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『本当に、一緒に練習見させてくれってお願いしなくていいのか?』
『いいって言ってるでしょ。海斗はチャンスをつかんだんだから、人の心配よりも自分の心配しなさい!』
舞愛にとって苦い思い出になったジェットバック初体験から、また半月程が過ぎていた。
結局舞愛は『留衣に頭を下げて、特待生の練習に参加させてもらうべきだ』という海斗の度重なる説得にも応じずに、自室のベッドにパジャマ姿のまま伏せって、今後どうするかを一人で考えあぐねていた。
ジェットバックの練習ができる環境を探し始めてはいたが、自分が思っていた『お金持ちがやる趣味』そのもので、カートレースを趣味でやるのと同じくらいお金がかかるという情報を目にして、意気消沈してしまっていた。
「やるのはいいけど、いくらかかるのよ、それ」
叔母に相談した時も最初から『お金がかかる件は許可しないからね』という顔つきで取りつく島がなく、意地を張ってはみたものの、全くの手詰まりになってしまった。
「こんな事でへこたれてられるか! とりあえず基礎体力とメンタルだけでも、勝負できるようにしとかないと!」
バッと立ち上がり、勢いよくパジャマを脱ぎ始める舞愛。
トレーニングウェア姿に着替え、居候先の叔母が住むマンション前まで出てきた舞愛。
「んー、考えても仕方ない! なるようにしかならん!」
夏の晴れ渡った青空が、舞愛を無心に走らせる。
静かな住宅街を駆け抜け、小川沿いの緑道に出るとそこからは川に沿って整備された歩道を進んでいく。
ペットと散歩する人や、数人で自転車で遊びに出かけようとしている小学生のグループなどに行き違っていく。
やがて体験会をやっていた河川敷までたどり着くと、舞愛は土手の斜面に寝そべった。雲ひとつない青空が眼前に広がっている。
「はぁ〜」
目を閉じて耳を澄ますと、近くの走る人のリズミカルな足音や、自転車の駆け抜けていく音、遠くから微かに車や川の流れの音なども、クリアに聞こえてくる。
心地よさに身を任せていると、やがて寝息をたてはじめる舞愛。
「アレ? アタシ、一人で飛んでる」
フラフラした様子もなく、安定して宙に浮いている舞愛。
「それに、ちゃんと空も飛べてるし」
ポイントが投影されて、促されるようにそれに向かって飛び始める舞愛。
しなやかな体の動きで、綺麗なターンを決めていく。
「そっか、アタシ、こんなふうに飛んでみたかったんだ……」
第四ポイントをターンした舞愛だったが、その視界の先には地上のゴールではなく、一番のポイントがまた飛び込んでくる。
「?」
グルグルとゴールのないコースを飛び続ける舞愛。現実ではない事を自覚し、苦笑いを浮かべる。
「そっか、アタシ、ゴールできなかったから、イメージできないんだ……」
そこに舞愛の死角から現れる、衝突事故を起こした女性の姿。
「何であの人が?」
舞愛に微笑みかけると、追い抜いて前を飛んでいく。
「待って!」
彼女のターンに合わせて舞愛がターンを決めると、体験会の時と同じ様に頭から勢いよく落ちていく姿勢になってしまう。
悲鳴を上げ、グルグルと錐揉み状態で落ちていく。
「こんなとこまで再現すんなーっ!」
目が覚めると、現実でも土手の斜面からゴロゴロと転がり落ちていた舞愛。
「あうっ!」
転がりきって地面に突っ伏す。ぐるっと半回転して空を見上げると。夢の中で現れた女性が心配そうな顔をして覗き込んでいる。
「大丈夫?」
「あ、アハハ……」
「昼寝してたって事は時間あるよね。よかったら、ちょっと付き合ってよ」
河川敷には先日の空中競技会のワゴン車ではなく、奇抜なデザインのワゴン車が一台、止まっている。先程の女性に招かれて、その脇に立てられたテントに、チェアに腰掛けている舞愛。
「私は平戸美深、インストラクター……見習いかな、まだ」
周囲には、ジェットバックのユニフォーム姿にパーカーを羽織った男女三人ほどがくつろいでいたり、私服姿でレジャーシートの上であぐらをかきながら、ノートパソコンに向かっている女性がいたりする。
「実はアタシ、この前の事故の時にもココにいました」
「アレ見てたの? 一番見られたくないトコ、見られちゃったな……」
「あの時のケガは、大丈夫だったんですか?」
「暫くは飛ぶなって言われてるし、まだ背中は痛いけど、まあなんとか」
「そうですか……」
「私もジェットバックはここの人達にそそのかされて始めたくらいで、元々はフィギュアスケートやってたの。そうしたら競技会の人達が、レースだけでなく空中ショーもやりたいんで、インストラクターをやってみないかって誘われて。あの時は、同じフィギュア出身のメンバーで、色々試してた最中だったの」
「アタシ、美深さん達が飛んでる所見て、凄く魅かれました」
「そう言ってくれるとありがたいんだけど、ウチらもまだ答えみたいなのがない状態だし、競馬やオートレースなんかと違って、みんな素人の集まりだしね。特にここにいる人達は、このブルーオーシャンに人生を賭けてしまっている、ヤバい連中なんだけど」
「ヤバい連中とは心外ね」
あぐら姿でノートパソコンに向かっていた女性が美深を見上げ、口ごたえする。
「彼女は山下裕子。このチーム『飛遊人』の代表で、ジェットを開発する企業まで自分で立ち上げてしまった変わり者中の変わり者ね。なんでもこの人の夢は打倒クルマ業界、打倒早乙女重工なんだって」
「大手のメーカーどもが勝手に決めたジェットバックの生ぬるいレギュレーションを、絶対に変えてやるんだから」
「はぁ……」
「キミみたいなカワイくていいカラダしてるコが、ウチのジェットバックでスター選手になってくれたら、いいんだけど」
ノートパソコンを閉じて立ち上がり、キャンピングチェアに腰掛けている舞愛の周りをぐるっと回り、品定めするかのような態度の裕子。
「まるでエロオヤジだな、この人は」
その様子を見ていたパーカー姿の男女数人のうち、いかつい体型の男性が近付いてきて、話に混ざってくる。
「この人は竹内圭介。見てくれ通り、元自衛官で隊員教育が担当だったらしいんだけど、趣味でジェットバックやってたんで、私が強引にスカウトして今に至るって感じかな。チームのトレーナーをやってもらいながら、ジェット開発の仕事の方もやってもらってる」
肩書きに相応しく、綺麗な立ち姿の圭介。
「生ぬるい指導じゃ後々付いていけなくなるからみっちり指導してくれって裕子が言うから、その通りにやった結果離脱者続出だ。俺のせいじゃないぞ」
わざと近くにいるパーカー姿の面々に聞こえるよう、声を大きくして愚痴をこぼす圭介。
「そんな訳で、ここにいる残りのメンバーは、今度の第一回プロテストを目指してる面々。まあ、圭介の言う通り、ドロップアウトが出過ぎて、追加募集も何度かやった結果残ってるメンバーだけど」
「皆さんプロ志望なんですか?」
改めて舞愛が見回すと、パーカー姿のメンバー三人も圭介程ではないにせよ、足の筋肉の付き方からして普段から鍛えていそうな見た目である。
「あの……実は私も、応募しようと思ってるんです。空中競技選手。練習するのにお金って、結構かかるんですよね?」
チェアから立ち上がり、前のめり気味に大人達に食いつく舞愛。
やっぱりそうか、という表情の裕子に対し、美深と圭介は驚きの表情。
「キミ、見た目からして中学生か高校生ってとこだよね。取引しない?」
「取引?」
「キミがプロテストクリアまでやりきったら、出世払いにしてあげる。でも、途中で諦めたら、バイトするなり体売るなりなんとかして、練習にかかった費用は全額返してもらう。どう?」
「おいおい、大人がそんな話していいのかよ」
「そうよ裕子。口約束にしたってこんな話……」
「やります! アタシ他に頼るアテもないんです! お願いします!」
「なんでそこまでして、選手になりたい訳?」
「一緒に選手目指すって決めた幼馴染がいるんです。彼はチャンスを手にしたけど、私の方は……。体験会の時には失敗もしたけど、想像以上だったんです。夢中になれる事が、見つかったっていうか……」
「甘い!」
「?」
「……んだけど、とりあえず試してみるか。圭介! この子がプロになる芽があるか、少し揉んでみてもらえない?」
「おいおい、こっちの立てた今日の予定はどうするんだよ。湾岸で飛んでる特待生の連中と違ってコイツらは、年中飛べる訳じゃないんだぞ」
「同時にやって。なんなら本番前提で競わせてもいい。美深も今日は気分転換してもらうつもりで呼んだんだけど、このコの面倒見てあげて」
「相変わらず、思いつきで動くのね」
「付き合わされる方としては、かなわないがな。でも面白くなって来たぜ」
裕子にそそのかされるままに、ランニングの時の格好のまま、装置を背負い操作用のグローブをはめている舞愛。体験会で舞愛達に用意された装置とはデザインが異なり、カラフルな背面が目につく。舞愛の横で、美深が手取り足取りフォローしている。
彼女達の目の前には、先程パーカー姿だった男女三人組が、ユニフォーム姿で前に立ち塞がるように並んでいる。唯一の女性、田沢は陸上のフィールド競技選手のような、ガッチリした体つきをしている。背の高い男性、鶴岡は生真面目そうな長距離ランナーといった雰囲気を持ち、草食動物っぽい柔和な顔つきをしている。もう一人の男性、大間はフィギュアスケーター風の衣装で、二人と違いオフの時間は遊び歩いてそうな、浮ついた雰囲気も感じられる人物。
「こんなカワイイ子相手に本気で出すのは、ちょっと気が引けるなぁ」
大間は最初から、舞愛の事を舐めてかかっているようだった。
「見た目で相手を判断するなって、コーチから言われてるでしょうが」
田沢は口では建前を言っているが、こんな小娘に負ける訳はないだろうと、余裕のある表情を見せている。
「……」
鶴岡は無言で、舞愛をじっと見ている。
「鶴岡君、初対面の女の子相手にソレはないから」
田沢がツッコミを入れる。
「……すみません。彼女がこの見た目で実力もあったら、相当人気出るだろうなって」
「意外と冷静な分析……」
「あぁ、それは俺もわかるわ」
三人のやり取りに舞愛が苦笑していると、ワゴン車からスピーカー越しの裕子の声がする。
「アンタ達いつの間にそんなトリオ漫才やれるようになってんの。それじゃそろそろ始めるから。本番を想定した模擬レース、チェックポイントは今から出すから。いい?」
河川敷上空に四つのチェックポイントの立方体が現れ、同時にカーレースのスタートシグナルのような赤信号が投影される。
「スタートシグナルが消えたら、まずは一番から二番のポイントに向かっていく流れを意識して飛び上がる。いい?」
頷く舞愛の肩をポン、と叩き、その場を離れる美深。
「……」
ぐっと息を呑む舞愛。スタートシグナルの赤信号が消え、四人が揃って屈伸運動で勢いをつけて飛び上がる!
「!」
四人のうち、大間一人がポイントでターンをする直線距離を進み、他の三人は一番のポイントで減速せずに二番のポイントへ向かう軌道をとって飛んでいく。
「まあ初心者なら、技術のいるターンは避ける、か」
ワゴン車から出てきて、上空を見渡す裕子。その側には、圭介がいる。
「しかし、同じルートが二人もいると、思うように前に行かせてもらえないかもしれんな」
「狙ったかのようなシチュエーションね」
「別にそうしろって言った訳でもないんだがな。アイツら、自分達も試されてると思ってるんだろ」
「ここから先、あなたならどうする?」
上空では一人悠々と直線ルートを選んだ大間がまず第一ポイント手前で減速、ターンを決め、続けて田沢・鶴岡・舞愛の三人が、ポイントを全速力で駆け抜けていく。
このまま続けてても前に行けない……そう感じた舞愛は第三ポイントの方角を確認して、前の二人を追うのをやめて第二ポイントへまっすぐ向かい始める。
「初心者にしちゃ、思い切りのいいコだな!」
大間が近付いてくる舞愛に対して警戒を始める。
第二ポイントの枠に入った所で先に大間がくるっと身を屈めてターンの姿勢をとるのに習い、見様見真似でそれに付いていく舞愛。
タンッ、と大間が空中で切り返すと、すぐ横で舞愛もシンクロするようにターンを決める。ほんの一瞬の差で田沢と鶴岡も、第二ポイントを全速力で通り抜けていく。
「やるじゃないか!」
二人横並びでの飛行になる舞愛と大間。大間は舞愛を時折確認しながら加速飛行を続け、舞愛は目指す第三ポイントをじっと注視して、大間に動きを合わせてきている。
次でこの人を振り切る、そう決意した舞愛は第三ポイントの枠に入る前から身を屈めはじめる。
「!」
素人の早とちりか!と大間が思った瞬間、舞愛が第三ポイントの枠ギリギリに足を掛け、ターンを決める。
「しまった!」
舞愛の動きを気にしすぎた大間は、第三ポイントを突っ切り、田沢と鶴岡が通り過ぎていった先でのターンを余儀なくされる。
「相手気にしすぎ!」
後方の大間に声をかける田沢。
「やれた! けど……」
一人振り切った事で自信を持った舞愛だったが、田沢と鶴岡の二人が自分めがけて飛んできているのを確認する。どうやら第四ポイントは、全員ターンして最後のトップスピード勝負になるようである。
「あなたまでこっち来る事ないでしょうが! 邪魔!」
鶴岡に文句をつける田沢。
「ターンの練習、しておきたいし」
「そんな理由か!」
第四ポイントが近付くにつれ、じわじわと舞愛に近付いていくる田沢と鶴岡。舞愛は二人に追い抜かれない為に、もう一度最短でターンする覚悟を決める。
「!」
またしても枠ギリギリで足が掛かる位置でターンを決める舞愛。そのすぐ先で田沢、鶴岡もターンを決める。ワンテンポ遅れて大間が、ターンではなく回り込む形でポイントを通過していく。
「やられた!」
舞愛にしてやられたと思った田沢と鶴岡だったが、ターンして先頭に立つ舞愛は、パニック状態に陥っていた。
「ゴール? え〜〜〜っ!」
後ろからはゴールに向かって既に足が先に行くように体の向きを変えた三人が追ってくるが、舞愛には目前の川面にあるゴールの浮き島しか目に入っていない。
「ちょっとあの子、頭から飛び込む気!」
「足! 足!」
そう言われて、先日の留衣の言葉が舞愛の脳内で再生される。
「……足!」
くるっと膝を抱えて丸まった後足を伸ばし、ようやく減速する舞愛のジェット。
「!」
浮き島に勢いよく突っ込む形になり、その弾力でボーンと跳ね返されて飛ばされる舞愛。続けて田沢、鶴岡、大間が、舞愛のせいでグラグラと揺れている浮き島に、思い思いに取り付いてゴールしていく。
「そんな〜っ!」
弾き飛ばされた勢いで舞愛が川に落ち、水飛沫が上がる。体験会の時と異なり、一度中に浮いてから落ちた事ですぐに浮き上がってくる。
「あの子、ゴールの仕方までは知らなかったみたい」
「まあ、鍛え甲斐があるとも言えるな」
その一部始終を見ていた裕子と圭介、舞愛の様子に思わず苦笑する。
「ゴールの仕方くらい、先に教えてくれたっていいじゃないですか!」
ムッとした顔を一同に見せる舞愛。