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アルパスと共に小部屋から出たファロは、ブッケル国行きの船内で丁寧に地図を自分の荷物にしまうと優先順位を考えた。
シンサー国の兵士については、すぐには手の打ちようがなさそうだ。賊どもの手先か、操られた兵士なのか調べるのは時間がかかる。
一方、ブッケル国が戦をする理由は見当たらない。すると、ブッケル国の内情を見てから、味方につけた方が得策だろう。ブッケル国は治安がよく、兵士も警邏もよく訓練され、秩序だっている。
船は帆を広げて出航した。隣国へ行く船だけに、かなり大きな船だ。それでも、客が乗る船室は雑魚寝が基本であり、柱を頼りに背を預けるしかない。小さいが『祈りの部屋』がある船は珍しい。よほど船長が信心深いのだろう。
このままブッケル国に入り、誰に情報を渡すのがよいのかを考えなければならない。ブッケル国についたら、宿屋を探さないと。手持ちの資金はいくらだったか。革袋を開いて中を見たとたんに、ファロは右手で頭をかかえた。
「しまったな、この船の駄賃は先払いじゃないか、うかつだった……」
アルパスにブッケル国への船の支払いを負担させてしまった。
「あとで払おう……、ごめん」
舟に乗ってこのまま行くこともできるが、数か月かかる。ファロが船で向かうと言えば、アルパスにもわかりやすいかと、一緒に船に乗り込んだが、悠長に構えている場合ではない。ファロは先ほどの祈りの部屋に戻ると、手を合わせて一心に祈った。
瞬時にして別の広い礼拝堂に移動した。夜の帳がおりはじめており、窓の外は濃い青さが広がっている。
外に出ると、夕飯どきのいい香りが漂っていた。
ファロは勝手知ったるブッケル国首都ラティアの街を軽快に走った。舗装された道はレンガ造りで美しく、街路樹も風に揺れている。夕方でも、家々からの灯りで暗くはなかった。目当ての家に着くと、ノックをして佇む。
「どなた様ですか」
ほかの家に比べると小さな家だが、植木や掃除が行き届いた玄関先は数年ぶりでも変わっていなかった。
ドアから応えがあり、ファロはいつもと同じように言う。
「ちょっと寄らせてもらったよ」
「ファロか!」
ドアが勢いよく開かれた。玄関先が部屋の灯りで照らされる。
筋肉質だが細身の男が出てきた。数年前より白髪が増えている。頑強な男もよる年波には勝てないものだ。
「よく来たな。というか、ようやく来たな」
言葉尻に不穏な気持ちになるが、男は嬉しそうな顔をかくさずに、奥から出てきた女性の肩をそっと抱きながら引き寄せた。
「紹介するよ、去年の秋に所帯を持ったんだ。妻のクリスティンだ」
ふくよかで愛らしい白い肌で茶色の髪の女性が好奇心を湛えた目でファロを見つめてくる。
「ヨアン、おめでとう!」
「おう、ありがとうよ。さ、中に入ってくれ。飯はもう済ませたか?」
ヨアンがファロを手で中に入るようにと動かした。ファロは部屋に入ると、中の様子もだいぶ変わっているのに驚いた。
「いや、まだなんだ」
奥さんがいると、こんなにも小綺麗に、しかも居心地がよくなるものだろうか。窓に掛る布がレースになっており、花柄になっている。ただの布だったのに。
「旨いぞ」
にやりと自慢するヨアンに、ファロはにっこりと笑み返した。
「遠慮なくいただくよ」
食事に追加でいくつか並ぶと、すぐに夕食になった。
二人の出会いや、最近の天帝の塔のブッケル国ラティア支部の話や、夏祭りの話などで盛り上がった。
「とても美味しかったです。ご馳走様」
「クリスティン、すまないが、書斎にお茶を運んでくれないか」
ふくよかで愛らしいクリスティンは、青い瞳を笑みに染めて頷いた。
書斎に入ってソファに座ると、ヨアンは先ほどまでの雰囲気と変って、まじめな顔つきになった。
「おまえが来るなんて、よっぽどだな」
ファロはさきほどまでと変わらず、おだやかでにこやかにしている。けれど、少しだけ息をついた。
「内情が知りたい」
ヨアンはソファに深く座りなおした。腰を据えた話が必要だと感じたのだろう。
「どこのだ?」
「ブッケル国の」
今度はヨアンが、ゆっくりと息を整えるように呼吸をした。ブラウンの目に探るような光が宿る。顎に手をやると、くせなのか、顎の下の薄い肉を人差し指と親指でつまんだ。
「確かに」
「確かな情報が必要なんだ。何かつかんでいないか?」
あまり緊迫感のない声で、ファロはゆっくりとたずねた。だが、ヨアンはますます顎の下の肉をつまんだり、放したりした。
「国の文官の中枢にいても、緘口令を敷かれていたら分からないもんなんだぞ」
言いよどむヨアンに、ファロは一度姿勢を直してから口を結んだ。ぐっと間を開けてから、おもむろに口を開く。