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「承知いたしました」
どれくらいで朝になるか分からないが、ともかく少しでも休んだ方が良さそうだ。
「ミハイル、泊っていけ」
仕方なさそうに頷いたミハイルが、早々とソファに上着を投げはじめた。ソファで寝る気満々だ。
「部屋はいくらいでもあるんだが?」
「ここでいい。ファロを案内して」
疲れているのだろう。よく付き合ってくれた。
「ではファロ、部屋に案内する」
アスターが連れて行ってくれたのは、すぐ近くの部屋だった。客間で清潔にされている。ありがたく使わせてもらう。
「では朝にまた。休む時間は少ないが、よろしく頼む。俺は二階の部屋にいるから」
アスターがおざなりに案内してくれると、ろうそくの炎で室内を見渡す。主の像が見当たらないため、荷物から小さな像を出して脇机に設置した。今にも目が閉じそうだが、顔を洗い歯を磨き、最低限の清潔さを保つように努力してから、本日の終わりの祈りを捧げた。
本日も一日をありがとうございました。アルパスに出会えたこと、ブッケル国のヨアンと妻、アスターとミハイル、天帝の塔の司祭たち、リュカに感謝を。アルパスの無事と楽園の島について支援があるように祈る。賊たちの企みの犠牲になっている王女の無事を祈る。主に感謝をし、すべてに感謝をする。
ベッドに入ると深夜の静寂がひろがっており、すぐに睡眠に入れた。
朝はすぐにやってきた。
鳥のさえずりが思いのほか近くで聞こえて、ファロは飛び起きた。陽が昇っており、部屋に備え付けられている日時計は、ちょうど朝食の時間になりかかっていた。
寝坊は免れた。
ファロは顔を洗って眠気をはらうと、朝の祈りをはじめた。
祈りの時間は、神様と自分だけの大切な時間だ。心と呼ばれる魂に直接光を感じ、温かい慈悲の光に感謝の気持ちがあふれると、安定した平らかな心地になる。
「さぁ、本日も主の御心に沿ったよい一日をつくれますように」
ベッドを丁寧にきれいにし、窓を開けて空気を入れ替え、荷物を整えると部屋を出た。
ちょうど起こしに来たのか、アスターが驚いた顔で扉の外に立っていた。
「朝食ができたぞ」
「いただきます」
うれしい気持ちが笑顔に表れたのか、アスターもふと笑顔を浮かべていた。
「まさかと思いますが、アスター大将が作られたんですか?」
「朝食は通いで使用人が作ってくれるんだ。掃除もしてくれる」
屋敷が清潔なわけがよくわかった。
昨日の応接室ではなく、少し奥にある広間に通されると、広いテーブルがあり、朝食の準備が整えられていた。
年配の女性が二名控えており、軽く会釈された。
「おはようございます。いただきます」
声をかけると嬉しそうに笑顔になった。
「ミハイルはまだ寝ているのか?」
アスターが声をかけると、年配の女性の一人が困ったような顔になった。
「はい、もう少しとおっしゃっていました」
「茶が冷めてしまうな、もう一度……、いや、行ってくる」
朝の光はふりそそぎ、屋敷の内装もよく見えて、夜とは印象がまったく違っていた。飾り気がなく、けれどもそこかしこに花が活けてあったり、レースのリボンが飾られている。主人があまりにも家にこだわらないので、使用人が気を利かせたのだろう。
お茶が冷めてしまうとファロは口を付けた。すっきりしたブラックティに、ほっと息をつく。美味しい。
そう言えばアスターも同じ時間に就寝したのに、あまり影響はなさそうだ。さすがに多少は目の下に隈があるが。
「おはよう、みなさん」
紅茶色の髪が所々跳ねているミハイルが、食堂に現れた。アスターがやれやれと入ってくると、ようやく朝食が開始された。
明らかにミハイルは半分寝ている。カップを持った手が数秒後に口に運べた時には、ほっとしてしまった。
「すまないな、ここのところ準備に追われていて寝る時間が少なくてな」
アスターが仕方なさそうに、謝罪してくる。
大がかりな戦の準備だ、日数もそうはない。寝る時間などないのは当たり前かもしれない。それなのに、ファロの要求を呑んでくれたのだ。
「こちらこそ、遅い時間になんの配慮もなく聞いていただき、ありがとうご…」
「いや、あれは必要だった」
最後まで言う前にミハイルに遮られた。今にも眠りそうな顔だが、むりやり目を開いているような気迫でこちらを見ていた。
「一刻を争うかと、声をかけさせていただきました」
「俺の判断も、お前の判断も、正しい」
言うだけ言うと、ミハイルはお茶を飲んで、パンを口に入れて、さらにお茶で飲み込みはじめた。
「胃が受け付けん」
必死に食べている。
アスターを見ると、こちらは優雅に食べていた。何が違うのだろうか、体力だろうか。
「食べたぞ、これでいいな。もう少し寝るからな。出るときに起こしてくれ」
ミハイルは言い終わる前に席を立って、食堂を出ていった。着ている服も昨日と同じのようだが、大丈夫だろうか。
「騒がせてすまない。どうも眠る時間がなかったようで、少しくらいは眠らないとならないそうだ」
アスターも自分も睡眠時間は少しだが、眠っているのと眠っていないのでは全然違う。情報が足りない状態で、何か考えることがあったのだろうか。
「地方にいる兵隊たちは、ブッケル国に残した方がいいかもしれないと、ミハイルが言っていた。ブッケル国の賊とシンサー国の賊が手を結んでいる可能性は少ないかもしれないが」
朝食を終えたアスターから、意見を求めるような問いが出た。
「ブッケル国の王女を連れ去ったのは、ブッケル国の賊だとしたら、国内にも賊がいるってことですね。なるほど」
兵力の分散について考えていたのか。
船に乗って軍隊がシンサー国に向かえば、エルウィンド州は空になってしまう。そこまで考えていなかった。
「まぁ、うちの参謀はあらゆる事態を想定して、準備をするのでな。あと半時ほどで出発する。ファロ殿も準備をして昨日の応接室で待っていてくれ」
「はい」
「ところで地図は二枚ないな? シンサー国に戻るなら、持って行かれるか?」
「そ……」
そうですね、と軽く応えようとした声が途中でとまった。
複写が必要だったか。事態を伝えるのを第一にしてしまい、失敗してしまった。
「至急、複写が必要ですね?」
「実際に行動に移す前の一週間ほど前にはあったほうがいいが、すぐには……。ミハイルがどう言うか分からないが」
食堂を出て、一度自室に戻るアスターは、かるく会釈をしてから二階への階段を上がっていった。




