4.五里霧中のなかの光
とりあえずブッケル国に向かう船に乗ったはいいが、アルパスはブッケル国に行って戻るまでに、島は大丈夫かと考えていた。
「どれくらの猶予があるか全然分からない……」
背負の地図は届けなければならない。けれど、島の人々に危険を知らせなければならなかった。
アルパスは、狭い船内を歩きまわった。
すると、見慣れた礼拝堂の扉が目に入った。すこしは落ち着き、考えをまとめなくてはと、礼拝堂の扉を開けた。
古くて小さな礼拝室だ。天を統べる創造主を祭った室内は、不思議としんとしており、アルパスは椅子に座ると祈った。
心に静けさがしみわたり、焦燥が消えていった。
静かになった心で目を開けると、気づかなかったのが不思議なくらい立派な扉があった。
どこかぼんやりと浮き立つような感じがする。
「光ってるよな……?」
思わずアルパスはつぶやいて、立ち上がると扉を開いた。
中は小部屋だった。窓もあり、来客用のソファもある。見たこともないくらいに豪華な作りをしていた。ふわふわな絨毯に目を丸くする。踏んでいいのかよくわからない。
「礼拝堂の部屋なのか?」
正面に大きな窓があり、そこから空が見えていた。
「いらっしゃい」
明るい声が響いて、人がいたのかと、アルパスは文字通り飛び上がった。
「ひっ」
「相談事があるんだろう?」
ダークブロンドの短髪に、褐色の肌で目尻の垂れた、黒目の優顔の青年が、人懐こい、ややまじめな表情で声をかけてきた。自然な笑みに肩の力が抜ける。
それに、透明な心地のいい声音をしていた。
タレ目の優男は、部屋に似つかわしくない旅装をしていた。
「相談?」
「違ったかな。この小部屋はね、困っている人が祈ったら開く特別な部屋なんだ」
おかしいなぁと首をかしげる。
「相談、してもいいのか?」
アルパスは目の前の奇異なことを忘れて、つい頼りたくなった。それほど、目の前にいる青年は優しい感じがしたのだ。落ち着いたやや高めの声も安心感をさそう。
「はい、承りましょう。俺はファロ。天帝の塔の者です」
『天帝の塔』ってなんだ。そんな建物があったか? 思わず考えに沈み込みそうになりながら、はっと我に返った。
「俺、アルパス。山の案内人」
「よろしくアルパス。で、どんな相談なんだろう?」
ファロはソファに座ると、アルパスも座らせた。
「実は、地図が……」
アルパスは背荷物から地図を取り出した。今までの経緯をすべてファロに話した。はじめはにこにこしていたファロも、最後のほうではなんだか元気がなくなった感じだった。
「ブッケル国は戦争をはじめたがってる? そんな所にシンサー国の地図を持って行くのは危険なんだけど」
「でも、依頼人は地図は隣国に持って行ってくれって」
「ブッケル国の様子が見えないから、ツテを使って調べたほうが良さそうだ。なら、地図は私に任せて欲
しい。アルパスは島へ行って、危機を知らせてくれ。俺もあの島は大切だ。上手くいかないときは、俺の
名前を出してかまわないよ。俺はブッケル国に地図を持って行こう。誰に渡したら一番いいかも調べないといけない」
ファロはそれだけ言って、アルパスを見つめた。
「知らせてくれてありがとう。今、アルパスはどこから扉を開いた?」
「どこって、ブッケル国行きの船の礼拝堂だ。こんな部屋があるとは思わなかった。この部屋は波の音が聞こえないんだな」
アルパスは改めて部屋を見渡した。なんだか気温も低いような気がするし、風の音はするけれど、とても静かだ。
「この部屋は天帝の塔のなかにあるんだ。空間を飛び越えて、祈りが届いたんだよ。扉が開いたなら、アルパスの祈りが届いたんだ。さあ、行こうか」
いまいちよく分からないが、ファロは荷物を整えると身軽な様子で扉を開けた。
扉を開けると、ちょうど船が出港を告げはじめていた。
「急いで、アルパスは島に行くんだろう。船を降りないと」
「わかった。ファロ、地図は頼んだ」
「任された」
アルパスはすぐにファロに頷くと、小部屋から走って出て船を降りた。すっきりした顔をしていた。
誰かのために何かをしたいと、本気で思ったことがあったろうか?
あの島が本当に好きになっていた。リーゼのことも、マシューもノーマンさんもフレリカさんも、みんなが好きなのだ。あの人たちが危険にさらされるのは耐えられなかった。
はやく対策を考えなければ、海賊がやってくるのだから。
アルパスは島へ渡す船のある村へといそいだ。持っている金も底をつきそうだ。けれど、もはや魚釣りをしたりして時間を取ることもできない。船の乗組員に伝えると、鼻で笑われた。
「本当なんだ、海賊たちが話してるのを聞いたんだよ。あの島を助けたいんだ」
「海賊の話がどうやって聞けるんだ? バカも休み休み言いな」
悔しさで涙が出るなど、何年ぶりだったろうか。いつも大抵はあきらめてしまうのに。何度もとにかく急いでいるのだと訴えた。けれど、無駄だった。
船が動いたのは次の日の夕方だった。どうやらついでの仕事ができて、島に物を運ぶことになったらしい。宿に船員が、船が動くと知らせてくれたのは、話を聞いてくれていた船員だった。うるさいほど訴えていたのが功を成したのだ。
船に乗ると、ようやく心に余裕ができた。今までのことを振り返りつつ、乗船するときに買った水と、パンで夕食にした。
ファロがこの話を信じたのは、奇跡だったのかもしれない。それとも、ファロにはすべてが分かるのだろうか? 嘘か本当かも?
そう言えば、ファロと言う名前はどこかで聞いたことがある気がする。どこだったっけ?
『俺もあの島は大切』って言ってたよな。島を知ってるんだな……。
「あ! あの詩を作った人じゃないか! リーゼが言ってた人だよ。あんな若い人だったんだ、もっとじいさんかと思ってたよ。それなら、島のみんなは信じてくれるな」
ファロという協力者ができたが、まだたった一人で戦っている気分だ。
ことの起こりがどこにあるのかは分からない。ただ、今、シンサー国の兵たちが、海賊たちに乗っ取られて操られており、地図探しにやっきになっている。
それに、ブッケル国は戦争をしたいらしい。その間隙をぬって海賊たちは島を襲うという。なぜ島を襲うんだ、ブッケル国が戦争しに来るのに、兵士に扮してるなら海賊たちは、備えなきゃならいんじゃないか? さっぱり分からない。
「ああ、もうややこしい」
こんなことを考えていても仕方ない。考えても仕方ないことは、もう捨て置くことにする。
空には幾千もの星がまたたいている。船からその夜空を見上げて、アルパスは不安を一時期忘れた。




