4.
しかし、その瞬間に矢が射掛けられた。
反射的に身を岩陰に落とした。
「俺は案内を頼まずに、山に入ったことになってる。宿の亭主に口止めした。頼む」
男はビンを布から取り出してアルパスへ渡した。
「ブッケル国に持って行って、この国を助けてくれと、伝えてくれ。俺はここで囮になる」
「ブッケル国だな」
「ありがとう」
矢がさらに飛んでくる。待ち伏せされていたようにしか考えられない。
複数の男たちの低い声が近づいてきている。このままでは、アルパスも殺される可能性がある。
一瞬の判断後、アルパスはビンを抱えたままなんの躊躇もなく、荷物ごと川へ飛び込んだ。
抱えたビンは、浮くのにちょうどよかった。
かなりの深さを持つこの川は、流れがはやくて有名なのだ。アルパスは泳ぐのをやめてただ流されるままになった。やがて滝を目の前に浅瀬に入ると、ようやく立ち上がって息をつく。
「金にはならなかったか……」
がっくりとうなだれつつ、命あってこその金だと言い聞かす。水中の冷えた体を陸へ上げて、今回はじめての焚き火をした。いい季節でも水遊びには寒い。立て続けにくしゃみが出た。鞄は防水仕様だ。手早く着替えて震えながら火に手をかざす。濡れた服は絞ってから木の枝に干した。
少し落ち着くと、追手がないか不安になった。
案内を頼まなかったと口裏を合わせても、見つかったときに二人いたことはバレているはずだ。
今は、周囲に気配はみじんもない。焙ってから干し肉を食べる。
あの男は山賊に目を付けられていたのだろうか。挙動不審で、不安を押し隠しているようだったが、何か期待をして夢を見ているようでもあった。しかも、この道なき道をついて来られる体力がある人間だった。
だけれど、山賊たちにとって美味しい荷物ではないはずだ。食料もなく、酒もなく、女もいない。金はあったかもしれないが。
持ち物の袋から瓶を取出し、眺めてつぶやいた。
「これを隣国にもって行くと、シンサー国がどうなるんだよ?」
海と山とで遮られた行き来のない国の情報を、隣の国が欲しがるとは思えなかったが。
アルパスはビンを袋に戻すと、どうするべきか考えた。本当ならば、村の貧困や税のことを考えたら、ブッケル国へ行っている時間などない。行く金もない。
けれど、ちょうど海岸線の街で、次の案内の約束がある。ついでに行くくらいはできるはずだ。それに、正直はやく手放してしまいたい。
「持って行ったら、金をもらえないかな……」
びんの袋を眺めると、自然にため息が出た。
今回の案内料はなしだ。ブッケル国へ行って、少しでも足しになるなら有り難い。アルパスはびんを背中の袋に入れた。
海岸線に出たら、山脈のおわりすそ野にある、パチワーという大きな港街に向かった。途中、小さな町で宿屋に泊まった。久しぶりの海は、どこまでも青く気持ちがよかった。
森林が多い小さな町の宿は、内装は質素で安かった。窓から海が見えるのがいい。
アルパスは浜に出て帰ってくる客からブッケル国の情報を得ていった。ついでに山賊、海賊の様子も聞いてみる。最近は、ぱったりと姿を現さなくなった海賊たちは、いったい何をやっているんだろうか。
山賊たちは、待ち伏せしてまで襲ってくるし。
よく分からない。
本当ならば、酒場などに行って情報収集をしたかったが、なにせ十四才なものだから入ることすらできない。「子供お断り」の看板があるくらいだ。
とりあえず、約束の待ち合わせ場所に行かなければならない。目的の港町は近いが二日ほどかかる。
安宿を探しながら海岸沿いの村や町を歩いた。乗合馬車など使う資金はない。
シンサー国でも大きな港街であるパチワーに着く手前の小さな町で、一泊することになった。節約するために安宿だ。
夜遅くまで起きて宿屋の狭い酒場で水を飲みながら情報収集をしていたが、情報も集まらず、ほどんど人もおらず、眠くてぼんやりしながら窓から見える暗い海を眺めていると、月明かりで波が見えるような気がした。潮騒にゆらゆらと瞼を閉じかけていると、ふいに耳に入った言葉に覚醒した。
「……さぁな、なんか戦らしい」
カウンターに来た男が、酒場の主に話している。
「なんだ、そんなデマを持ってきても仕方ないだろう」
「デマじゃないさ。俺は、この目で見たんだからな」
「見たって、何を」
カウンターの中で主人は白髪交じりの髪をうしろになでつけた。疲れているのか、目のしわに隈が見える。眼光の鋭さが、ちらりとアルパスに寒気を覚えさせた。
「船だよ。そりゃ、すごい数だった」
「どこと戦になるんだよ……」
ようやく主人は、カウンターで酒を飲んでる男を見つめた。懇意にしている者への気さくさが、口調をさらに砕けたものにしていた。
「お前、そりゃ、本当のことか」
「ああ。あんたは知ってるだろ、船長を」
主人はそっとあたりを伺った。しかし、アルパスの他には酔いつぶれた船乗りくらいしかいない。アルパスも傍から見ると寝ているように見えるだろう。
「確かな情報なんだな?」
「ああ」
するどい目つきの主人が物憂げに眉をひそめた。
「戦争か……」
「俺たちはその船で海に出るんじゃないかって」
二人は目を見合わせて面白そうに笑った。懇意にしているというより、仲間同士のようだ。
「実はな……」
男は主人に向かって小声で何かを伝えた。小声にしたくなるような内容だったのだろう。
「おい、まさか、そんな……」
「そうか? 今まで何もしなかったのが不思議なくらいさ」
「でも、あの島は……楽園だ。俺たちにだって、いつだって優しいじゃないか」
主人の声が曇る。




