく出る組み合わせだ。
最初の数口は無言で食べたが、やがてルークが口を開いた。
「……今朝のことだが――」
言いよどむ声に、僕は食事の手を止めて言った。
「そのことなら、僕は忘れることにするよ。君が言いたいことがあるなら聞くし、秘密にしておきたいなら、無理に聞いたりしない」
ルークはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。
「いや……やはり、貴方には隠し事をしたくない。私の本当の名前は――リリエットというのだ」
言葉は静かだったが、確かな決意がこもっていた。
「ルークは、弟の名前なのだ。迷宮都市に来るとき、女性だと侮られるのではと思い……髪を切り、男装し、“ルーク”と名乗ったのだ」
僕は驚いたが、どこか納得する気持ちもあった。ルークはたまに不自然に言いよどむことがあったし、何かを隠している感じがあった。
「そうだったんだね。じゃあ、これからもルークと呼んだ方がいいかな?」
僕の問いに、リリエットはふっと笑った。
「……いや。貴方には、リリエットと呼んでほしい。私は――ユニス殿には、そう呼ばれたい」
「わかったよ、リリエット。
じゃあ、僕のこともユニス殿じゃなくてユニスでいいよ。
一緒にダンジョンに潜る仲間なんだから」
「承知した。ユニス殿…じゃなくて、その…ユニス。」
そう言った後、リリエットは顔を伏せた。耳が真っ赤になっている。
「……もしかして、やっぱりまだ熱があるんじゃない? 無理せず、また部屋で休んだ方が――」
「ち、違う……! そうではなく……それに、もう一つ、聞きたいことがあるのだ」
少し慌てた様子でそう言うと、リリエットは真剣な表情を浮かべた。
「ユニス……ポーションのことだ。今朝くれた、ポーションを飲んだ時、ふっと体が楽になった。あのようなポーションがあるとは知らなかった。」
僕は頷いた。リリエットが相手なら、隠す理由もない。
「うん。あれは僕が作ったポーションなんだ。僕のスキル。融合……っていう特殊な能力で、二つのアイテムを組み合わせて新しいアイテムを生み出せる。ポーションもそのひとつ」
リリエットは驚いたように目を見開いた。
「融合……アイテムを組み合わせて、まったく新しいものを……?」
「そう。今朝のリンゴジュースポーションも、ルビーリンゴと空きポーションを融合して作ったものだったんだ」
リリエットは驚きと感心が入り混じったような表情をした。
「では……もし適切な素材があれば、もっと強力なポーションを作ることも……?」
「うん。実は、僕もその話をしようと思っていたんだ。今日ギルドで新しいダンジョンの情報を見てきたんだ。植物系の魔物が出る場所で、癒しの薬草っていう素材が手に入るらしい。それを使えば、もっと効果の高いポーションが作れるかもしれない。君の弟の病気が治せるような」
「……!」
リリエットの青い瞳がわずかに震える。
「明日から、そのダンジョンに行こうと思ってる。リリエットが良ければだけど」
リリエットは少しだけ目を伏せたが、すぐに真っすぐこちらを見た。
「ありがとう、ユニス。貴方には……感謝してもしきれない。
だが、なぜそのように親切にしてくれるのだ」
僕は照れくさくて、言葉を濁しながらも笑った。
「僕は自分の村をでて冒険者になると決めた日に自分の人生は自分で決めると思ったんだ。どこまで行けるか分からないけどやりたいことやって後悔のない人生を歩みたいって。だから今はリリエット、君の助けをしたいからする。それだけの理由なんだ。」
リリエットは僕の言葉を聞いて、一度目を伏せ、ふっと微笑んだ。
「ありがとう、ユニス……そんなふうに言ってくれて、とても嬉しい」
けれどその笑みは、ほんの一瞬だった。すぐに、不安の色が混じったまなざしに変わる。
「でも……本当に私は、貴方のような高潔な人に助けてもらう価値があるのだろうか」
その声は、どこか自分自身を疑うように震えていた。
「今朝……夢を見たのだ。家にいた頃の夢だった。あの頃の自分が、どう感じていたのか、はっきり思い出した」
リリエットは両手を膝の上で握りしめながら、静かに言葉を続けた。
「私は……弟を助けるためにダンジョンに来たと言っていたが、それは本当の理由ではなかったのだ」
まっすぐに向けられるその声に、僕はただ黙って耳を傾けた。
「私は……母様を独り占めするルークに、嫉妬していたのだ。病弱で、寝たきりのルークばかりが母様の手を煩わせ、目を向けられる。私は……私のことも見てほしかった。だから、金のポーションを手に入れれば……ルークが治れば、母様は私の方を見てくれるんじゃないか、って……」
言葉の途中で、リリエットの声が少しだけ詰まった。
「家を飛び出して、ダンジョンを目指したのも……もしかしたら母様が私のことを心配してくれるかもしれない、って。そんな子供じみた思いが、どこかにあったのだ」
そこまで話すと、リリエットは顔を伏せた。肩が小さく震えているのが見えた。
……静かな沈黙が流れた。
でも、僕はリリエットが子供じみてるとはちっとも思わなかった。
「リリエット。じゃあ、僕らは真の意味で仲間だよ」
その言葉に、リリエットの肩がぴくりと動いた。
「冒険者は、誰だって自分の欲望のためにダンジョンに潜っている。金が欲しい、名声が欲しい、スリルが味わいたい――どんな理由でも良いんだよ」
僕はまっすぐに、リリエットの伏せた顔に言葉を届けた。
「君は、母親の愛がほしくて、ダンジョンで剣を振っている。それって、何もおかしいことじゃない。自分の欲しいもののために、怖くても一歩を踏み出せる――それは、すごく立派なことだし、冒険者には欠かせない資質だと思うんだ。」
そこで僕は言葉を一度区切った。
リリエットに僕の思いが伝わる様に。
「だからね、リリエット。君は真の冒険者なんだよ。だからこそ僕らは協力し、助け合えると思うんだ。」
しばらくして、リリエットの顔がゆっくりと上がった。
青い瞳に、大粒の涙がにじんでいた。
「……ありがとう、ユニス。ありがとう……」
小さく震える声で、リリエットは何度も礼を言った。
僕は、少し照れくさくなって目を逸らした。
なんだか、格好つけすぎた気がする。
「……じゃあ、ご飯の続き食べて、明日に備えて早く休もうか」
僕がそう言うと、リリエットは目元を袖で拭き、ふっと笑った。
「……そうだな」
それからの食事は、ちょっとだけ気恥ずかしくて、お互い無言だった。
そして食事を終えたあと、二人で二階へ上がり、それぞれの部屋の前で立ち止まった。
「それじゃあ、お休み。リリエット」
僕が言うと、リリエットはやわらかく微笑んだ。
「ああ、お休みなさい、ユニス」
その笑顔は、どこか安心しきったような、あたたかいものだった。
僕は部屋に入り、ベッドに腰掛けた。
明日は、新しいダンジョンに挑戦する。
けれど、不思議と緊張はなかった。
一人じゃない。――それが、これほど心強いなんて、思ってもいなかった。




